2010年南アフリカW杯の期間中にもぼくはジーコと彼の自宅で会っている。彼の自宅は、リオデジャネイロの中心地から少し離れた新興住宅地のバハ・ダ・チジューカにある。ぼくが初めてブラジルを訪れた1995年頃は、大通り沿いにぽつりぽつりと建物が見えるだけだった。しかし、十数年の間に、高層マンション、ショッピングモールが次々と建ち、中心部の喧噪を嫌った裕福なカリオカ(リオっ子)が集まる高級住宅地となった。自宅と自らの経営するサッカーセンターをこの辺りに作ったジーコには、先見の明があったというわけだ。
(写真:リオは人口600万人を超えるブラジル第2の都市であり、最大の港湾都市でもある)
 大通りからバハ・ダ・チジューカに入るとまず、警備員が常駐する門がある。住宅地と外を隔てるこの門をくぐる度に、街の治安の悪さを思い知らされる。
 ジーコの家はプールと小さなグラウンドを備えた巨大な邸宅である。当時、彼はギリシアのオリンピアコスの監督を解任され、ブラジルに帰国して古巣フラメンゴのテクニカル・ディレクターに就任していた。

「ブラジルのクラブの腐敗をいつも批判していた貴方がこの国で仕事をすることになると思わなかった」
 ぼくが言うと、苦笑いした。
「これまで世界中を転々とする生活が続いていたので、ブラジルにいようかと。ずいぶんこの国から離れていたからね。孫も出来たので、そばにいたいという気持ちも強かった」

 そして、南アW杯でベスト16に入った日本代表と岡田武史監督を褒めた。
「過去の選手を全て外して、新しい選手を起用する監督も少なくない。ただ、それは強化の流れを妨げることになる。今回の代表の中に、大久保(嘉人)や駒野(友一)たち、ぼくが代表にデビューさせた選手が6人も入っていた。岡田は、以前から代表にいた選手と、新しい世代の選手を融合させて効率良くチーム作りをした。松井(大輔)、長谷部(誠)、大久保たちの新しい世代の選手たちは、国外でのプレー経験がある。だから彼らは外国の代表と相対しても物怖じするところがない。ぼくが一緒に戦ってきた選手たちを、さらに育ててくれたことは嬉しい」
 太って大きなお腹を抱えるジーコは、心なしか表情が柔和になった気がした。

 初めて彼に会った時もこのプールサイドだった。
 94年アメリカW杯で優勝したブラジル代表を「全員で守って2人で攻める。あれがブラジルのサッカーなのかね」と顔を真っ赤にして批判した。自分たちがW杯で優勝を期待されながら、それを達成できなかった悔しさをまだ抱えていた。サッカー界であれだけの名声を得ながらもまだ不満なのかと面白く思った。
(写真:ジーコ・サッカー・センター(CFZ)はバハ・ダ・チジューカの外れ、ヘクレイオに位置する。訪れる度に周囲の風景が変わる。)

 あれから20年近くが経ち、色とりどりの花が咲くプールサイドで子どもや孫に囲まれる姿はまさに人生に満足した男の姿だった。
 資源バブルで浮かれるウズベキスタン、モスクワにならともかく、戦争で荒廃したイラクに向かう必要はないはずだった。にもかかわらず、ジーコは昨年8月にイラク代表の監督に就任した。

 ぼくがジーコに再会した今年3月の段階で、彼にはイラクサッカー協会から給料が支払われないという問題が発生していた。日本代表の時と同じように、弟を助けるためにコーチに就任していたエドゥーは、「ずっと給料が支払われていないんだ。だから、俺はイラク代表の仕事をしない」と怒りをぶちまけた。その言葉をジーコに伝えると「余計なこと言いやがって」と厳しい顔になった。こうした情報が広まると、チームのマイナスになることをジーコは心配したのだ。

「今のイラク代表は、困難を乗り越えてきたチームであり、経験ある選手が残っている。今のチームのうち、十数人は30歳過ぎの選手だ。日本代表と試合(04年2月12日、国立競技場)した選手も残っている。覚えているだろ? あの鹿島の合宿で寿司を投げた事件があった時だよ」
 ジーコは目配せした。日本代表の合宿中に選手たちが、宿を抜け出して酒を飲みに出かけた、『キャバクラ事件』である。

「(当時からイラク代表の)彼らは一度もW杯に出場したことがない。今回の予選が最後のチャンスになるだろう。だからこそ、モチベーションが高い。イラク代表の選手たちは、日々のまともな生活を送ることも困難だ。そうした選手をW杯に連れて行ってあげたいという気持ちは強い」
 どうして、イラク代表だったのか――。そのもやもやしていた疑問が晴れたような気がした。
「イラクは年上を尊重しすぎる風潮がある。若手の力を削がないようにうまく若手選手を混ぜながらチームを作っている」

 そして、ジーコの負けず嫌いは健在だった。彼が初めてイラク代表の指揮をとった、ブラジルW杯アジア3次予選のヨルダン戦(11年9月)の敗戦の話を振ると、むっとした顔になった。
「内容的には悪くなかった。ボールがポストに当たったり、運が悪かった。そして何より、引き受けたばかりでチームを把握していなかった。中心選手のひとりが内転筋に故障を抱えていた。選手を入れ替えるのにも、前の試合の起用を参考にするしかなかった。ところが、それが正しいものじゃなかったんだ。あの試合の選手を招集したのはぼくじゃない。中には協会関係者と親しいからという理由で入っていた選手もいた。彼らを試合で使っているうちに、誰が必要で、誰が不要か分かった。(当時のメンバーから)今では5人程度の選手を入れ替えている」

 結果として、イラク代表が3次予選で敗れたのはこの1試合のみ。5勝1敗の好成績で最終予選に通過した。先日、日本代表に0対1で惜敗したのは、彼とイラク代表にとって、昨年9月以来の2敗目となった。

 次のW杯はジーコにとって特別な大会になる。
「母国で開かれるW杯に出ることは、強いモチベーションになっている。監督業を再開すると、またメディアにぼくの名前が取りあげられるようになった。サッカー界で注目されて、身が引き締まる思いだよ。
 確かにイラクの状況は良くない。ただ、日本に勝っている面もないわけではない。アジアの中で、イラク人は体格的に抜きんでている。さらに技術もある。日本にあるようなトレーニングセンターがあれば、どれほどいい選手が出てくるだろうかと思う。もちろん、そうしたものがないから、彼らの戦おうという強い気持ちがあるんだけれどね」
(写真:現役時代を含めて5度目のW杯出場を狙う)

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に勤務。2000年より退社して、文筆業に入る。『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)など著書多数。最新刊は、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社 2011年12月2日発売)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。
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