国内世論背負ったブラジルと日本――“ガチ”の決戦
世界には、目にしただけで対戦相手が平常心を乱されてしまうユニホームがある。目にしただけで「勝てそうもない」「やっぱり強そうだ」と感じさせてしまうユニホームがある。最近でいえば、アルゼンチンやフランス、スペインあたりがそうだろうし、アジア限定であれば、日本のユニホームも似たような力を手にしつつあるかもしれない。
手に入れるためには途方もない時間と実績が必要となるこの力、しかし、未来永劫続くというわけではない。
もし来年のW杯にハンガリーが出場を果たしたとしよう。彼らのユニホームに萎縮する日本選手がどれだけいるだろうか。失礼ながら、ほぼすべてのW杯出場常連国が、ハンガリーを単なる対戦相手の一つとして考えるに違いない。
だが、いまから70年前、ハンガリーは世界最強国の一つだった。いまや緑、赤、白のトリコロールといえばメキシコだが、かつてはハンガリーこそが代名詞だった。“魔術師”といえば、ブラジル人ではなくマジャール人、つまりはハンガリー人のことを指していた。
ユニホームの力は、永遠ではない――そのことを改めて痛感させられるのが、チリで行われているU-20のW杯である。
この大会で過去5度の優勝を果たしているブラジルは、メキシコ、スペイン、モロッコと同居したC組で最下位に沈んだ。この年代の大会でブラジル・サッカー史上初となる1次リーグの敗退、それも一つの勝利もあげられず、での敗退だった。
先週も書いたが、年代別世界大会での結果は、必ずしも大人の大会に直結するものではない。もし直結するのであれば、イングランドのフットボール・アソシエーション(FA)あたりは血相を変えて、五輪にも「英国」ではなく各4協会の独立性と権利を要求している。現状の規定では、FIFAでは認められている英国4協会の立場と権利が認められておらず、五輪出場が不可能だからである。
だが、五輪の出場はかなわなくとも、レベルの高いリーグでプレーしていれば、選手はおのずと磨かれていく。史上初のU-20W杯早期敗退が、ブラジルの暗黒時代につながる、とは言い切れない。
ただ、ブラジルと対戦した他国の若い選手たちが、ブラジルのユニホームにまったく臆していないように見えたのは、正直言って衝撃的だった。
わからないではない。ペレを知り、ジーコやロナウド、ロナウジーニョを体験した世代にとって、ブラジルは特別な存在であり続けている。だが、いま20歳以下の大会に出場している選手たちは、02年を最後に世界一から遠ざかるブラジルの黄金期を知らない。彼らにとってのブラジルの原体験は、1-7でドイツに粉砕されたいわゆる“ミネイロンの悲劇”という可能性すらある。プスカシュを知らない世代がハンガリーのユニホームに何の感慨も抱かなくなったように、カナリア色が、若い世代に対する神通力を失いつつあるのは、当然といえば当然なのかもしれない。
来週14日、森保監督率いる日本代表はブラジル代表と戦う。おそらくは、史上もっとも真剣に日本に対して向かってくるブラジルとの対戦である。U-20W杯での惨敗に怒り狂う国内世論を背負う彼らにとって、日本相手の凡戦は断じて許されるものではない。
つまりは、ガチ。試験的な色合いも強かった9月の北米遠征と違い、これは、限りなく本番に近い決戦である。
<この原稿は25年10月9日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>