今季より信濃グランセローズの監督に就任した岡本哲司です。私は昨年10月、臨時コーチとして約1カ月間、信濃の選手を指導しました。その後、球団から正式にオファーをいただいたのですが、監督を引き受けた理由は、「自分がやりたいことがここにはある」とやりがいを感じたこと、そしてそれが球団の考えと一致したことでした。
「やりたいこと」とは、「野球を広げたい」ということです。私がこれまで現役として、また指導者として培ってきたものを選手のみならず、野球指導者や子どもたちにも広く発信し、底辺拡大を図っていきたいと思っているのです。もちろん、逆に私の方が教わることもあるでしょう。お互いに吸収し合うことで、野球の輪を広げていけたらと思っています。

 指導者として大事なことは選手たちに“道”をつくってあげるということ。それは野球人としてのみならず、ゆくゆくは社会人としての“道”です。それが指導者の一番の役割だと思っています。もちろん、プロですから結果が求められます。信濃には、6球団で唯一経験のない“優勝”という結果が求められていますから、それが大きな目標であることは間違いありません。しかし、優勝という目標は通過点のひとつであり、真のゴールはその先にあります。つまり、優勝を目指した末に何を得たのか、そしてどう成長したのか。指導者はそこまで見ないといけないのです。

 そして、自分では最高のプロセスを踏ませたつもりでも、結果を出すことができない場合もあります。“結果が全て”とよく言われますが、確かにそうなのです。結果が出ていないのに、「この指導法はいい」とは言えません。大事なのは、結果を受け止め、プロセスを見直すこと。結果とは受け止めるためにあるものなのです。

 確信した優勝達成能力

 一方、選手にとって必要なのは「ゴールは何か」を明確にすることです。これがあって初めてそれに向けてのプロセスを考えることができ、選手にとって必要な指導法が見えてくるからです。信濃の選手たちに目標を訊くと、必ずといっていいほど「NPBに行きたい」という答えが返ってきます。ところが、具体的な目標や目的を明確化することができていません。また、NPBに行くためにはどういう練習をしなければならないのか、ということも認識不足だと感じました。しかし、だからこそ伸びしろも感じたのです。目標・目的を明確化させ、きちんとした練習方法を指導することで、彼らはグンと成長することでしょう。

 そして、もうひとつ優勝するために必要なことはチームを機能させること。そのためにはチームとしての目標や方針を明確化し、それをレギュラーのみならずチーム全員に浸透させることが必要です。戦力がほとんど同じ場合、このチーム力の強さが最後にはモノをいうのです。そのいい例が、北海道日本ハムです。私は1997年から10年間、日本ハムで指導をしましたが、日本ハムは2001年からのチーム改革によってチーム力を高めてきました。

 日本ハムのチーム方針は「ファンサービス・ファースト」。つまり、何よりもファンを大事にし、地元から愛され、地域に根差したチームづくりを一貫して行なってきました。それを一軍のみならず、二軍選手にもきちんと浸透させたのです。そして、その一方で選手の育成にも力を入れてきました。06年の日本一は、01年からのこうしたチーム方針をやり通した結果、チームが機能したからこそ得られた結果だったのです。

 信濃にとってチームとしての目標は、6球団で唯一達成することができていない“優勝”にほかなりません。これを、選手全員に浸透させていくことがチームづくりのスタートだと考えています。私は「夢や目標は言い切ることから始まる」と思っています。ですから、就任の際のコメントでも「優勝します」と断言しました。とはいえ、到底達成できないことを断言しても致し方ありません。根拠もなく、現実からかけ離れた目標では、選手たちの意欲をわかせることはできません。

 私が「優勝します」と断言したのは、やみくもに言ったわけではなく、それだけの力がこのチームにはあると感じているからです。昨年10月に臨時コーチとして指導した際、彼らの野球に対する姿勢や、指導をあおぐ際の表情を見ていて、「彼らには伸びしろがたくさんある。きちんと指導すれば、必ず成長する」と確信したのです。ですから、チームの目標は「優勝したい」ではなく、「必ず優勝する」。この強い気持ちを誰ひとり欠けることなく、チームに浸透させていきたいと思います。

岡本哲司(おかもと・てつじ)>信濃グランセローズ監督
1961年3月15日、和歌山県生まれ。吉備高校(現・有田中央高)、神戸製鋼を経て、85年ドラフト6位で大洋(現・横浜DeNA)に入団。90年、トレードで日本ハム(現・北海道日本ハム)に移籍し、96年に現役を引退した。翌年から指導者としての道を歩み、2006年までの10年間、日本ハムでバッテリーコーチ、二軍監督などを務めた。08年から11年まで、横浜で二軍ディレクター、一軍総合コーチ、編成部長を歴任。今季、信濃グランセローズの監督に就任した。
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