「とうとうやってしまったか」。私の最初の正直な感想はそんな感じだった。
 約20年間向き合い上り詰めた。本当にここまで追求したのだと思うと、この男に対して素直に尊敬するしかない。
 彼の名は田中正人。日本で最も経験豊富な数少ないプロのアドベンチャーレーサーである。
 1993年からこのスポーツを始め、とうとう今年の2月にチリで開催された「PATAGONIAN EXPEDITION RACE」で2位に入るという快挙を成し遂げたのである。「世界と戦えるレーサーになる」と言い続けて苦節18年。本当に世界のトップレーサーの仲間入りを果たしたのだ。
(写真:準優勝したチーム・イーストウインドのメンバー、左からキャプテン・田中正人、和木香織利、倉田文裕、田中陽希)
 そもそもアドベンチャーレースとはなにか。聞いたことがあっても内容を知らない方が多いので少し説明しよう。レースはナビゲーション(地図読み)、トレイルラン、MTB、パドリング(カヤック、ラフティングなど)、クライミングやロープアクティビリティなどをこなしながらゴールを目指す。競技時間は、数時間のものから10日以上に及ぶものまである。競技は昼夜関係なく進行していき、参加者は寝る、食べる、休むを含めて記録となるため、これらの取り方も工夫しなくてはならない。また、3〜5名程度のチームで行うのが通常で、その構成は男女混合や同性チーム、年齢別チームなど、大会によってルールが異なる。つまりさまざまな種目を、さまざまな人が一緒に行うことで必ず不均衡が起きる。そのアンバランスをいかに調整して進んでいくかが、レースの大きなポイントとなるのだ。
(写真:ルートは自分たちで地図を読み決める)

 今回の大会は、世界屈指のハードさを誇り、「現在のアドベンチャーレースの中でも最もチャレンジングなレースです」と世界のレースを知っている田中が断言するほど大変なものだ。その概要は
1.MTB 75キロ
2.カヤック 87キロ(陸送10キロを含む)
3.トレッキング90キロ
4.MTB 140キロ
5.トレッキング 142キロ
6.カヤック 47キロ
 というもので、これを速いチームでは7日ほどでこなしていく。パタゴニアの大自然の中を、道を探しながら雨風と寒さと闘い、進むのは並大抵のことではない。
(写真:カヤックセクションにはポーテージ(陸送)もある)

 このスポーツにおいて欧米の選手と日本人選手の差は小さくはなかった。実は私も10年以上前に田中と一緒に世界に挑戦していたのだが、圧倒的な力の差に歯が立たなかった思い出がある。最初は僕らがこんなに頑張っているのに、なんで彼らはあんなスピードでこなしていけるのか不思議で仕方なかった。しかし彼らは体力だけでなく、経験と技術をもっているからこそ、長時間こなせるようになり、精神的な安定感もあるのだということが分かるようになった。彼らと話をしていて驚かされたのが、上記に出てくるようなアウトドアアクティビリティを、「どれも子供のころからやっていたよ」というような人が結構いたりことだ。子供の頃からそんな環境が周りにあったとは羨ましい限り。それに比べて日本は…… すべてをこなせるような人は国内にはほとんどいない。どのアウトドアスポーツもそれなりの準備と場所に行かなければならないハードルがある。一つ二つは経験があっても、すべてをカバーできる経験の持ち主など存在しにくいのだ。そんな経験の深さの違いを、勝負どころで大きな差になって痛感させられた。そこで尻尾を巻いた僕を尻目に、田中は挑み続けたのである。
(写真:壮大な景色に出会えることも)

「今回の勝因は極めてシンプルです。勝てるチームはレースにおいて余計なことをしないし、考えない。立ち止まらずに、とにかくまっすぐに進み続けることなんです。僕らはいままで困難に突き当たると、それを回避する方法を探ってきた。それがレース中であれば気持ちの迷いやタイムロスにつながっていた。今回はゴールへのベクトルをまっすぐに合わせとにかく突き進んだ。これが良かったんです」と語る田中。「でもいろんなことが起こりうる中で、ベクトルを保つのは並大抵なことではない。チームメンバーがしっかりと団結していくことが大事なんです。今回はそれができた。もちろん、時には叱責したり、怒鳴ったりもした。でも、その後にすぐにリカバーすることができたのが良かったんです」
(写真:道なき道を進む)

 アドベンチャーレースは身体的に厳しいのは当然で、寒い、痛い、眠いからどう耐えられるかが勝負だとよく言われる。しかし、もっと大変なのはチームワークで、追い込まれて余裕がなくなった時に、どこまでチームメンバーを思うことが出来るかという人間力試しのようなものである。だからこそ欧米では、社内教育にアドベンチャーレースを行うことが多いのだ。街中やオフィスではどんなにカッコをつけられても、ぎりぎりに追い込まれた中では、なかなか他人のことまで思いやるのは難しい。逆にこんな経験を重ねると普段の生活など何でもなくなるわけで……。
(写真:氷河の中をパドリングする)

 実は田中もこのチームワークには苦労してきた。メンバーは性格も、育ってきた環境も、生活ペースも、レースへのモチベーションだって違ったりする。それを極限状態でまとめていく難しさ。理想の高い田中は何度もチームメイトと喧嘩したりして、チームを上手くまとめられないでいた。レースを終えるとメンバーが離れていくこともあった。彼なりに葛藤を繰り返していたのだろう。近年は丸くなったようだが、今度は彼の後継者ともいえる田中陽希が感情を出してしまうタイプで、レース中にチームの雰囲気を壊してしまうこともしばしばあったようだ。昔の田中を知っている僕からすると、彼がメンバーに噛みつかれてなだめているなんて驚きだが、これも経験のなせる業か。そして、今回はそのダブル田中の関係が上手くいったのが大きいという。「レース前に“喧嘩しないで仲良く行こうな!”と声をかけたんです。こんなの今までなかった(笑)。そしてレース中も皆の気持ちが表彰台という共通の目標に向かってぶれることがなかった。やはりこれが大きかったかな」
 こうして日本人初の快挙が生まれたというわけだ。
(写真:チームは片時も離れてはいけない)

「もうこれで辞められるね」という僕の言葉に、「確かに体力的にはきついんですが、まだまだやることがあるんですよ〜」と、はにかみながら笑う田中。まだまだ日本のアドベンチャーレース界はこの人を中心に動くのだろう。彼の信念が何を創っていくのか、もう少し見ていたい。そう思わせる男である。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)が発売中。
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