WBCの敗北は日本サッカーにとっても教訓
古橋広之進さんが世界記録を出した時、あるいは白井義男さんが世界王者になった時を知っている方なら、分かるかもしれない。54年のW杯スイス大会を記憶しているドイツ人であれば、間違いなく理解してくれる。スポーツおける飛び切りの朗報は、時に荒廃しきった国と人を明るく照らすことがある。
おめでとう、ベネズエラ。
過去の五輪において4つの金メダルしか獲得したことのない国にとって、あらゆる団体競技で一度も世界一になったことのない国にとって、そして国情不安に直面している国にとって、今回のWBC優勝は未来永劫語り継がれていく偉業となるだろう。極めて高い確率で、来年以降、3月17はベネズエラの祝日になるはずである。
準々決勝で彼らに敗れたあとの日本では、一部選手に対する中傷の嵐が吹き荒れた。暴論の根幹にあったのは、「なぜベネズエラごときに負けた?」という傲岸不遜な視点だろう。それがとんでもない思い上がりだったことが結果によって明らかになった以上、あまりにも無意味で非建設的な個人攻撃が収束に向かうことを期待したいが、さて、どうなるか。
なぜ勝てなかったということについては、今後のためにも検証していく必要がある。もちろん理由が一つであるはずもないのだが、個人的にひっかかっているのは日本が喫した本塁打である。
今大会の日本は、合計で6本の本塁打を許した。5試合で6本。それほど破壊的というわけではない。ただ、打たれた本塁打がすべて同じ球種――150キロ超の速球だったという事実には、ちょっと考えさせられるものがある。
つまり、狙われていたのではないか、と。
国際大会における高め速球の有効性は、合宿の段階から日本選手の間に広く浸透していた。きっかけをつくったのはダルビッシュの助言だったと思うが、それが間違っていた、というわけではない。相手打者が予想をしていないタイミング、カウントで投じられるのであれば、素晴らしく有効な選択肢ではある。
だが、ダルビッシュによる提言が他国にも知られていたとすると、話は変わってくる。4戦全勝で乗り切った東京ラウンドにしても、韓国、オーストラリアの打者は日本投手陣の速球をスタンドに放り込んでいた。
その異変に気づいていれば、今度はダルビッシュの言葉を逆手にとって低めで勝負する、という選択肢がありえたかもしれない。ただ、4戦全勝という結果はあまりにも甘美だった。現場も、メディアも、わたしも、勝利の陰に潜んでいた異変を完全に見逃していた。ベネズエラが高めの速球に的を絞り、低めを完全に捨ててくるなどとは考えもしなかった。
この敗北は、だから、日本サッカーにとっての教訓でもある。というより、教訓にしなければならない。
スポーツに限らず、歴史を紐解いてみても、弱者として世界に挑む際の日本は、常に検挙で探求心に満ちている。だが、ひとたび結果を残し、自分たちの実力に自信を持つようになると、途端に傲慢さ、独りよがりの視点が顔を覗かせる。今回のWBCの敗戦は、一部選手の責任ではない。日本人の悪癖が露呈したがゆえの敗北だとわたしは思う。
日本は、常に相手を見なければならない。そして、常に相手から見られていることも意識しなければならない。そう痛感させられた、今回のWBCだった。
<この原稿は26年3月19日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>