ギリシャが初めて欧州選手権に出場したのは80年のイタリア大会である。当時としては珍しい日本製のユニホームを着用することでちょっとした話題にはなったが、それも大会が始まるまでの話。試合内容や個々の才能で世界を驚かせることはなかった。
 それから24年後、まったくのアウトサイダーとしてポルトガルに乗り込んだギリシャは、立て続けにサッカー史上に残る番狂わせを起こし、誰も予想しなかった欧州王座へと駆け上がる。ただ、この時も選手よりはドイツ人の名将レーハーゲルの方に注目が集まっていた印象がある。したたかに勝ちを拾いはしたものの、彼らのサッカーはさして魅力的とは言い難いものだったからだ。

 今回のユーロでも、ギリシャの前評判はグループAの最下位だった。相手の攻撃をしのいでカウンターを狙う、というやり方も従来通りではあった。
ただ、いままでのギリシャとは明らかに何かが違っていた。

 自信の厚み、とでも言えばいいのだろうか。今大会の彼らは、まるで相手を恐れていなかった。どれほど押し込まれても、一向に音を上げる気配を見せなかった。
驚かされたのは準々決勝のドイツ戦である。力の差は歴然としていた。しかも、先制点まで奪われた。優勝した04年大会でさえ、決勝トーナメントに入ってからのギリシャの勝利はすべて1−0である。格上のドイツに先制された時点で、わたしはギリシャに諦めが広がるのを予想した。

 ところが、彼らは諦めるどころか、肩の荷を下ろした気分になりかけていたドイツに同点弾を見舞い、判官びいきの場内を熱狂させたのである。結果的には4点を奪われたものの、後半途中までの戦いは世界を驚かせるに十分な内容だった。

 なぜギリシャはあんなにも逞しくなったのか。いや、ギリシャだけではない。大会前はアウトサイダーと見られがちだった国が明らかに危険な牙を持ちつつあるのはなぜなのか。
 日本が強くなったのと、同じ理由ではないのか――。

 多くの選手が欧州のトップレベルでプレーするようになったことで、日本代表は劇的に強くなった。同じことは、これまでであれば国内でプレーする選手ばかりだった弱小国でも起きている。そのことによって、いわゆる中間層の突き上げが起きているのではないか。

 数週間前、わたしは「いまの日本ならばユーロでも戦える」と書いた。その気持ちはいまでも変わらないが、しかし、戦えるにしても内容は予想をはるかに超える厳しいものになるだろう。日本は変わったが、世界もまた、変わりつつある。

<この原稿は12年6月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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