ロンドンで熱いレースが繰り広げられた競泳で日本勢は戦後最多の11個のメダル(銀3、銅8)を獲得した。好成績を収めた“トビウオジャパン”の選手たちを、実は山本化学工業もサポートしていた。そのアイテムが、2年前より製品化した“ゼロポジション水着”だ。

 このゼロポジション水着には浮力を付加することで、体の「浮心」と「重心」を一致させる効果がある。これにより、泳ぐ際の体のバランスが向上し、まっすぐ速く泳げるフォームが自然と身につけられるというわけだ。山本化学工業ではゼロポジション水着を初心者はもちろん、トップスイマーの練習用水着としても活用できる製品として売り出してきた。

 過去、数多くのトップスイマーを輩出してきた日本体育大学の水泳部から、このゼロポジション水着について問い合わせがあったのは今年3月のことだった。「“ゼロポジション水着がバランス改良に効果があると聞いたので興味がある”とのお話でした」と山本富造社長は明かす。早速、スタッフが日体大が合宿を張っていた米国アリゾナに飛び、ゼロポジション水着を持参。「着用して練習をしたら、バランスが良くなり、タイムが上がった」と選手たちから好評価を得た。

 このゼロポジション水着の効果があったのか、日体大からは堀畑裕也選手(男子400メートル個人メドレー)、高橋美帆選手(女子400メートル個人メドレー)の2名が見事、派遣標準記録を突破し、代表に選出された。
「当初、日体大では“1人しか代表に選ばれないかも”という見立てだったそうです。それが複数の選手が選ばれ、“ゼロポジション水着のおかげ”とかなり喜んでいただけました」
 そう山本社長はうれしそうに振り返る。

 さらに代表決定直後の合同合宿では、山本化学工業から練習用として、ゼロポジション水着を選手たちに提供することを申し出た。この水着に関して共同で分析を行ってきたびわこ成蹊スポーツ大学の若吉浩二教授の紹介もあり、バラフライの松田丈志選手ら多くの代表スイマーたちが、ゼロポジション水着を着用し、トレーニングを行った。山本社長によると、代表選手たちに進呈した水着は「最終的には20着ほど」にのぼったという。「松田選手は練習で頻繁に使用していたという話も聞きましたし、少しでも本番に向けたレベルアップにつながったのならうれしいですね」と今回の日本勢の躍進を山本社長も喜んでいる。

 もちろん、このゼロポジション水着は国際水泳連盟(FINA)の規定により、大会本番で使用することはできない。4年前の北京で“高速水着”が大きく話題になって以降、FINAは水着の素材や構造、形状について大きくルールの見直しを実施した。現状、水着の素材は繊維のみに限定され、異なる素材を重ねて積層することも禁止されている。また水着が体を覆う範囲についても制限がかかった。「繊維のみで積層がNGになったため、全体的な水着の性能は1990年代の段階までタイムスリップせざるを得ない状況になっています」と山本社長は語る。

 山本化学工業が競泳用水着素材に本格的に乗り出したのは2006年からだ。4年前の北京では「バイオラバースイム」を発表し、話題になった。
「本来、水着は泳ぐ人の能力を最大限に発揮するためのサポートをするもの。いくら水着の性能が良くても、選手に実力がなければいいタイムを出ません。ところが、あの時は高速水着が一世を風靡して、その素材ばかりにスポットライトが当たってしまいました。結果、“この水着では速すぎるから規制しよう”といった誤った方向に議論が進んでしまったのはとても残念でした」
 山本社長は、4年前の高速水着騒動をこう総括する。

 それでもルールはルールである。制約の中で選手の力を最大限引き出す素材がつくれないものか――山本化学工業では2年前に繊維だけでつくった「BRS−TX1.TX2.」を開発。その改良版である「BRS−TX3.」が昨秋、FINAの認可を得て、この春より発売された。「BRS−TX3.」の特徴は「撥水と親水」という二律背反する機能を併せ持っていることにある。繊維に吸着させたミセル分子の働きにより、空気中では水をはじく一方、水中で水圧がかかると水分子を加え込み、膜をつくる。これにより水着の表面は水中で親水状態となり、抵抗を軽減することができるのだ。

 しかも、「BRS−TX3.」はニットを100%活用しており、伸縮性にも優れている。スイマーにとっても着脱がしやすく、体を動かしやすい水着だ。
「多くの他社の水着は素材の厚みを薄くして軽量化を試みていますが、その分、素材が伸び縮みしないため着心地が悪いというデメリットがあります」
 そう話す山本社長によれば、他社製水着素材の厚みの平均が0.3mmなのに対し、「BRS−TX3.」は0.6mmと厚くつくられている。水着が重くなるという欠点はないのか。
「確かに他社製と比べれば、若干重いです。ただ、繊維のすきまの大きいニット素材を使っていますから、倍の厚みでも倍の重さというわけではありません」

 水着が重くなる点を差し引いても素材を厚くしたのには理由があった。FINAの規定では水着について「シークレットゾーン」と呼ばれる下腹部や女性の胸部が透けて見えない構造にするよう定められている。この「シークレットゾーン」の面積が、新しい規定では従来より広がっているのだ。
「ですから結局、他社製もシークレットゾーンの部分は素材を厚くして対応するしかない。すると素材の厚くした部分には水が入りやすくなり、そこに抵抗が生まれるリスクが生じるんです。それなら素材が少々、厚くても一定のほうが効率が良いのではないでしょうか」

 この画期的な新素材「BRS−TX3.」は、世界中の水着メーカーから注目を集め、約20社から採用があった。今回のロンドンでも米国、カナダ、中国、スウェーデン、オーストラリアなどの強豪選手が「BRS−TX3.」を活用した水着を着用し、レースに臨んでいるという。

 今回のロンドンでは男女合わせて8つの世界記録が誕生した。4年前の北京では驚異的な記録が続出し、“高速水着”の影響と言われたが、それを上回るタイムが出ている世界の流れだ。
「記録を伸ばすのは水着の性能だけでもなく、人間の能力だけでもない。その両方がしっかり合わさらないといけないのだと思います。今回の大会がその認識を深めるきっかけになればうれしいです。これからも水着よりが進化することで、選手のポテンシャルを引き出すお手伝いができればと考えています」

 山本社長は「ゼロポジション水着」や「BRS−TX3.」での経験と実績を踏まえた、さらなる展開を考えている。最新のテクノロジーと、選手たちの日々の鍛錬が重なり合い、これからも限界への挑戦は続いていく。

 山本化学工業株式会社