昨年12月28日、残念なニュースが舞い込んできました。松井秀喜が現役引退を発表したのです。この一報を耳にした時、「残念」のひと言に尽きました。確かに、現状は厳しいものでしたが、年が明ければどこかのメジャー球団からキャンプ招待の話はあるのではと思っていたからです。そこからまた、復活を目指して欲しいと望んでいました。「彼ならまだまだやれる」。そう思っていました。しかし、選手の感じる限界はさまざま。求めているもののレベルが高い松井だからこそ、決断を下したのでしょう。
 日本球界での復帰については、多くの人が望んでいたと思います。しかし、松井は「ファンは10年前のイメージのままでいる。その姿に戻れると強くは思えなかった」と、復帰しなかった理由を語りました。要因のひとつには、近年、彼を悩まし続けてきた両ヒザの故障もあったことでしょう。天然芝がほとんどのメジャーリーグとは異なり、日本プロ野球の球場はほとんどが人工芝です。両ヒザの不安を抱えている松井にとって、それは決していい環境とは言えません。故障をすれば、また球団やチームメイトに迷惑をかけてしまう。そして、ファンに100%のプレーを見せることができない。それは松井にとって避けなければならないことだったのではないでしょうか。

 では、DHであれば、守備への不安が解消されるのではないかという意見もあります。メジャーリーグでも、しばしば言われていたことでした。しかし、松井は「守備をしてこそ、一人前の野球選手」という考えを最後まで貫き通しました。僕は、同じ野球人として、この松井の気持ちがよくわかります。

 実は、僕は子どもの頃、往年の名ショートストッパー、オジー・スミスに憧れていました。ショートを守る彼の華麗なグラブさばきは目に焼き付いています。もし、もう一度生まれ変わって野球をやるのであれば、ピッチャーやキャッチャーもいいなとは思うのですが、やっぱりオジー・スミスのような内野手になりたいなと思いますね。松井はもともと内野手ですから、彼にとって野球とは、「グラウンドを縦横無尽に走り回って白球を追いかけ、そして打席に立って大きなホームランを打つこと」。純粋にそういう野球を追い求めてきたのだと思います。

 世界発信してほしい「野球」の良さ

 さて、引退の発表会見を見ながら、「松井秀喜」という人柄を感じていました。言葉の端々にファンや支えてくれた人のことを考えながら野球をやっていたことが表れていたからです。おそらく松井本人も志半ばでの決断だったことでしょう。満足し納得して引退を決意する選手など、ほどんどいません。彼も可能であれば、まだまだやりたいという気持ちはあったはずです。しかし、冷静に現実を見れば、自分はもう100%のパフォーマンスを見せることができない。だから、彼は引退を決意したのです。

 私が嬉しかったのは、「草野球の予定が入っているし、まだまだプレーしたいと思っている」と語ってくれたことです。野球から離れないでいてくれることに、ホッとしたのです。なぜなら現役こそ引退したものの、彼にしかできないことが、野球界にはたくさんあるはずだからです。今後はどんどん表に出て、活動してほしいなと思っています。

 一部報道では古巣のコーチや監督への話も浮上しているようですが、僕はそれこそ、いつかは野球界における真のグローバル化を実現してほしいなと思っています。つまり、メジャーリーグのコーチや監督として活躍してほしいなと。その理由のひとつは、世界に日本の「野球」を発信してほしいと思っているからです。

 確かにメジャーリーグは選手がパフォーマンスを出すには、最高の場所です。しかし、日本の「野球」が「ベースボール」に勝っている点はたくさんあります。それは技術のみならずです。日本では練習の前後にグラウンドに一礼をし、そして高校までは試合の前後には相手や応援団に向かって礼をしますね。また、道具を大事にすることも教わります。こうした人間教育が自然に行なわれているのです。だからこそ、松井をはじめとした日本人プレーヤーの人柄や言動に対して、メジャー界からも称賛の声が聞かれるのです。

 望む表舞台での活躍

 そして、私にはもう一つ、彼に望んでいることがあります。それは、地域貢献のひとつとして地元の独立リーグ球団である石川ミリオンスターズでプレーしてほしいということです。僕は、縁あって2011年からミリオンスターズに関わらせてもらっています。11年は応援隊長として、そして昨年からは取締役を務めています。実は、ミリオンスターズの端保聡球団代表とは松井獲得構想を練っていたのです。

 今回の引退でその可能性もなくなってしまいましたが、僕たちはまだ諦めていません。例えば1日だけミリオンスターズと契約をし、地元の子どもたちの前でプレーしてもらうだけでも、子どもたちは喜んでくれるのではないかと思っています。また、もし日本の古巣が引退試合やセレモニーを行なわないようであれば、ミリオンスターズでやろうということも端保社長との間では話をしています。

 もちろん、石川にだけでなく、日本の子どもたちや野球界のために、これまで以上に表に出てきてほしいなと思います。彼が尊敬してやまない長嶋茂雄氏や王貞治氏を、引退して何十年も経った今もなお日本人が尊敬しているのは、常に表に立って野球界のために働きかけてくれているからこそです。それは誰にでもできるわけではありません。しかし、松井になら十分にできます。日本の野球で育ち、世界で活躍した松井が、その野球で社会貢献をしてくれれば、同じ時代を生きる野球人としてこれ以上嬉しいことはありません。松井には今後、さらなる活躍を期待しています。

佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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