「予想どおりでしたね」
 筑波大学女子バレーボール部監督の中西康巳は、皆本明日香がキャプテンに決まった時の感想をこう語った。筑波大女子バレー部は、全日本バレーボール大学男女選手権大会(全日本インカレ)を終え、4年生が引退すると、3年生が来季のキャプテンと副キャプテンを話し合う。そして、監督に決定した人事を報告するのだ。皆本は左ヒザ前十字靭帯断裂という大ケガを乗り越え、プレーヤーとしても成長を遂げていた。それらを踏まえて、指揮官は皆本がキャプテンになるのではという読みがあったのだ。
 背中で引っ張るキャプテン

“人事会議”では「キャプテンは明日香でしょ」との声が多数だったというが、皆本本人に迷いはなかったのか。
「絶対に自分のプラスになる。責任感の強さを持つためにも、“自分がやらなきゃな”と思いました」
 会議後、中西に結果を報告しに行った皆本は、指揮官からキャプテンとして示してほしい姿勢をこう教授された。
「みんなをまとめる時に言葉だけではダメだ。とにかく点を奪って、背中でチームを引っ張ってくれ」
 つまり、皆本にはエースとしての責任も与えられたのだ。

 皆本は「チームのことを考えっぱなしでした」と大学最後の1年間を振り返る。当時は彼女を含めて6人の4年生がいた。その同級生たちと、「自分たちがしっかりチームをつくっていくんだ」と何度も話し合ったという。

 そんな皆本たちの姿を見て中西はどう感じていたのか。
「チームづくりをしていく上では、必ず紆余曲折があります。私が『お前がキャプテンをやれ』と命令してしまうと、すべてに対して“やらされている集団”になりかねません。ですから、私は選手たちに自らキャプテンを決めさせるんです。そうすることでチーム状況が良くない時に『先生が言ったから』ではなく、『自分たちで決めたんだから』と何とか対処しようとします。そのとおりの展開になっていたので、皆本がキャプテンになって『良かったな』と思いましたね」

 大学バレー界における最大の目標は全日本インカレでの優勝である。筑波大女子バレー部は、同大会で当時、5度の優勝を誇っていた。しかし、2003年を最後に、日本一の座からは遠ざかっていた。皆本は入学してから、悔しい思いをしてきた。1年時は4回戦敗退。2年時は自らは左ヒザのケガでスタンドから見守ることしかできず、チームも決勝まで進んだものの、嘉悦大学に敗れて準優勝。復帰した3年時は、準決勝で敗退し、3位決定戦でまたしても嘉悦大に敗れた。キャプテンに就任した皆本には、6年ぶりの日本一奪還も課せられていた。

 真のエースに育ったキャプテン

 09年4月、皆本の大学最後のシーズンが幕を開けた。新生・筑波大女子バレー部は、関東大学1部春季リーグで8勝2敗の準優勝という結果を収めた。同大会で皆本は、敢闘賞とベストスコアラー(最多得点)を獲得。優勝には至らなかったものの、中西の求めるプレーを遂行した。指揮官はそんなキャプテン・皆本をこう評価した。
「試合になると、点数も取ってくれる。“背中で引っ張るキャプテン”を全うしていたと思います」
 しかし、彼女のパフォーマンスはこれだけに留まらなかった。

 9月、全日本インカレの前哨戦となる関東大学バレー1部秋季リーグで、筑波大女子バレー部は予選リーグ7戦を全勝し、上位4チームで争われる決勝リーグに駒を進めた。ところが、同年に流行した新型インフルエンザの影響で決勝リーグの開催中止が決定。予選リーグをトップ通過した筑波大の2年ぶり20回目の優勝となった。応急的な措置による結果ではあったものの、皆本が最優秀選手賞を獲得するなど、筑波大は優勝監督賞を含めて6つの個人賞を獲得。これらが優勝に相応しいチームであることを証明していた。

 そして11月30日、皆本にとって最後の全日本インカレが始まった。シード校の筑波大は決勝トーナメント2回戦から登場し、初戦の大東文化大学戦をセットカウント3−0のストレートで勝利。上々のスタートを切ると、ここから筑波大は怒涛の快進撃を見せた。続く3回戦もストレート勝ち、4回戦は3−1で勝ち進み、準々決勝と準決勝はいずれもストレート勝ちを収めた。中西が「秋季リーグを終えた時点で、他のチームよりも頭ひとつ抜けた強さだったと思います」と語るように、圧倒的な強さで決勝進出を決めた。

 6年ぶりとなる日本一の座を懸けて戦う相手は、07年の決勝と08年の3位決定戦で敗れた嘉悦大だった。だが、宿敵ともいえる相手に対しても、皆本率いる筑波大の勢いは止まることはなかった。皆本は第1セットから持ち前のパンチ力のあるスパイクを嘉悦大のコートに打ち込んだ。途中、ラリーが続く競った展開など、苦しい時のトスはすべて皆本に上げられた。彼女も自らトスを要求し、それを決めてみせた。皆本の活躍もあり、結局、決勝戦もセットカウント3−0のストレート勝ち。大会6試合を通じて奪われたセット数はわずかに1だ。自らが中心となってつくりあげてきたチームに、皆本は「チームがひとつになるってこういうことだなというくらい結束していたと思います」と大きな手応えを感じていた。

 そして、皆本の活躍がかたちとなったのはチームタイトルだけではない。全118チームが参加した同大会で、最優秀選手賞とベストスコアラーを獲得したのだ。中西は皆本が入学した当初、「エースとして育てたい」と思った。そんな彼女が最後の大会で、他校のどのエースよりも得点を決めた。指揮官は「“最後は自分のところにトスを持ってこい”というかたちになっていました。その辺が、彼女が大学に入って最も成長した部分でしょう。真のエースに育ってくれた」と感慨深そうに語った。

 キャプテンとして、エースとして、有終の美を飾った皆本は大学最後の1年間をこう振り返った。
「プレッシャーもすごくありました。しかし、自分が引っ張っていかなければいけない立場におかれたからこそ、今まで以上にすべてのプレーに対する意識が高くなったと思っています。そして、MVPなどの個人賞は自分の力だけで獲れるものではありません。同級生はもちろん、下の子たちも“4年生のために”という雰囲気で支えてくれていました。優勝して“自分がやったぞ”ではなくて、みんなへの“ありがとう”という気持ちがすごく強かったですね」

 大学ではウイングスパイカーという自らに適した居場所を見つけた。競技人生最大のピンチといえるケガも経験した。そんな4年間を思い返し、彼女は語った。
「最高の終わり方でした」と――。

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(最終回へつづく)

皆本明日香(みなもと・あすか)
1988年2月、徳島県生まれ。城南高、筑波大を経て、2010年、Vチャレンジリーグの上尾メディックスに加入。小学5年からバレーを始める。中学3年時には徳島選抜としてJOC杯に出場。高校時代には春高バレーに2年連続出場を果たし、全日本ユース代表にも選ばれた。06年、筑波大へ進学。大学2年時に左ヒザ前十字靭帯を断裂するも、約半年のリハビリ期間を経て復帰。4年時にはキャプテンとしてチームを関東リーグ、全日本インカレ制覇に導く。09年に上尾へ加入が内定。09−10シーズンは内定選手としてリーグ戦を経験した。正式加入後の10−11シーズンでチャレンジリーグ最優秀新人選手賞を獲得。昨季は同リーグ敢闘賞を受賞した。ポジションはウイングスパイカー(レフト)。豊かなジャンプ力と長いリーチを生かした高さのあるスパイクが武器。身長175センチ。背番号16。



(鈴木友多)
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