W杯優勝を目指す資格は、ある

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 W杯優勝は実現可能な目標なのか、それともただの大言壮語なのか。ファンを二分してきたこの問題に、ついに答えが出た。

 

 目指す資格は、ある。

 

 前半で2点のリードを奪ったブラジルに、ある種の緩みが生じていたのは間違いない。何しろ、サッカーが下手な人間のことを「日本人のようだ」と表現していたお国である。おまけに彼らは、先週末、ソウルで韓国を木っ端みじんに粉砕していた。選手や監督に限らず、メディアやファンも、試合途中で「やっぱりアジアは簡単だ」とネクタイを緩め始めていたはずである。

 

 だが、ソウルで戦った相手とは違い、東京で対峙した相手には武器があった。

 

 勤勉という武器である。

 

 指揮官がアンチェロッティになったことで、ブラジルは勤勉になったという評価がある。従来であれば手を抜いても許されていた場面で、イタリア人監督に率いられた選手は労を惜しまずにボールを追うようになった。効果は、南米予選における劇的な失点の減少という結果となって表れていた。

 

 そんなブラジルに対し、前半の日本も勤勉に対抗し、しかし、個の力で2度のゴールを許してしまった。サッカー界の常識的に考えればほぼ敗北が決定的な状況で、しかし、後半の日本は、あろうことか勤勉さに拍車をかけた。多くの選手が、ピッチ内のワークライフバランスをかなぐり捨てて、献身的に圧力をかけ続けた。

 

 それが、実を結んだ。

 

 勝つつもりで挑んだとはいいながら、試合の途中まで、何人かの日本選手からは明らかに普段の余裕が消えていた。彼らの中には、間違いなく“王国”と呼ばれた国への畏怖があった。

 

 だが、南野のゴールが生まれてからの日本は違った。鈴木淳は、渡辺は、自分がかわされるなど微塵も思わずに挑みにかかっていき、アタッカーたちはブラジルをはるかに上回る数のシュートを見舞ってみせた。

 

 見逃せなかったのは、日本の各選手がみせた試合中の変化である。前半、引き気味に戦ったこともあり、日本の攻撃が始動する位置は自陣深くの場合が多かった。そして、こちらがスイッチを入れようとすると、ブラジルの選手たちはあっさりと反則でつぶしてしまう。その代償は、やった側からすれば痛くもかゆくもないFKでしかなかった。

 

 おそらく、久保や堂安が自陣で倒されるたび、日本の選手は「またやられた」という苦さを味わっていたに違いない。そして、彼らはその教訓を自分たちがリードしてからすぐに生かした。それまでの勤勉かつ組織的ではあった前線からのプレスに、この試合の途中からは“あっさり反則”という選択肢が加わった。そして、その効果がいかに絶大なものであるか、多くの選手は身をもって体感した。

 

 つまり、0-2のビハインドをはね返しただけでなく、1点のリードを守りきるという経験を、ブラジル相手に、たった1試合で積むことができた。

 

 おそらく、この試合の結果は相当な衝撃とともに全世界を駆けめぐることだろう。今後、日本と戦う際に油断してくれるチームはますますいなくなることが予想される。

 

 だが、そんなデメリットなどどうでもいいと思えるぐらい、この試合が日本にもたらしたものは大きい。自分たちの勤勉さがブラジルをも破壊したという手応えは、W杯を戦う上で、かけがえのない財産となる。日本サッカーが、いまだかつて一度も手にしたことのなかった財産である。

 

<この原稿は25年10月15日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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