ほんの数年前まで、サッカー絡みの仕事をしている人間にとって、日本人であることはほとんどハンデでしかなかった。
 取材がしたくてもパス申請でハネられることなど日常茶飯事。取材OKの返事をもらって出かけて行ったさるロンドンのクラブでなぜか門前払いを食らい、抗議したところ「これはお前たちのための試合ではない」とうそぶかれたこともある。
 さすがにこれは特異な例ではあるが、日本人であるがゆえに得をしたこと、リスペクトを受けた記憶はほとんどない。シドニー五輪で柔道を取材した時、日本の選手が登場しただけで引き締まる場内の雰囲気には、だから、痺れるような感動と興奮を覚えたものだった。

 だが、時代は確実に変わりつつある。

 先のロンドン五輪で、日本は史上最高のメダル数を記録した。その原因として環境の整備がまず挙げられていることにはわたしも異存はない。ただ、実はもう一つ、ロンドンの空気、雰囲気も大きく影響していたのではないか、という気がしている。

 過去にわたしが取材をしたアトランタ、シドニーの五輪では、日本人選手を応援しているのは基本的に日本人だけだった。ロンドンでは違った。ウェンブリーで行われた女子サッカーの決勝では、米国人以外のすべての人は日本を応援しているのでは、とさえ思えた。近年の五輪が日本にとって中立地、もしくは敵地での戦いだったとしたら、ロンドンでの戦いは準ホームだった。

 柔道で、ボクシングで日本人選手がひどい判定に屈しかけた時は、まず場内の観客が激しいブーイングを浴びせた。判定が覆ったのは、彼らの反応も無関係ではないはずだが、日本という国に対する親近感がなければ、多くのファンは黙殺するか、あるいは嘲笑さえしていたのではないか。そして、そうした空気の下での戦いであれば、日本の獲得したメダル数はもっともっと少なくなっていた可能性がある。

 マンチェスターUに移籍した香川にまつわる報道を見ていても、似たような感触はある。たとえば中田英寿がボルトンに移籍した時に比べると、信じられないほどシニカルな報道が少ない。日本人だから、と低く見られた時代は終わり、日本人であるがゆえに好意的な目が向けられる時代がきたということなのだろうか。

 経済力が衰えたことによって、脅威として捉えられることがなくなったからなのか、それとも震災からの復興ぶりが胸を打ったのか――。なんにせよ、数年前とは比較にもならないぐらい、日本人選手が力を発揮しやすい環境が欧州に生まれつつある。香川も、むろんチャンスである。

<この原稿は12年8月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから