「ファンタジスタ」。この言葉が最も似合うのは“アズーリの至宝”ロベルト・バッジョだと私は思っている。
 バッジョに対する思いは尽きないが、一番といえば、それは1994年のアメリカワールドカップだろう。右足アキレス腱と大腿を傷め、歩くことすらままならない状態ながら、決勝トーナメントのナイジェリア戦、スペイン戦、ともに彼は90分を目前にして奇跡的なゴールを決めた。

 ナイジェリア戦では言葉を失った。わずか1秒のために、90分のほとんどを犠牲にした。わずかひと蹴りのために、おびただしい時間を棒に振り、乾坤一擲のチャンスを待ったのだ。

 右足によるシュートは硝煙の微臭すら漂わせない戦慄の芸術弾だった。哲学者の風貌をしたイタリアの「10番」は傷つき疲れ果てたあとも比類なき天才であり続けた。

 どうにかファイナルにコマを進めたものの、もうバッジョの体はボロボロだった。決勝のブラジル戦はスコアレスのままPK戦に突入。5人目のキッカーとして登場した彼のシュートは無情にもクロスバーの上を越えた。その瞬間、灼熱のローズボウルのスタンドの半分が悲鳴に包まれた。悲劇の主人公は腰に手を当てたまま身じろぎもしなかった。

「ルールは受け入れなければならない。でも我々はPKで負けたのであってフィールドで負けたのではない」

 監督のアリーゴ・サッキは悔しさを押し殺すような口ぶりでそう言った。

 実はその4年前のイタリア大会でも、イタリアはPK戦で涙をのんでいる。準決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンと死闘を演じた末に、ロシアン・ルーレットの犠牲者となったのだ。

 2度あることは3度ある……。98年のフランス大会。準々決勝のフランス戦。スコアレスのままPK戦にもつれ込み、イタリア5人目のキッカーはルイジ・ディビアッジョ。右足から強く放たれたシュートはクロスバーを直撃し「コーン!」という鈍い金属音を発して、ピッチの外ではねた。諸行無常の鐘の音……。

「これをのろいといわずして、いったい何と呼べばいいのか……」。監督のチェーザレ・マルディーニはポツリと言った。神学論争に一度も参加したことのない俗人が運命論者に転じるのは、きっとこういう時だろう。

「ディビアッジョの気持ちはよくわかる。けれども、4年前の僕の方がもっと辛かった。あの時は光り輝くカップが手を伸ばせば届くところにあったのだから……」

 崩れ落ちた仲間を引き起こしながらバッジョは言った。スタジアムを去るバッジョに、ひとりのファンが一輪の花を手渡した。あれは、いったい何の花だったのか……。

<この原稿は『VISA』の2005年6月号に掲載された記事を一部修正・加筆したものです>
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