日本、銅メダル 〜ノルディックスキー・ジャンプ混合団体〜
ミラノ・コルティナ五輪のノルディックスキー・ジャンプ混合団体が10日(日本時間11日)、プレダッツォジャンプ競技場で行なわれた。丸山希(土屋建設)、小林陵侑(チームROY)、高梨沙羅(クラレ)、二階堂蓮(日本ビール)のメンバーで臨んだ日本は、1034.0点で3位に入り、銅メダルを獲得した。金メダルは1069.2点でスロベニア、銀メダルは1038.3点でノルウェーだった。
ノルディックスキー・ジャンプ混合団体は、男女2名ずつの1チーム4人編成で争う。女子、男子、女子、男子の順番に飛ぶ。今回の五輪では12チームが参戦し、1本目終了時点で上位8チームが2本目のジャンプに進む。
日本の一番手は、個人種目で銅メダルを獲得した丸山。97.0メートルを記録し、118.9点を得た。二番手の小林は100.5メートルで、133.3点。三番手の高梨は96.5メートルの123.4点。二階堂は103.0メートルの141.6点。二階堂は点数を確認すると、笑顔を見せた。
日本は1本目を終え、合計517.2点の2位につけ、2本目のジャンプへと進んだ。
2本目に入っても、日本は大崩れしなかった。丸山は97.5メートルで、122.8点。小林は98.5メートルで134.3点。高梨は97.0メートルで125.6点。アンカーの二階堂は101.0メートルで134点を記録。日本は合計1034.0点とし、二階堂の2本目終了時点で、銅メダル以上を確定させた。
以降、ノルウェーとスロベニアをジャンプが終わり、日本は銅メダルを獲得した。
(文/大木雄貴)
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アルプスの空へ(高梨沙羅)
女子スキージャンプにおいて、「天才中学生」と呼ばれた少女も、もう29歳になった。余りある栄光と思いがけぬ挫折を経て、たどりついた境地とは……。
29歳にして、高梨沙羅は女子スキージャンプの世界ではレジェンドの地位を築いている。
今年12月3日時点でワールドカップ(W杯)における63勝は、男女通じて歴代最多、表彰台116回、シーズン個人総合優勝4回は女子歴代最多だ。
冬季五輪にも、2014年ソチ大会、18年平昌大会、22年北京大会と3回連続で出場している。2026年2月に開催されるミラノ・コルティナダンペッツォ大会にも出場すれば、4大会連続4度目となる。代表選考については来年1月19日時点でのW杯ランキング上位者が選出される。
現在の課題について聞くと、開口一番「テレマーク」という答えが返ってきた。テレマークとは、着地の際に必要とされる技術のことで、前足のひざを深く曲げ、後ろ足のつま先を立て、両手を水平に広げた姿勢が理想とされている。
「私の場合、丈(身長)が低いので、低い姿勢をとるとしゃがんでいるように見える。やっぱり背が高かったり足が長かったりした方が、同じ一足分の踏み出しでも見栄えがいい。これからは(理想のテレマーク姿勢に)少しでも寄せていくことが大事になっていくと思います」
ジャンプ競技は2本飛び、飛距離点と飛型点の合計で順位が決まる。
まず飛距離点だが、こちらは飛んだ距離を得点に換算するもの。ジャンプ台のK点を基準に得点が算出される。
わかり辛いのは後者の飛型点だ。
<20点満点で5人の審判によって採点され、最高点と最低点を除いた3人の得点が採用される。完璧な飛行には20点がつき、飛型点の満点は60点。>(五輪公式サイト)。着地はスムーズに行なわれる必要があり、テレマークが入らなかったり不安定な場合は0・5点単位で減点される。
「飛んでいる時間というのは、だいた4秒から5秒。後半に入ると、ずっとテレマークのことばかり考えています」
そう語る高梨は、8歳でこの競技を始めた。本人によると「スコップでつくった雪のこぶを、ぴょんと飛んだ」のが最初だったという。
出身地の北海道上川町は大雪山の北に位置する人口3000人程度の小さな町だ。古くからジャンプが盛んで、98年長野冬季五輪団体金メダリストの原田雅彦も、この町の出身である。
「兄もやっていた。雪深い土地だったので、友だちの中にもジャンプをやっている子は結構いました。最初は遊びの延長でした」
弱冠14歳で出場した大倉山サマージャンプ大会。少女は女子バッケンレコードとなる141メートルを記録した。
17歳で迎えた初めての五輪は、14年ソチ大会。W杯で13戦10勝の高梨は金メダルの大本命と目された。
ジャンプは追い風よりも向かい風が有利とされる。揚力が得られやすいからだ。ところが高梨は1本目、2本目とも追い風。特に1本目はウインドファクターによる加点が3・1点と出場選手中最多だった。これは最も強い追い風を受けた何よりの証拠である。
大会前、同郷の先輩・原田は「メダルは確実として、あとはどの色を獲るかですね」と私に語った。
それが、まさかの4位。
――運がなかった?
「いや、そういう競技ですから。自然の中でやらせてもらっている以上、それは仕方ないかなと……」
それだけに、4年後の平昌大会での銅メダル獲得には、ホッと胸をなでおろしたという。
「正直、手放しでうれしいという気持ちはありませんでした。支えてもらっているチームの皆さん、スタッフの皆さん、応援していただいている皆さんの期待に、少しは応えられたかなと。その意味で、ホッとした気持ちの方が強かったですね」
4年後、舞台は北京。この大会から混合団体が種目のひとつに加えられた。
ところが、である。一番手を務めた高梨はスーツ規定違反となり、記録なしに終わった。これが響き、追撃むなしく日本は4位に終わった。
責任をひとりで背負い込むかたちとなった高梨は、翌日、自身の公式インスタグラムに、次の一文を載せた。
<私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。謝ってもメダルは返ってくることはなく責任が取れるとも思っておりませんが今後の私の競技に関しては考える必要があります。それ程大変なことをしてしまった事深く反省しております。>
高梨に非がないことは、女子チームの横川朝治ヘッドコーチの「選手は僕らが計測したうえで手渡したスーツをそのまま着る」という証言からも明らかだった。
4年前の出来事を、高梨は神妙な面持ちで振り返る。
「最初はジャンプを辞める方向で考えていました。ただし、今辞めたところで、自分に何ができるのか。続ける以上は、競技のためになることをやっていきたい。未来を担う子どもたちへの環境整備や育成。今もその活動を継続しています」
近年はメークにも注目が集まるようになった。高梨によると、メークによってオンとオフの切り換えをはかっているのだという。
「私にとってはパジャマからジャージに着替えるのと同じ感覚です。ずっとオフの状態じゃいけないし、オンばかりでも疲れてしまう。身だしなみを整え、化粧をし、道具を持って試合に臨む。スイッチをオンにしたりオフにしたりするひとつの手段がメークなんです」
メークばかりではない。香水についても、高梨は独自の考えを持つ。
「私が好きなのはウッディ系。つまり木の香りです。浮いている気持ちを沈め、“今回は攻めていくぞ!”という気持ちになれる。その一方で、過度の緊張を沈めたりもしてくれるんです」
空を飛び続けて20年余。アルプスの空が、彼女を待っている。
<この原稿は2026年1月5日号の『ビックコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>