幼少期、少年時代を過ごしたクラブは、誰にとっても大切な存在である。ラウル・ゴンザレスにとって、それはアトレチコ・マドリードであり、チームのフロントが経費削減のためにユースチームを解散させたりしなければ、彼はサンチャゴ・ベルナベウではなく、ビセンテ・カルデロン(Aマドリードのホームスタジアム)のアイドルになっていたに違いない。
 そして、そのまま消えていたかもしれない。
 子供の頃から熱狂的なアトレチコ・ファンだったというラウルにとって、宿敵とも言うべきレアル・マドリードへの移籍は、決して愉快な経験ではなかったはずである。だが、居心地のいい古巣から放り出されたことで、引っ込み思案だった少年はそのままの自分ではいられなくなった。いられなくなったことで、彼はそれまでにはなかった資質を獲得していった。

 たくましさ、という資質である。

 中村俊輔がマリノスから、本田圭佑がガンバから一度は「ノー」を突きつけられたのはよく知られた話である。その時に彼らが受けた衝撃や挫折感は、並大抵のものではなかったはずだが、2人はいずれも、沈み込んだ感情を跳ね上がるためのエネルギーに変えた。

 半年前、名門ヴェルディは背番号10とキャプテンマークを19歳のレフティに託した。クラブ史上最年少の主将となったのは、ジュニアユース時代から大器として期待されていた小林祐希である。
 だが、才能は、期待にこたえられなかった。

「主将らしくしなきゃ、和を大事にしなきゃと考えすぎて、精神的にグチャグチャに。それでプレーまでおかしくなってしまって」

 チームを引っ張るはずだった小林は、やがてベンチを温める機会が増えるようになった。チームは低迷し、川勝監督は更迭された。
 小林も、チームを離れた。

 常識的に考えて、J2でうまくいかなかった選手の移籍先は、所属していたチームよりも下位の、あるいは下部のカテゴリーのチームとなるのが普通である。だが、小林の場合は違った。J1の、それも優勝争い真っただ中にあるジュビロへの移籍が決まったのである。
「ユースの頃から見てるんですが、リズムを変えられる、間違いなく特別なものを持った選手。ヴェルディで試合に出てないのであれば、ぜひにと思いまして」

 森下監督の期待は、いまのところまだ形となって表れたわけではない。だが、未知なる環境への移籍によって、小林は忘れかけていたものを取り戻しつつある。

「ああ、自分のいい時って自分がやってて楽しいと思える時だったなあって」

 まだ明らかに線は細い。足りない点が山ほどあることは本人もよく自覚している。ただ、挫折を知った左足は、時に大化けをすることがある。ジュビロの背番号50からは、偉大な先達たちと同種の気配が漂い始めている。

<この原稿は12年9月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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