WBCが示した国の印象を変える力
28年前のW杯のことを思い出してみる。対戦相手はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカだった。バティストゥータは凄い。スーケルは厄介。ジャマイカは……。知りたかったのは、知っていたのはピッチ内のことに限られていたし、試合が終わればすぐに関心は失われた。
それが明らかに変わってきたのは、わたしだけだろうか。
WBC、滅茶苦茶に面白い。日本だけが日程に恵まれているのは少々後ろめたいが、この大会に懸ける各国の熱量は着実に増大している。第1回大会当時、日本戦ですらチケットがダブついていたことを思えば、平日の午後に台湾の人たちで東京ドームが埋まる現状は、ただただ隔世の感がある。
熱量の高まりは、当然、試合をアツくする。台湾対韓国戦、感動した。韓国対オーストラリア戦はジェットコースターのようだった。巨敵に立ち向かうチェコの姿には胸を打たれた。
その余韻が、なかなか消えないのだ。
野球だからか? 違う。あくまでも個人的な記憶だが、対戦が終わってもその存在が脳裏から消えなかったのは、スポーツの舞台に場違いな愛国心を持ち込んだ国のみ、だった。戦ったことでその国に対する印象が変わったり、いわんや好感度が増したりしたことはまずなかった。
それがどうだろう。今回のWBCを見たことで、わたしの中での台湾に対する好感度は確実に上がった。涙をこらえて胸を張ったオーストラリアや、全敗にも毅然とした態度を貫いたチェコに対しても、間違いなく親近感は高まった。
失礼を承知でいわせてもらえば、WBCにおける野球は、まだ「国民性を表す」という次元には達していない。日本は例外として、参加している多くのチームは、まだその国の国民性や現状をイメージさせてくれる次元にはない。サッカーやラグビーでは多様な人種で代表を構成しているオーストラリアは、野球ではかつての白豪主義を思わせるメンバーでしか構成できていないのが現実である。
ただ、そんなオーストラリアの野球が、わたしの中での好感度を高めるだけの力を発揮した。以前とは比べ物にならないほど多様化、細分化されて届く圧倒的な情報量は、いままでは見えなかった背景までをも映し出す。それを知ることで、少なくともわたしは、オーストラリアやチェコ、台湾に感情移入をするようになった。
これがわたしだけの話ではないとすると、スポーツというコンテンツは、いままで以上に巨大化する。なぜか。そこでの戦いぶりや選手の行動、さらにはファンの振る舞いまでが世界に伝えられ、その国のイメージがかたどっていくことを意味するからである。
世界広しといえども、自分の国のイメージなんてどうでもいい、と考えている国はほとんどない。どうにかして好感を抱いてもらうべく、多くの国でエリートたちが知恵を絞っている。
もちろん、これまでもスポーツをイメージ向上、国威発揚に利用してきた国は多々あった。だが、彼らが目指したのはあくまでも結果であり、手にできたのは他者からの畏怖どまり。好感度を高めることはできなかった。
ひょっとすると、近い将来、スポーツがその国のイメージ作りに今まで以上の、より決定的な役割を果たす時代が来るかもしれない。WBC以上に多くの人が観戦するW杯は、世界最高峰の媒体となる。
<この原稿は26年3月12日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>