国会が閉会し、最近は東京よりも地元で活動する時間が多くなっています。「国民の生活が第一」に入党し、愛媛県連が立ち上がったこともあり、皆さんへの報告会や挨拶周りなど、県内をあちこち移動している日々です。
 そのせいか永田町での民主党代表選、自民党総裁選が、どこか遠い世界の出来事のような気がしました。遠く感じるのは、テレビなどのメディアを通じて流れてくる各候補者の主張に実感を持てないせいもあるのでしょう。日本をどうすべきかという明確なビジョンよりも、単なる自己アピールに重点が置かれている感覚は否めませんでした。

 県内を回っていると「民主党もダメだけど、自民党に戻る気もしない。次の選挙では投票するところがない」との声をよく耳にします。「どこがやっても一緒」。政治に対する不信感が高まっているのは肌で痛感しているところです。

 ただ、それでも実際に話をすれば、多くの皆さんが政治に関心を持っていることも分かります。関心があるからこそ、どこに託していいのかわからないという悩みも生まれるのでしょう。こういった葛藤する人々の意見をすくいあげることも僕たちの使命だと考えています。

 橋下徹大阪市長が代表を務める日本維新の会も誕生し、「近いうちに」行われるであろう総選挙や、来年夏の参議院選挙はどの選挙区も立候補者数が増え、混戦が予想されます。おそらく単独で過半数を獲るところはないでしょう。いくつかの政党が連立をしなければ政権運営はできません。国民の立場からみれば、複数の党が政権参加し、自分たちの意見がより通りやすい政治状況と捉えることもできます。その意味では、混迷した政治状況は、成熟した民主主義社会への第一歩になのかもしれません。

 スポーツの世界では五輪に続き、パラリンピックが開かれました。これまでと比べると日本でもパラリンピックへの報道量が増え、障害者スポーツの認知度が上がっていることを感じた大会でしたね。ただ、過去最多の38個のメダルを獲得した五輪と比べれば、国としてのバックアップが不十分だったとの声が現場からは届いています。

 たとえば、文部科学省の事業で現地に設けたマルチサポートハウスはパラリンピックの時には閉鎖されていました。僕も五輪の際に、このマルチサポートハウスを現地視察しましたが、まさにアスリートにとってはかゆいところに手が届く施設になっていました。トレーニングやマッサージルームはもちろん、日本食が用意された食堂、減量もできるサウナや情報分析ルーム……。5億4000万円という金額が妥当がどうかはさておき、サポートハウスは選手に好評だったと聞きました。
(写真:疲労回復用のプールもあった)

 せっかく現地につくった施設ですから、パラリンピックでも引き続き活用できたはずです。しかし残念ながら、ここで縦割り行政の弊害が出てしまいました。パラリンピックは厚生労働省の管轄になるため、期間中の費用負担やスタッフの確保ができなかったのです。またマルチサポートハウス自体、五輪を前提にしていたため、バリアフリーになっていなかったとの問題もありました。

 パラリンピックでは五輪以上にサポート体制の有無が成績を大きく左右している現実があります。昨年制定されたスポーツ基本法では、パラリンピックも国がバックアップする国際競技大会のひとつとして明文化されました。文科省と厚労省は担当者レベルでは同じスポーツの枠組で連携をとりつつありますが、それがもっと大きな流れとなるよう僕も働きかけていく考えです。 

 秋に開会されるであろう臨時国会では通常国会でできなかった特例公債法案や、衆議院の選挙区格差の是正などが、重要課題として浮上しています。スポーツ政策ではスポーツ振興くじ(toto)の改正案を超党派でまとめる予定です。現状ではJリーグのみに限定し、オフシーズンには実施できないtotoを通年で実施できるようにし、対象競技を広げることを目指しています。

 新たにくじの対象となる競技にはラグビーやバスケットボール、アイスホッケーなどが挙げられます。競技によって、予想のシステムを構築しなくてはならないため、法案が成立しても実施には少し時間が必要でしょう。当面はサッカーでJリーグのオフシーズンに開催される日本代表戦やプレミアリーグの予想でくじを販売する流れになりそうです。

 代表戦をtotoで予想するとなると、1試合しかありませんから、やり方には工夫が必要です。民間からは得点の時間帯を5分〜10分単位で予想するといったプランが出ています。これらによってtotoの売上を増やせれば、スポーツの環境整備や普及面でも今まで以上に支援ができます。また2019年のラグビーW杯、20年の東京五輪・パラリンピックの会場となる国立競技場の改修費用にも役立てることができるでしょう。

 季節はまさにスポーツの秋。体を動かすには最適な時期になってきました。スポーツの力で日本が元気にするためには、まだまだ、取り組みべき課題はたくさんあります。まずはこの法案を早いタイミングで国会に提出し、成立させることで、ぜひ実りの秋にしたいものです。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
>>友近としろう公式HP
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