今年のプロ野球キャンプの話題は、おそらく北海道日本ハムの大谷翔平が独占することになるのだろう。当然といえば当然。なにしろ、投手と打者の二刀流なのだ。どちらでいくべきか、本当に両立できるのか、誰だってキャンプを見て論じたくなる。
 昨年のことになるが、例の「あっぱれ」と「喝」で有名なテレビ番組「サンデーモーニング」(TBS)で、張本勲さんが「私は彼のバッティングのファンなんです」と言えば、ゲストの山田久志さんが「当然、投手でいくべきです」と反論した回がある。ちなみに、張本さんは両立否定論者でいらっしゃるようだ。
 現時点では、もちろん、私にも結論めいたことは言えません。少なくとも、キャンプ、オープン戦を見てから考えたい。

 彼が甲子園(昨年のセンバツでしたが)で打ったホームランを覚えていますか。身長193センチの長身を実に柔らかく使い、力づくではなく、スイングの形でライトスタンドまで運んだような一打だった。力みがないし、体がしなやかに回転する。「ほー、これはいいバッターだなぁ」と惚れ惚れしたのを覚えている。
 ボールのとらえ方がいいのだろうか、いわゆるバットとボールがコンコンと2度当たるような感覚、つまりはボールとバットの接触時間が長いということだが、そういうホームランに見えた(かつて取材した名バット職人・石井順一さんは、これを「コンコン打法」と名づけていた。王貞治さんや谷沢健一さんの育成に関わった人である)。

 一方、投手としては、結局、甲子園では絶好調の姿は見られなかったような気がする。ただまぁ、昨年繰り返し放映された、例の岩手県大会準決勝で投げた160キロのストレートを見れば、そりゃ、もう十分ではある。
 1月24日の新人合同自主トレーニングでの初ブルペン投球が、現時点では、プロ入り後の投球資料ということになる(キャンプに入れば、連日見られるけれど)。

 槇原寛己さんは「ヒップファースト」を褒めておられた(1月25日付「スポーツニッポン」)。つまり、足を上げて体重を前に移動する時、お尻が先に前に出る。下半身主導。この形がよい。
 その通りだろう。もうひとつの特徴は、1月29日に早くも、カットボールを投げたことに表れている。つまり、彼は変化球も多彩なのだ。まるで、ダルビッシュ有(レンジャーズ)である。そりゃ、期待したくもなる。

 日本野球の歴史に残る外木場のフォーム

 ここで、ひとつ迂回路に入る。過日、今年の野球殿堂入り表彰者が発表された。大野豊さんと外木場義郎さん。いずれも元広島カープの投手だ。昨年も、元広島の投手、故津田恒実さんと北別府学さんだったので、同一球団で2年連続2人の表彰ということが話題となった。いずれも、思い出深い名投手である。

 なかでも、外木場さんの殿堂入りは感慨深い。なにしろ1975年、広島リーグ初優勝の時、20勝を挙げた大エースである。プロ初勝利がノーヒットノーラン。1回の完全試合を含む、計3度のノーヒットノーラン。これだけで、いかにすごい投手かはお分かりだろう。
 うなりをあげるようなストレートと、1回浮いて曲がり落ちるようなカーブ。生涯、球種はほぼこの2つだったと言ってもいい(シュート、スライダーについての因縁もあるが、ここでは割愛する)。

 何よりも印象深いのは、そのスピード感あふれたリズミカルなフォームである。ピュンと足を上げて、キュッとバックスイングに入り、グワッと投げる。フォロースルーの後、ビデオの逆回しのように反動を利用してプレートに戻る。今、残された映像を観ても、実に心地いい。

 例えば、槇原さんが指摘された大谷のヒップファースト。つまり、左足を上げて、軸となる右足を「逆くの字」に絞ってお尻を出していく。いわゆる下半身のタメができた理想的な動きなのだろう。ただし、そこで一呼吸の間が入る分、外木場のようなスピード感、リズム感はない。いや、優劣を論じようとしているのではない。投球理論にまつわる野球の歴史を体感しているのである。

 外木場とダルビッシュのミックス化

 例えば、400勝投手の金田正一さんも、中心はストレートと“懸河のドロップ”と言われたカーブだったが、そこまで遡ることもあるまい。
 甲子園で“怪物”の異名を欲しいままにした江川卓も、基本的にはストレートとカーブの投手だった。極端なことを言えば、カーブはたいしたことはなかったかもしれない。しかし、ストレートは地面に近いような低い所からグワーンと伸びてくる、素晴らしいボールだった(蛇足ながら、このストレートの全盛期は高校2年の秋、という説を唱えるムキもある。ちなみに、私はこの“江川伝説”の信者である)。

 江川以来の怪物と言われた松坂大輔(レッドソックスからFA)は、基本的にはストレートとスライダーの投手だったが、彼は器用に様々な球種を身に着けていった。そして、ダルビッシュ。東北高校時代には、既にチェンジアップを操っていた。打者を打ち取るには、バットの芯を外せば良い、という思想を(全面的に信奉していたかどうかは別にして)少なくとも高校時代から持ち合わせていた。

 もちろん、稲尾和久、江夏豊、野茂英雄など、日本野球の投手の歴史を語るのに欠かせない人物はまだまだいる。だが、ここはそういう遺漏は気にせず、あえて乱暴に思いきり図式的に言えば、外木場的なるものは、ダルビッシュ革命によって、もはや過去の歴史に組みこまれたと言っていいのかもしれない。そして、野球殿堂入りは、その歴史を呼び覚ます、格好の機会だった。

 ここで再び大谷に戻る。確かに、大谷の今後は注目に値する。カットボールだけではなく、フォークも何種類か投げ分ける、と証言するスカウトもいるという。だからこそあえて言いつのるのだが、ダルビッシュ的なるもの、あるいは大谷的なるものに、あの外木場が内包していたリズム感、あるいは日本の古典的な投球スタイルというものを加味することはできないのだろうか。

 あるいは江川的なるものといってもいい。160キロの映像を見れば、高校時代の江川よりも、あるいはプロ初勝利の時の外木場よりも、大谷のほうが速いかもしれない。だが、ストレートの質感は、江川(外木場もそうだったが、ここは江川で代表させる)の、あのホップする球筋のほうが好きだ。それは、日本野球の育んできた、もっとも良質な部分といっていいはずだ。ダルビッシュ、大谷は、やはり「野茂以後」の投手であり、メジャーリーグの思想が入っている。そのこと自体は大いに歓迎すべきことである。ただ、そこに、古来の日本野球的な「伸び」を加味することには、意味があるだろう。大谷のストレートが、高校時代の江川のようにホップしたら、素晴らしいではないか。
 今はまだ、このように期待だけを語っておくことにしたい。果たして彼は、投手か、打者か、二刀流か……。

 蛇足をひとつ。外木場は肩を痛めて引退し、広島のコーチに就任した。二軍の投手相手にキャッチボールをする時、現役時代1球も投げなかったナックルボールを投げてみせたそうだ。それが左右に30センチもジグザグ揺れながら落ちて、誰も捕れなかったという。みんな、今から大リーグに行ってもナックルボーラーとして通用するんじゃないかと噂しあったという。いい話でしょ。好きだな、こういうの。
 そこには、現役投手とはストレートとカーブでいくものという美学がほの見える。それもまた日本野球の歴史の一部である。もっとも、こちらは、大谷投手にはお勧めできないが。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
◎バックナンバーはこちらから