二宮: 高校の時にプロや社会人、大学からの誘いはなかったんですか?
角中: 社会人に進む可能性はあったのですが、3年夏の県大会もすぐに負けてしまって話が立ち消えになってしまったんです。
 1年でNPB入りを目標に

二宮: そこで四国アイランドリーグに入るわけですが、まだリーグは誕生1年目でした。他の選択肢を考えたことは?
角中: 僕の中では勉強しながら大学で野球を続ける考えはなかったので、社会人の話がなくなった時点で“どうしようか”という思いでした。そんな時、監督からアイランドリーグのトライアウトがあることを教えていただいて、「とりあえず受けてみます」と参加しました。

二宮: トライアウトに合格して高知ファイティングドッグスに入団します。実際にリーグのレベルはどう感じましたか?
角中: そこまで高いとは思いませんでしたね。監督の藤城(和明)さんも、そこまで厳しくはなかったです。プロに行くためにここに来たんだから、何とか1年でドラフト指名を受けられるように、という気持ちでやっていました。

二宮: 藤城さんは、どんな監督でしたか?
角中: 酒と歌が大好きな監督さんでした(笑)。歌手もされていただけあって(ムード歌謡グループの敏いとうとハッピー&ブルーにメンバー入り)、食事会などがあると、いつも歌っていましたね。ちょっとした仮装をして、場を盛り上げていましたよ(笑)。

二宮: 当時は高知県内にナイター設備がなく、夏場の試合は炎天下。練習環境も恵まれていなかったので、夜は公園で素振りをしていたとか。
角中: とにかく四国時代を振り返ると、暑かったことを思い出しますね(苦笑)。ほぼ毎日、昼間の試合が終わって5時くらいから公園で練習をしていました。

二宮: 移動もバスで四国内を転戦しますから、体力的にもキツい時もあったでしょう。
角中: 僕の場合はそれほどツラいとは感じませんでした。高校の時から練習試合で何時間もかけて移動することが多かったので。

二宮: 決して給料もたくさん出るわけではないですから、生活面でも大変だったのでは?
角中: シーズン中の9カ月間だけで月額12、3万円くらいもらっていました。でも部屋は仕切りのある4人部屋でシェアして住んでいましたし、食事も地元の方のご厚意で1食300円で食べさせてくれるところもあり、そこまで苦にはなりませんでした。四国で支えていただいた方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 アイランドリーグがあったから今がある

二宮: 1年間の頑張りが実り、2006年オフの大学生・社会人ドラフトで指名を受けました。指名される予感はありましたか?
角中: 事前にロッテから育成選手として獲りたいというお話はいただいていました。ところが、前日に「下位で指名する」と話が変わったので驚きましたね。
(写真:入団発表では「高知時代は背番号9。今は無理だが、いつかは9番(現在は福浦和也)をつけられるように頑張る」と抱負を語っていた)

二宮: 同じ年にアイランドリーグからは深沢和帆(香川−巨人)、伊藤秀範(香川−東京ヤクルト)が指名を受けています。2人でもリーグでは好投手でしたが、NPBでは目立った活躍ができませんでした。選手の立場からNPBで成功するための条件を挙げるとすれば?
角中: 何なんでしょうね。それは僕にもよくわかりません。ただ、独立リーグに関して言うと、野手の方がピッチャーに比べると伸びしろがある選手が多いのかなと感じます。

二宮: アイランドリーグ時代は愛媛の坊っちゃんスタジアムでも試合をしていました。今回、オールスターゲームでやってきた時には感慨深いものがあったでしょう。
角中: はい。良かったなと思いました。まさか、このタイミングで出られるとは全く考えもしなかったので……。応援にもたくさんの方が来ていただいてうれしかったです。

二宮: 今季のブレイクで“独立リーグの星”とも呼ばれるようになってきました。
角中: ありがたいことですね。やはり僕は四国にやってきたからこそ今がある。僕が活躍することで独立リーグの評価や注目度が上がって、どんどん後に続く選手が出てきてくれればと願っています。

(最終回につづく)
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角中勝也(かくなか・かつや)
 1987年5月25日、石川県出身。右投左打の外野手。日本航空第二高(現日本航空石川)から06年に四国アイランドリーグの高知に入団。1年目で打率.253、4本塁打、28打点の成績を残す。持ち味の打力を買われ、同年の大学生・社会人ドラフト7巡目で千葉ロッテから指名を受ける。ルーキーイヤ―の07年に同じアイランドリーグ出身の西山道隆(福岡ソフトバンク)から初安打。翌年には初本塁打を放つ。昨季は8月以降、1軍に定着。自己最多の51試合に出場し、打率.266だった。6年目の今季は開幕こそ2軍だったが、5月以降は1軍で5番打者に定着。勝負強い打撃でチームに貢献し、独立リーグ出身者では初のオールスター出場を果たした。180センチ、80キロ。背番号61。







(構成:石田洋之)
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