オールドファンには懐かしい名前かもしれない。
 外山義明。ヤクルト、ロッテ、南海で9年にわたってプレーした。
 この選手が特異なのはピッチャーとバッターの“両刀使い”だった点にある。

 プロ入り2年目の1971年、ヤクルトの監督に就任した三原脩は左投げ左打ちの外山をピッチャーと外野手、両方で起用した。
 投げては33試合に登板し5勝11敗、防御率3.25。打っては打率2割1分1厘、3本塁打、11打点の成績を残している。

 外山とバッテリーを組んだことのある八重樫幸雄(現東京ヤクルトスカウト)は彼の印象をこう語る。
「小柄な割にはマウンドに立つと背が高く見えるピッチャーでした。そのため、ボールには角度がありましたよ。
 まだスピードガンのない時代でしたが、おそらくストレートは142〜3キロ。コントロールは結構アバウトでしたね。
 一番いいボールはドロップ。今でいうタテのカーブ。これは切れがよかった。左ピッチャーでしたが、左バッターよりも右バッターの方が得意にしていた印象があります」

 ではバッターとしては、どうだったのか?
「体は筋肉質で、握力も強かった。だからパンチ力はありましたよ。
 しかし、どちらかというと体が硬く、リストの力で打つタイプ。低めの変化球にもろかったような気がします」
 それにしても、なぜ三原は外山に“二刀流”を命じたのだろう。
「ウ〜ン、当時のヤクルトは打てなかったから、外山さんのバッティングに目をつけたんじゃないでしょうか。
 本人はピッチャーをやりたかったようです。勝ち星よりも負け数の方が上回っていますが、そんなに悪い内容で負けたという記憶はあまりない。僕の中では“数字よりもチームに貢献したピッチャー”という印象がありますね」
 外山以降、プロ野球に本格的な“二刀流”は登場していない。
 先発、中継ぎ、抑えと分業制が確立した今の時代、ピッチャーをやりながら、投げない日には野手で試合に出るというのは現実的には難しい。

 ところが、である。このところ、スポーツ紙に“二刀流”の見出しが躍っている。
 北海道日本ハムへの入団が決まった大谷翔平だ。投げればMAX160キロ、打てば高校通算56本塁打。余りある才能の持ち主であることは言を俟たない。
 ピッチャーで勝負すべきか、それともバッターか――。

 八重樫はスカウトとして3年間、大谷を追いかけた。
「“二刀流”はさすがに無理でしょう」
 そう前置きして持論を展開した。
「ピッチャーとして見た場合、確かに素晴らしい素質の持ち主ですが、まだフォームが固まっていない。試合ごとにリリースポイントや投げるタイミングが違っている。フォームが安定するまでには、しばらく時間がかかると思います。
 長く野球をやりたいのならバッターでしょうね。ここ10年間では、私が見た中で最高のバッターです。
 左右に打てて、飛距離も出る。11年に横浜高からドラフト1位で横浜(現DeNA)に入団した筒香嘉智もよく飛ばしましたが、それ以上と言っていいでしょう。
 しかも彼の場合、金属バットの打ち方じゃないんです。ちゃんとバットの軌道の中にボールを入れて打っている。
 まだインサイドの速いボールには対応できないと思いますが、これも時間がたてば十分に克服できるでしょう」

 仮に野手に転向したとして、ではどこを守るのか?
「サードなんて、おもしろいんじゃないでしょうか。193センチもある大男なのにドタバタしないんです。細かい足が使えるので内野もこなせるはず。彼は見た目以上に器用な選手ですよ」
 いずれにしてもピッチャーかバッターか。今日か明日には決めなければならいという話ではないが、いつまでも結論を先送りにすることはできない。
 過去を見れば、何年かピッチャーをやった後で野手に転向し、成功した例はあるが、その逆は多聞にして知らない。
 八重樫も「どっちつかずの状態はあまりよくない」と語っていた。

 時として天は二物を与えるが、最後は本人が選択し、決断しなければならない。ある意味、ぜいたくな悩みではある。

<この原稿は2013年1月11・18日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから