40歳8カ月での通算2000本安打達成は宮本慎也(東京ヤクルト)の41歳5カ月、落合博満の41歳4カ月に次ぐ、“高齢記録”だそうだ。
 福岡ソフトバンクの小久保裕紀がさる6月24日、北海道日本ハムのブライアン・ウルフからセンター前ヒットを放ち、史上41人目の快挙を成し遂げた。

 大記録達成の要因として、小久保はライバルの存在をあげた。翌日(25日付)のスポニチ紙に次のような手記を寄せた。
<若い選手に伝えたいのは、ライバルの存在は自分を高めてくれるということだ。王(貞治)会長に長嶋茂雄さんがいたように、自分には3冠王にもなった(松中)信彦がいた。同じように不器用で鈍くさい。その代わりまあ、練習する。高知キャンプでは「こいつが帰るまでは絶対、帰らん」と夕暮れまでバットを振った。点差のついた試合で、あいつがホームランを打った瞬間、「入るな!」と叫んだこともある。それくらい数字では絶対負けたくなかった。そういう男がいれば、この世界で長く飯が食える。>

 味方のホームラン性の打球に対し「入るな!」と叫ぶくらいだから、負けん気の強さは相当なものだ。しかし、これは小久保に限った話ではない。
 1980年代、巨人でエースの座を争っていた江川卓と西本聖は、ライバルがマウンドに上がると、ともに「負けろ!」と願ったという。敵と戦う前に、まず味方と戦っていたのだ。
 ところが近年、ライバルへの敵対心をむき出しにする選手がめっきり減った。口に出さないだけかもしれないが、“草食系”選手の増加は、ややもすると寂しくもある。

 若き日の小久保が憧れた現ソフトバンク監督の秋山幸二には西武時代、清原和博というライバルがいた。2人とも中心選手ゆえ死球を受けることが多くケガが絶えなかったが、ともに何食わぬ顔でプレーしていた。
「弱みを見せたくなかった」
 口を揃えて2人は言った。ライバルとは自らを磨く研ぎ石のようなものなのだ。

<この原稿は2012年7月16日号の『週刊大衆』に掲載されたものです>

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