山下侑哉(サンベルクス陸上部/愛媛県西予市出身)第2回 卒業文集に書いた夢

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 サンベルクス陸上部に所属する山下侑哉は、愛媛県西予市の明浜町で生まれ育った。「陸上を始めたのはいつから?」と質すと、こう返した。

 

順天堂大学の選手として第90回箱根駅伝の5区を走る山下。写真提供:本人

「明確な年齢がわからないんです。父が高校から陸上をやっていて、社会人(中学の体育教師)になっても地元のクラブで続けています。その影響を受けて物心がつく前から、僕も走っていたみたいなんです」

 

 父・秀一の説明。

「私が明浜体協というチームで陸上をやっているので、侑哉もその練習についてきて、一緒にちょこちょこ走っていたんです。だから、何歳から始めた? と聞かれても確かにわからない……」

 

 本人に陸上人生のキーマンを聞くと「小学校5、6年時の担任、(西河)拓郎先生」と答えた。

 

 これを受け、西河は語る。

「私が臨時講師として俵津小学校に赴任した1998年(平成10年)に、侑哉くんは入学しました。1年生の時は彼と接点がなかった。翌年から私が教員として本採用となり、別の学校に移動となりました。そして2年後、侑哉くんが4年生の時に私は俵津小学校に体育主任として戻ってきた。彼は、その頃には長距離ランナーとして既に頭角を現していました」

 

 明浜町では、毎年1月もしくは2月に新春駅伝大会が行われる。コースは旧・田之浜小学校~俵津公民館の7区間(16.9キロ)だ。小学生の部には4年生からエントリーできる。再び、西河。

 

「侑哉くんは4年生で唯一、メンバーに入った。4年生でアンカーを任せました。5年生の時は登り坂がきつい1区を、6年生は各校のエースが集う5区を走ってもらった。全て区間新記録を達成しよった。当時は、どの区間の記録を“山下侑哉”に上書きするかを考えるのが私の楽しみだった(笑)」

 

 意外にも、侑哉にとって小学生の一番の思い出は駅伝大会ではなく「6年生の時の陸上大会」だという。それについて本人は、こう述べた。

「6年生の時は、個人100メートルとリレー(4人×100メートル)にエントリーしました。明浜町、西予市と勝ち進むと県大会に出場できる。リレーで必ず県大会に出場しようと拓郎先生とメンバーと練習に打ち込んだ記憶があります」

 

 西河率いるチーム・俵津小はバトンパスの練習に力を入れた。侑哉は「バトンを渡す際、くつ何足分か長さを測り、ベストな距離を探し、ひたすらバトンパスを磨いた」というのだ。

 

 西河は言う。

「バトンパス以外に、当時はダッシュ力を向上させるためにみかん山の登り坂をみんなで走りよった。“坂ダッシュ100メートル10本いくぞーっ!”とか言ってやりよったねぇ」

 

 

 目指せ順天堂!

 

 リレーの練習は、お盆明けからスタート。夏休みが明けると朝と放課後の時間を使い、10月の明浜町大会は臨んだ。侑哉をアンカーに据えたチーム・俵津小は西予市大会に進出した。しかし――。

「西予市大会で、2-3走間でバトンミスが生じ、県大会にはいけませんでした。僕は、個人100メートルで県大会には出たけれど、その喜びよりもリレーで負けた方が悔しかった」

 

 西河は悔やむ。

「あのバトンミスは私の責任で起きた。2-3走間は練習でも一番パスがスムーズだったので失敗するとは思わず……。当時の私は体育主任になって3年目。自分の経験が足りなかったし、“絶対に県大会に行ける”と私自身に慢心があった。あのミスからバトンパスを研究して、子どもたちを指導するようになったんです」

 

 再び、侑哉。

「小学4、5、6年生の3年間で、何かに対して本気で打ち込む大切さを学びました。やっぱり、それは拓郎先生なしには語れないかなと思っています。小学生相手に、本気で向き合ってくれましたから」

 

 西河にこれを伝えると、恥ずかしそうに語った。

「侑哉くんと接したのは、私が29~31歳の間。小中高大学、さらには社会人サッカーをやっていた私は体力に自信があったので、侑哉くんたちと一緒に走っていた。4、5年生くらいの時は私が勝っていたけど、侑哉くんが6年生になると、すごかった。本気を出さないと私が負けそうだった(笑)」

 

 侑哉は、小学校の卒業文集に「順天堂大学に入って箱根駅伝を走る」と書き、順天堂のユニホームを着て走る自画像を描いた。なぜ、順天堂だったのか。

「4年生の時に、父と箱根駅伝をテレビで見ていた。当時、順天堂が強かったし、ユニホームが格好良く見えた。父は順天堂に進学したかったと聞いたので、それも影響して順天堂に憧れたんです。拓郎先生は、小学生の僕に真剣にアドバイスをしてくれた」

 

山下が卒業文集のフリースペースに書いた絵。順天堂大学のユニホームを着ている自分を書いた。写真提供:西河拓郎さん

 懐かしそうに、西河は振り返る。

「いま、かたちとして残っている物が卒業文集しかないけど、侑哉くんは4年生の時から作文に“順天堂大学に入って箱根駅伝を走る”と書いていた。“コイツ、すげぇな!”と思いました。サッカー選手や野球選手になりたいと、ぼんやりと言う子はたくさんいますが、これほど具体的な夢を語る生徒は後にも先にも侑哉くんだけ。この子なら本当に叶えるかもと思って私は、“順天堂以外にもこの大学なら箱根に行けそうだ”とか、“順天堂と、ここの大学なら教員免許も取れるぞ”とアドバイスしよったね」

 

 目指せ順天堂! だが、進路先の高校は、周囲の予想とは違っていた。

 

(第3回につづく)

 

<山下侑哉(やました・ゆうや)プロフィール>

1991年12月23日、愛媛県西予市生まれ。父親の影響で幼少期から長距離走を始めた。俵津小学校、明浜中学校、宇和高校を経て2010年4月、順天堂大学に入学。4年時には第90回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の5区を走った。2014年3月、株式会社サンベルクスに入社。同社陸上部の1期生となる。2024年2月、延岡西日本マラソンで自己ベストを更新(2時間11分37秒)。同年3月に選手兼コーチとなった。2026年3月より「ビジネスアスリート」という新たな肩書きに変更。フルタイムで勤務しながらフルマラソンの自己ベスト更新を目指し、競技に取り組んでいる。

 

(文/大木雄貴、写真提供/山下侑哉、西河拓郎)

 

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