世界のトヨタに近づきつつある日本サッカー

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 元英国特殊空挺部隊の精鋭にして、大学講師兼保険調査委員。日英ハーフの平賀=キートン・太一が世界を股にかける80~90年代の傑作コミック「MASTER キートン」に、ロンドンのタクシーに乗った主人公が運転手から出自を聞かれ、こう答える場面がある。

 

「半分は、悪名高き日本人です」

 

 20世紀後半、確かに日本人の悪名は高かった。そんなことはない、と否定する人も、あの頃の日本人に対する好感度が、現在とは比べ物にならないほど低かったことは、認めざるを得ないだろう。観光名所でたむろする日本人団体客に向けられる欧米人の眼差しが、個人的にはいたたまれなかった記憶もある。

 

 爆発的な経済成長を象徴する存在でもあった日本軍の評判も、決して芳しいものではなかった。

 

 確かに安いし燃費はいい。だが、海外のいわゆる“クルマ好き”と言われる人種への訴求力に関して言うと、ほぼ無力に等しかった。わたし自身、いつかは外国製のスポーツカーに、と憧れ続けた人間の一人である。

 

 だが、日本の自動車メーカーは、自分たちに足りないものを知っていた。知っていて、補うために様々な挑戦を続けた。ホンダは60年代からF1に挑み、マツダやトヨタは70年代からルマン24時間レースに参戦した。ラリーに活路を見いだそうとしたのは日産やスバル、三菱だった。

 

 各々のメーカーが、各々のレースで少しずつ積み重ねていった結果は、日本車に対する印象を確実に変えていった。安いから、ではなく、高性能だから、という理由で日本車を選ぶ人が現れ、車種によってはマニアと呼ばれる人種まで出現した。

 

 いまやニッサンGT-Rなどの一部の車種は、フェラーリなどと同様に投機の対象にまでなっている。多くの人が、日本車に日本の国民性を見いだし、日本人に日本車の特徴をダブらせるようになった。信頼性、高性能、緻密、控えめな自己主張に秘められた特殊性――。

 

 わたしには、日本車が歩んできた道を、いま、日本サッカーがいよいよなぞりつつあるように思える。

 

 初めてW杯に出場した27年前、日本を応援するのは日本人だけだった。サッカーに限った話ではない。日本のアスリートは、概ね、日本人のみによって支えられていた。

 

 潮目が変わったのは、07年のU-20W杯カナダ大会あたりだったか。あるいは、大震災の直後に参加した11年の女子W杯だっただろうか。日本の展開した魅力的なサッカーは、日本人以外の人たちの胸も打った。日本人でない人たちが顔に日の丸のペイントを施し、日本のゴールに歓声をあげた。

 

 その流れが、いよいよ大きくなってきたように感じる。

 

 ブラジル相手に2点差をひっくり返した大逆転劇は、予想通り、世界各国で大きな反響を生んだ。W杯優勝を狙うという日本の夢を、日本人以外の人たちも、現実性のある目標として受け入れるようになりつつある。反日を国是としている国からも、日本サッカーをアジアの希望と讃える声が上がっている。

 

 多くの人が、日本サッカーに日本の特徴をダブらせるようになりつつある。

 

 トヨタは世界でもっとも多くのクルマを売る企業だが、だからといって世界一の自動車企業かと問われれば、賛否は分かれるだろう。

 

 ただ、無視できる存在では断じてない。それと近しい領域に、日本サッカーは足を踏み入れつつある、とわたしは思う。

 

<この原稿は25年10月23日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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