先のロンドン大会で山本化学工業の製品が一役買ったのは競泳だけではない。実は男女のトライアスロンでも同社の製品が使われていた。レース当日(女子8月4日、男子8月7日)、スイムの会場となるハイドパーク内の湖の水温が20度を下回ったため、全選手にウェットスーツの着用が指定されたのだ。このスーツ素材の大半を各メーカーに提供していたのが山本化学工業だった。

「8年前のアテネ、4年前の北京でも当社のウェットスーツ素材は使われていましたが、いずれも当日の水温が高かったため、選手たちはスーツを着用しなかったんです。今回は図らずも、スイムのスタート地点で当社の素材によるウェットスーツが一斉に並ぶといううれしい結果になりました」
 山本化学工業の山本富造社長はそう笑顔を見せる。

 同社が製造するウェットスーツ素材は日進月歩の進化を遂げている。15年前の素材は水中での表面摩擦係数が4.0と皮膚(2.0)よりも高かった。つまり裸で泳ぐよりも摩擦がある素材だったのだ。「当時は浮力を得られることだけが、スーツを着用するメリットでした」と山本社長は明かす。

 改良を重ね、2000年のシドニー大会では水中での表面摩擦係数が0.035と極めて低い素材をつくることに成功する。今年開発された最新型では、この係数はさらに0.021まで低下。かつ素材の重量はシドニーの時より2割も軽くなった。この抵抗を極めて落とせた理由は以前も紹介した「親水性」にある。通常のラバー素材は水を弾く撥水性だが、同社の素材は全く逆で水となじむ。ラバー表面に水中のみで水分子を配列する技術を施すことで、ぬるぬるした肌触りに変え、抵抗を激減させているのだ。

「これにより15年前のウェットスーツと比較した場合、同じ泳力ならアイアンマンレース(スイム3.9キロ)で7〜8分はタイムが短縮しているのではないでしょうか」
 山本社長はウェットスーツの進化がトライアスリートの記録向上に寄与したと考えている。そんな山本化学工業の次なる挑戦は、トライアスロンウェアへの参入だ。

 このほど、国際トライアスロン連合ではユニホームのルールを見直し、2013年より前ファスナーのついたウェアが使用できないことになった。「ファスナーがない分、より素材の良し悪しが選手たちのパフォーマンスにも影響してくる。我々の強みが生かせるチャンスではないかと考えました」と山本社長は参入の理由を語る。

 スイムに関しては同社には水着素材で培ったノウハウがある。伸縮性に富み、かつ水中での抵抗が小さな素材を活用することで、選手たちのニーズに合ったものが提供できそうだ。ただ、トライアスロンにはスイムの後にバイクとランがある。水中のみならず、陸上でも選手たちの力を引き出せる素材を開発する必要がある。
「その点、当社の水着素材はミセル分子の働きにより、空気中では水をはじき、抵抗係数は小さい。これはバイクやランにおいてもプラスに働くとみています」
 山本社長は、そう前置きした上で次のようなプランを明かした。

「実はバイクでもスイムと同様にゼロポジションを保てるウェアを考えています。バイクではサドルの高さやハンドルの位置を調整して、どの選手も前傾姿勢で一番、力が発揮できる状態をつくりあげていますが、疲れてくると腰が落ちて、重心が後ろ側へずれてくる。そうすると当然、スピードが落ちてきます。この重心のズレを極力是正できるウェアを研究中です」
 何より山本社長は小さい頃からの自転車好きだ。中学時代にはお気に入りのパーツを購入し、組み立てて自分専用の自転車をつくったほど。そのスピードを確かめるため、地元の奈良競輪場のバンクへ、タイム計測にたびたび出かけていた。「仕事抜きで、どうすれば最適なウェアができるか楽しみなんです」と山本社長は笑う。

 バイクのゼロポジションウェアが完成すれば、同じ陸上競技であるランでも、その技術は応用できるだろう。スイム、バイク、ランと3つの異なる種目で選手たちのベストを引き出せるウェア――それはトライアスリートにとって“魔法の服”である。

 次回大会のリオデジャネイロは南半球にあるため、開催期間中は冬場にあたる。00年のシドニー同様、水温が低く、ウェットスーツを着用して泳ぐ可能性が出てくる。ウェットスーツとスーツの両方で最高の素材を提供し、選手たちにとって最良の成績を残してもらうことが当面の目標だ。
「トライアスロンの愛好者は年々、増えています。まずはトップアスリート向けの素材を考えていますが、ゆくゆくは一般向けのものも開発できればいいですね」
 山本化学工業は4年後、そして、さらにその先を見つめている。 

 山本化学工業株式会社