「あの2年間は本当に大変でした……」
 大山がそう振り返るのは、プロサッカー選手となった浦和での日々だ。大山がルーキーだった頃(2005年)の浦和は中盤に山田暢久、三都主アレサンドロ(現名古屋)、鈴木啓太、長谷部誠(現ヴォルフスブルク)、平川忠亮らそうそうたるメンバーが揃っていた。この年、天皇杯を制し、常勝軍団への階段を上がっていたクラブのなかで、大山は試合出場どころか、紅白戦にすらお呼びがかからなかった。
「もう主力の選手に圧倒されていました。練習についていくのですら精一杯の状態でしたね」
(写真:(c)EHIMEFC)
 試合を重ねながら成長

 大きな壁にブチ当たり、2年間、公式戦出場はなし。そんな大山に声をかけた人物がいた。当時の愛媛FC監督・望月一仁(現磐田育成統括)である。愛媛に来るまでは磐田などでユースの指導に携わっていた望月は、もちろん大山のことを少年時代から知っていた。
「キックがよく、特にクロスを横から入れる時の精度が高い。また視野も広い。昔のイメージと変わらなかったので、なんとか良さを活かしたいと感じました」

 大山自身も試合に出たいとの思いは強くなっており、愛媛への期限付き移籍はスムーズに決まった。07年のことである。当初、望月はチーム事情を踏まえ、大山をボランチで起用する意向だった。しかし、ボールを持てば天才的なプレーを見せる若者も、オフ・ザ・ボールの動きには課題があった。またフィジカルが弱く、対人も決して強くなかった。ボランチでは攻撃のみならず、守備力も一定程度はないと苦しい。そこで望月は大山をサイドのポジションで使うことを決めた。

「悪いところを見ても急には直らない。試合に出てもらうなかで足りないところは覚えてもらおうと思いました」
 この前年、望月の率いた愛媛は昇格初年度ながら9位と健闘した。その要因となったのが、菅沼実(現磐田)や高萩洋次郎(現広島)といった他クラブから期限付きで獲得した若手の成長だ。望月は彼らを開幕から我慢強く起用し続け、その素質を芽吹かせた。

 当時21歳の大山に対しても、望月は同様の指導方針をとった。
「1試合持たなくていい。最初は20〜30分でもいいから、自分から動いてボールに関われるようにしよう」
 そう伝え、開幕から途中交代や途中出場をさせながら試合に出し続けた。
「やっていくうちに運動量が増えて、こちらが求めるレベルでプレーできる時間帯が長くなっていきましたね。動きが増えれば、攻撃でもより持ち味が生きてくる。それまでは自分が走れないから、まだ味方が揃っていないのに強引にクロスをあげる場面も見受けられましたけど、ちゃんと自分でサイドを突破して時間をつくり、受け手と連携してクロスをあげられるようになりました」

 古巣相手の大金星に貢献

 そんな望月が大山の成長を最も実感した試合がある。07年11月28日、天皇杯4回戦の浦和戦だ。この年、浦和はAFCアジアチャンピオンズリーグを初制覇。スタメンには田中マルクス闘莉王(現名古屋)、鈴木啓太、長谷部らが名を連ねていた。試合は予想通り、アジア王者に対して立ち上がりから押し込まれる時間帯が続く。

「右サイドのところで大山の守備が全く機能していなかったんです。相手に対して後ろへ下がるかたちになって、プレッシャーをかけられなかった……」
 テクニカルエリアから望月は、「もっと前から守備をしよう!」と何度も大山に指示を飛ばした。とはいえ、試合中にそう簡単に修正ができるものではない。望月も右サイドから、いつか決定機をつくられることを半ば覚悟していた。

 すると――。
「途中から、すごく大山の動きが良くなったんですよ。前からプレスをかけて、攻撃の起点にもなり始めた。高い位置でプレーすることで、相手陣内にもボールを運べるようになりました」
 試合は愛媛が徐々に盛り返し、0−0のまま、後半に突入する。そして後半20分、ビッグチャンスが訪れた。起点となったのは大山だ。右サイドに大きく蹴り出し、DF森脇良太(現広島)を走らせる。森脇が思い切ってクロスをあげると、そこにはオレンジ色のユニホームを着た選手が待っていた。FW田中俊也だった。ボレーシュートが鮮やかに決まり、愛媛は先制する。

 勢いに乗ったチームは後半37分にも追加点をあげ、2−0。地方のJ2クラブが成し遂げたジャイアントキリングを中央のメディアは大きく取り上げた。
「もちろん浦和に勝ったことも印象深いのですが、大山が1試合のなかでガラリと変わって成長した。その点でもとても印象に残っている一戦です」
 望月は5年前の出来事を懐かしむように振り返った。

 湘南での挫折、再び愛媛へ

「充実した1年でしたね。カテゴリーは下がっても、やはりサッカー選手は試合に出て評価される存在。試合に出たからこそ、守備の重要性も分かりましたし、得るものはとても多かったです」
 愛媛でつかんだ手応えをチケット代わりに大山はさらなる高みを目指す旅に出る。08年、J1復帰を目指す湘南ベルマーレへ移籍。湘南では浦和ユース時代の監督である菅野が指揮を執っていた。
「前年に湘南はベテランのMF加藤望を加入して大活躍をしていました。ただ、彼の年齢を考えればサイドハーフができる若い選手も必要。そこで愛媛での成長ぶりが目に留まったのが大山でした。彼ともう1度やりたいと思って、獲得に乗り出したんです」

