昨年の全国リーディング・ジョッキー、福永祐一は中学時代サッカー部に所属していた。本人いわく「あんまり才能はなかった」とのことだが、彼にとってサッカーはいまも大好きなスポーツであり続けている。
「それにしても――」
 先日、ダービーについての取材をしている際も、ふとしたことからサッカーの話になった。
「最近の日本代表って、海外でプレーしてる選手ばっかになりましたね」
 中田英寿が代表の中心選手だった時代、彼を含めた海外組は特別な存在だった。たとえ所属しているクラブでベンチを温めることが多くとも、代表に戻ればほぼ無条件で定位置が用意された。

 だが、“海外組=特別な存在”という時代は終わった。もはや海外組であってもベンチスタートはおろか、代表に招集されなくてもニュースではない。8日付のスポニチではセレッソ清武のニュルンベルク移籍が報じられていたが、今後も海外でプレーする日本人選手はどんどんと増えていきそうである。

 若い頃に異文化の中での生活を経験することは、間違いなくプラスになる。海外へ留学する日本人学生が減少の一途をたどっている時代に、それとは正反対とも言える決断を下すサッカー選手が増えていることには、ちょっとした頼もしさも覚える。一方で、海外からのオファーであればすぐ無邪気に飛びついてしまっているようにも見える現状には、ある種の危うさも感じる。

 ニュルンベルクが用意した清武の移籍金はおよそ1億円だという。2000万円にも満たなかった香川の場合に比べれば破格に見えるが、清武の才能を考えればビックリするほど安い。これは清武の場合に限った話ではない。明治時代、日本古来の美術品をただ同然の額で欧米に売り渡した日本人は、いま、同じことをサッカーの市場で繰り返そうとしている。日本人が、日本人サッカー選手の実力を不当に低く見積もっているがゆえに、である。

 アルゼンチンでは、ブラジルでは、才能ある選手が欧州に引き抜かれそうになるたび、何とかしてくい止めようとする動きがおきる。大概は圧倒的な経済格差で押し切られてしまうのだが、日本のように、こぞって拍手で送り出す、なんてことはまずありえない。資金力ほどにはレベルの差はないのだという自国リーグに対するプライドが、ファンやメディアの間に存在しているからである。

 Jリーグは、もはや発足当時の“下のリーグ”ではない。問題は、その自覚を持ちきれていない日本人にある。

<この原稿は12年5月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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