北海道日本ハムの栗山英樹監督は、さわやかなイメージが売りの評論家だった。
 ここで言う「さわやか」とは何か。まずは、端正なマスクと、明瞭な話し方。その外面的な特徴に加えて、いわば内面的な特徴もあった。それは、彼が現役時代、決して超一流の大選手ではなかったことにある。むしろそのことを逆手にとって、取材者として現役の一流選手たちの話を引き出していった。
 多くの評論家は、ご自身が一流選手であったがゆえに、いわば上から目線の、説教くさい論評になりやすい。その点で、彼は際立っていた。だから、高校球児とプロ選手を結び付けるプロジェクト「夢の向こうに」のコーディネーターや、ひいては「熱闘甲子園」のキャスターにも起用されたのだろう。おおよそこのような事情が「さわやか」の内実である(ちなみに、「プロ野球選手会から高校球児へのエール」という副題をもつ「夢の向こうに」は、見ていてすごく勉強になる、すばらしいプロジェクトである)。

 だけど評論と実際の監督という仕事とは、話は別だろう。そこには理想と現実の乖離が横たわっているに違いない。彼が日本ハムの監督に就任した時、多くのファンが抱いた不安ではあるまいか。
 ところが、フタを開けてみると、栗山監督は、意外な一面を見せ始める。「さわやか」イメージとは裏腹に、えらく頑固なのである。

 まずは開幕投手。斎藤佑樹を指名した。昨年の実績を考えても、オープン戦の出来を見ても、常識的には武田勝である。要するに、斎藤は天性のスターなのだから、エースに育ってほしい、育てるべきだ、という信念が根拠の起用である。信念だけの采配はたぶん失敗するだろう、と高をくくったら、なんと斎藤が勝ち投手になり、さらにはその後も勝ち星を重ねるのだから、采配とはわからないものだ。

 もう一つの頑固は、4番・中田翔の起用である。中田は開幕以来、打率1割台の不振にあえいでいる。いくら強打の日本ハム打線とはいえ、4番で打順が途切れるのだから、辛い。入る点も入らなくなる。
 実際、そう采配に苦言を呈する評論家もいらっしゃった。それでも打順は変えない。
“事件”が起きたのは5月28日の巨人戦である。
 7回表、無死一塁で打席に入った中田は、ホールトンのスライダーをものの見事に左中間へホームラン。ただし、この試合の前日まで、彼は20打席無安打が続いていた。

 このホームランで注目されたのが、中田のフォームである。キャンプ、オープン戦から大きくがに股にスタンスをとって、ノーステップで打つ打法に取り組んできた。それで開幕以来、大不振に陥った。常識的に考えれば、がに股打法は合っていないと判断せざるをえない。とはいえ、中田にも自ら取り組んだ意地がある。そう簡単に打法を変えるのも、なんというか、打者の生き方として、筋が通らない。悩んだ末、ようやく変えたのは、巨人戦の前の中日戦からだそうだ。

 そして、この日は、スタンスを肩幅くらいに取り、がに股打法よりやや重心を上げ、前足(左足)の膝をわずかに絞る。そして、小さく足を上げてステップして打つ。それが、ぴったりホールトンのスライダーに合った。ほんとうにきれいなフォーム、あざやかなホームランだった。やっぱり、これだよ、中田! と喝采を送りたい(だって、がに股打法でホームランを打った時には、左足のつま先が天を向いていて、かかとだけ地についているようないびつな形になっていたのだから)。

 実は、このホームランにはもう一つ語るべきエピソードがある。試合前、巨人の原辰徳監督が中田に「もう少し、ゆったりとしたフォームでやってみたらどうだ」とアドバイスしたというのだ。
 原監督の言葉を聞けば、やはり、誰でも同じ感想をもっていたのだな、と納得する。例えば、私が何万回そんな論評をしたところで効果はないが、しかし、かの原辰徳が直接言ったとなれば、これは大いに影響があるだろう。

 人には、持って生まれたフォームというものがある。中田の場合は、本質的にステップして打つ打者である。ぜひ、これからも「ゆったりとしたフォーム」でやってもらいたい。
 それにしても、敵将が試合前に相手チームの4番にアドバイスを送る、というのは珍しいのではあるまいか。しかもそれがホームランを含む3安打という結果、あるいはストーリーに結びつくのだから、原監督も中田も、天性のスターなのでしょう。

 で、この絵に描いたようないい話を生み出したのは、結局、栗山監督の我慢だったのではないか。
 ここからは、あくまでも空想の世界だが、通常、中田のような若い4番打者が、打率1割台の不振に陥れば、例えば6番くらいに打順を下げて様子を見るだろう。
 もし6番や7番に下がっていたら、果たして中田は早々にがに股打法を捨てられただろうか。もう少し長い期間、がに股の練習に打ち込んだのではあるまいか。

 それから、もし4番ではなかったら、果たして原監督は、わざわざアドバイスを送っただろうか。架空の話で恐縮だが、送らなかったような気がする。おそらくは、日本球界の4番に育って欲しいという、元4番打者としての親心から発したアドバイスだろうから。
 としてみると、あくまで4番を外さなかった栗山監督の我慢こそが、中田に開花する道を切り拓いたことになる。

 今、ベンチにいる栗山監督が映し出されたら、よく見るといい。もはや、評論家時代のさわやかな表情は、かけらもない。むしろ、やや暗く、大変失礼ながら、少々悪人顔のようにさえ見える。立場は人を変える、ということでしょうか。
 おそらくは、どの監督にとっても、我慢することは必要だし、問われるのは、その限度の見極めだろう。

 例えば、広島カープの場合、昨年、絶対的クローザーだったデニス・サファテが、今季は開幕から不安定だった。クローザーが不安定というのは、どの監督にとっても、最もストレスのたまる状態だろう。
 野村謙二郎監督が決断したのは4月28日だった。9回に、サファテではなく、それまで安定感抜群だったセットアッパーのキャム・ミコライオを登板させたのである。
 結果的には、この采配は失敗だった。ミコライオは打たれて逆転負け。おまけにサファテはその後、さらに調子を崩してしまった。我慢するか決断するか、難しさを象徴する試合だった。

 例えば、中日にもいずれ同じような困難がやってくるに違いない。稀代の名クローザー岩瀬仁紀にも、衰えが見えることは事実だ(たとえば、5月31日のオリックス戦でも、9回に登板したが、3四球を出してピンチをまねいた。結果的には抑えたけれども、不安定であることに変わりはない)。これから高木守道監督の、我慢と決断が問われることだろう。最も、本来なら代役になるはずの浅尾拓也が故障してしまったので、当面、他の選択肢はないのかもしれないが。

 かつて、ボビー・バレンタインが千葉ロッテの監督に復帰した年、絶対的クローザーであった小林雅英が、開幕から不安定だったことがある。当然、チームは負けが混む。負の連鎖が起こる。
 その状況で、バレンタインがとった行動が忘れられない。調べてみたら2004年5月21日のことだったらしい。ダイエー(現・福岡ソフトバンク)に0−21と大敗し、彼は選手をスタンドの前に並ばせて、深々と頭を下げたのだ。
 監督とは、我慢と付き合う仕事でもあるのだろう。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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