「これが、最後のスターだったのかなあ」
 知人の巨人ファンが、ふと、そうつぶやいた。松井秀喜の引退会見である。
 もちろん、すべての巨人ファンが共有する感覚ではあるまい。松井がメジャーに移籍して以後も、巨人は次々とスターを生み出してきた。
「でも、純粋なスターは松井までだったような気がするんですよね」
 いまさら、誰がどう、というようなことはあげつらわない。報道の中には、根拠のない噂のたぐいもあっただろう。いずれにせよ、すべては、ドラフト制度の範囲内でのことである。少なくともそう認定されている。ただ、松井には、入団のいきさつからして、ドラフトで当時の長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)がクジで引き当てた、というこれ以上ない明快さがある。甲子園の怪物から巨人の4番へ、という、日本球界ではもっともわかりやすい“成功物語”の道筋を、彼は歩んできた。ここに、松井と、松井以後のスターの分水嶺がある。

 象徴的なのは、「20年間の現役生活でもっとも印象に残ることは?」という質問に対する答えである。こういう場合、通常、なにかエポックになった試合とか、あるいはそういう瞬間を挙げるものだ。しかし、彼は、「長嶋監督と二人で素振りをした時間が、一番印象に残っているかもしれない」と答えたのである。

 長嶋監督は、「巨人の4番に定着させるための1000日構想」なるものを打ち出して、松井を鍛えた。「構想」の内実は、もしかしたらひたすらバットを振り続けることだったかもしれない。よもや、1000日分のカリキュラムが綿密に組まれていたわけではあるまい。それって、監督ではなくて、打撃コーチの仕事ではないか、と言いたくもなる。ただ、そこには「甲子園の怪物から巨人の4番へ」という、誰もが心情的に支持したくなる、スター誕生の物語が胚胎していたことは、見逃してはなるまい。

 長嶋監督もまた、「個人的には、二人きりで毎日続けた素振りの音が耳に残っている」とコメントした。つまり、この明快で曇りないスター誕生物語に対して、当の本人たちも自覚的であったということだ。
 この「1000日構想」(と略す)については、もう一つ、見逃してはならない側面があると思う。今の世の中だから、よけいに、と言うべきだろうか。それは、この構想が理念を語っている、ということである。「巨人の4番」というのは、極端に言えば、すべての日本人が納得し、待望する理念だったのだ。
 
 つい、「今の世の中」という言い方をした。たとえば、「原発のない社会を構想する」というのは、理念ではないだろうか。いや、もちろん、さまざまな現実があり、困難があり、軽々に言える問題ではないことは承知している。私ごとき、なにか妙案をもっているわけではない。しかし、だからこそ、理念なら語りうる。語り続けることができる。それは、広く政治にも望まれるべきことだろうと愚考するのだが。

 あるべきホームランの姿

 日本野球に戻ろう。
 東北楽天イーグルスは、本拠地・Kスタ宮城の両翼にラッキーゾーンを新設するそうだ。これまで両翼101.5メートルで、12球団の本拠地でもっともホームランが出にくいといわれた球場を、よりホームランが出やすくするのが狙いだという。
 たしかに、ホームランは野球の華である。球場で、ホームランになる打球の軌跡を、打者がバットでとらえた瞬間からスタンドに届くまで見届ける快感は、何物にも代えがたい。野球少年ならずとも、一生の記憶として脳裏に刻みこまれる経験である。

 だからといって、それは狭い球場と飛ぶボールによって安易にもたらされるべきものではないだろう。飛ばないとされる“統一球”の導入は、加藤良三現コミッショナーの英断だったというべきである。ほかの局面でのとかくの対応はさておき、少なくともこの件については、コミッショナーは理念を貫いたと評価していい(それが後戻りしないことを切に祈る)。
 Kスタ宮城は、本拠地球場としての昨季の本塁打数は38本で、12球団最低だったのだという。
 別に楽天の選手に限ることではないが、統一球で広い球場で、それでもホームランを打てる打撃技術を磨くべきである。それが、日本野球が強くなる、あるいはもう1ランクレベルアップする道だ。

 ホームランになる打球は、多くの場合、まず低い弾道で飛び出し、それからジェット機が離陸するように、急速に空に舞い上がっていくものである。この軌道が美しい。だからこそ、目で追うだけで快感を得られる。それにひきかえ、外野フライに終わる打球は、グイッと上昇するエネルギーに乏しい。高く舞い上がるけれども、そこから伸びるのではなく、失速する。
 後者の打球は、球場のサイズやボールの質の恩恵でホームランになるべきではない。この二種類の飛球の結果がはっきり分かれる試合環境こそ、あるべきプロ野球の姿である。

 選ばれしスター選手の歩む道

 あるいは、今季の阪神の打線。きっと1番は西岡剛(千葉ロッテ−ツインズ)なのだろう。4番かどうかは知らないけれども、少なくともクリーンアップの一角には福留孝介(中日−カブスほか)が入るだろう。
 FAという制度を前提として、現在のプロ野球は成立している。したがって、阪神には、いわば当然起こるべきことが起きたといっていいだろう。
  
 翻って、再び松井の会見。「巨人はふるさとのようなチーム」と語り、巨人とヤンキースの「2チームにはやはり特別な思いがある」と続けた。
 もちろん、松井はスーパースターだからこそ、巨人、ヤンキースという日米の名門2チームだけで、キャリアのほとんどの時期を過ごすことができた。普通の一流選手には、このような特権的なキャリアを選ぶことはできない。FAによって、自らをより高く評価するチームに移籍するのは、一流プロ野球選手のあるべき姿といってもいい。とはいえ、かのデレク・ジーターは、おそらくヤンキース一筋であるがゆえに、特別なスーパースターであり続けている。おそらくは、日本よりもよほどFAというシステムが社会に浸透しているアメリカにおいてさえ。

 松井の場合、入団の経緯も、入団後の成長過程も、メジャー移籍後の苦難と栄光(なにしろワールドシリーズのMVPである)も、すべての条件のそろった、曇りないスターであった。だからこそ、冒頭に紹介した知人の「最後のスター」という言葉が出てきたのだろう。
 蛇足のように付け加えれば、巨人と並ぶ人気球団である阪神の選手育成には、理念はないのだろうか。金本知憲、城島健司、新井貴浩、そして今回の西岡、福留。人気名門球団であれば、真のスターは松井のごとく、あるいはジーターのごとく、育成によって自ら育てるという理念を、明確にすべきではあるまいか。

 理念を語るヒマがあったら、目の前にあるたとえば経済や社会の不安を解消すべきである――今、われわれは、否応なくそういう時代に生きざるをえなくなっている。どんな企業であれ組織であれ、それはまぬかれえない。2013年とは、そういう年なのかもしれない。
 ただ、とはいえ、やっかいな本質は置き去りにしていい、ということにはなるまい。だからこそ、日本野球よ、理念を語れ!

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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