 菅野は期待を込め、開幕から加藤をベンチに置き、大山をスタメンで起用した。だが、ここで22歳の若者は2度目の大きな壁に直面する。なかなかチーム内で機能せず、結果が出ない。クラブの成績も上昇しないなか、8試合目からは加藤が先発に。加藤がその試合でいきなりゴールを決める働きをみせると、大山がピッチに立つ時間は急速に減っていった。
「やはり守備の部分が足りませんでしたね。湘南は前からしっかりプレスをかけるスタイルだったのに、サイドのところでファーストディフェンスができないと、試合に出るのは難しくなる。せっかく獲っていただいたのに悔しくて精神的にもかなりヘコんでいました」
 この年、大山の出場はわずか16試合。クラブはシーズン前半のつまづきが響き、昇格を最後まで争いながら、最終的には5位に終わった。 

「俊輔のおかげで、あの年は昇格できなかったよ(苦笑)」
 冗談交じりでそう語りながら、菅野はこうフォローする。
「こちらが“期待に応えなきゃ”って意識させすぎてしまった面があるかもしれないね。性格がいい子だから、そのプレッシャーから本来の力を出せなかった。その点は彼に対して申し訳なかったと思っています」

 失意のシーズンを過ごした大山に非情の通告が下る。元の所属先だった浦和と湘南から、いずれも契約を更新しない旨を告げられた。初めての“クビ”にショックを受けるなか、手を差し伸べたのが愛媛だった。再び面倒をみるかたちになった望月は「やはり1年間、出番が少なくなっていた分、試合に出る体力をまずは取り戻さなくてはいけなかったですね。もう1回、鍛え直すつもりで練習や試合に取り組ませました」と話す。

 この年、07年と同じく46試合に出場。成績不振のため、9月には望月が監督を解任される苦しいシーズンのなか、大山はチームに不可欠な存在となっていた。
「攻守に渡って運動量も増えた。力強さも出てきました。まじめにコツコツとやるタイプなので、試合で経験を積むたびに着実にレベルアップしていきましたね」
 望月は磐田の地で若手の指導をしながら、愛媛の教え子の飛躍を祈っている。

 「まだ成長できると信じている」

 09年途中からクロアチア人のバルバリッチ監督に代わり、今季で4年目。開幕からスタメンでチームを支えてきた大山だが、また新たな壁が立ちふさがろうとしている。4月の終わりから先発を外れる機会が増え、5月27日のカターレ富山戦で0−1と敗れた際には、そのパフォーマンスに関して「ここまで、ずっと期待して使っているが、試合がはじまって15分もすると動けなくなってしまった」と名指しで批判された。次節ではベンチ入りメンバーからも外され、その後もスタメン復帰は勝ち得ていない。

「試合を重ねるうちに、自分のプレーがぼやけてしまっているなと感じます。その部分を練習からしっかり整理しなくては、また去年やおととしの二の舞になる」
 今季、大山は自己最多の10アシストを個人の目標に掲げている。昨年、一昨年の大山は他の選手に出番を奪われ、ベンチを温める試合も少なくなかった。指揮官の信頼を取り戻し、天才的な攻撃のセンスでホームのサポーターを喜ばせるには、今が正念場である。

「自分の好きなサッカーで仕事ができているんですから、できる限りはずっと続けたい。試合にも出続けたいですし、もちろん自分が入ることでチームの勝利に貢献したい」
 26歳がサッカー選手として目指すものはいたってシンプルだ。それがどこまで可能になるかは己の足と体、そして心にかかっている。
「フィジカルの強さにしても守備にしても、課題はまだまだ盛りだくさんです(笑)。逆に考えれば、まだまだ成長できる、上に行けると信じています」

 ゲーム中のプレイスキックでは相手のつくった壁を嘲笑うかのようにボールをコントロールし、幾度となく鮮やかなゴールを決めてきた。そしてサッカー選手としても、いくつかの壁を乗り越えてきた。この先、どんな壁が目の前に現れようとも恐れはしない。必ずきれいな弧を描き、サッカー人生でのゴールをあげる。大山俊輔が人生のピッチで輝く時間帯は、きっとこれからやってくる。

(おわり)
>>前編はこちら
※次回からは愛媛FCの新守護神・秋元陽太選手を前後編に分けて紹介します。

<大山俊輔(おおやま・しゅんすけ)プロフィール>
1986年4月6日、埼玉県出身。ポジションはMF。将来有望な選手として小学6年時にはU-14のナショナルトレセンにも選ばれる。浦和レッズのジュニアユースを経て、ユース時代の04年にはクラブ史上最年少(当時)のJ1リーグ戦出場を果たす。05年にトップチーム昇格。出場機会を求めて07年に愛媛FCへ期限付き移籍。46試合に出場する。翌年は湘南ベルマーレへ移籍するが、09年からは再び愛媛へ。視野の広さと精度の高いキックを武器にチャンスを演出する。昨季までJ1通算1試合0得点、J2通算156試合5得点。今季は6月11日現在、17試合2得点。身長179cm、73kg。

☆プレゼント☆
大山選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「大山俊輔選手のサイン色紙希望」と明記の上、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、記事への感想や取り上げて欲しい選手などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。



(石田洋之) 
◎バックナンバーはこちらから