ここ数年、一番注目してきた打者は、中田翔(北海道日本ハム)ということになると思う。何よりも大阪桐蔭高校時代、1年生で出場した夏の甲子園が鮮烈だった。今よりも、顔も体も細かった。しかし、腰からお尻にかけては、見事なほどにふくらみがあった。つまりは、下半身の力を使ってプレーしていたということだろう。
 投手としてはストレートが140キロを優に超え、打者としてはホームラン。今年、同じ日本ハムに入団した大谷翔平が騒がれるまでは、中田こそが投と打の二刀流を夢見させてくれる高校球児だった。結局、プロ入り後は打者一本できたけれども、レフトからのバックホームを見ると、傷めたヒジも完治し、再び投げられるのではないか、と思ってしまう(もちろん、今からそんな半端なことはしない方がいいに決まっているが)。

 中田が大成したのは、結局、昨年ということになるのだろうか。1年間、4番で起用され、前半戦は不振をきわめたが、後半、結果を残してリーグ優勝に貢献した。誰もが知ることである。大きな転機になったのは、例のガニ股打法から、ステップする打法に変えたことである。彼は、本質的にステップして打つ打者である。

 ただ、昨年は後半に入っても、見ていてどこか違和感があった。このステップは、本当にタイミングが合っているのだろうか、微妙にズレてはいないか……。それでも抜群のパワーで打てている、ということなのではないか。つまり、中田の打法がこれで一応の完成に至ったとは、どうしても思えなかったのである。

 中田翔の残された課題

 で、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の話になる。始まってしまえば、日本代表を応援するだろう。それがナショナリズムというべきものか、あるいはかつて精神科医の香山リカさんがおっしゃった「ぷちナショナリズム」なのか、それは知らない。あらゆる社会的行動には、必ず政治的傾きが含まれるとすれば、日本を応援するという態度にも、何かそういう要素はあるのかもしれませんね。ただ、当の本人は、もっと素朴に、日本野球を応援しているつもりなのだが。

 WBCの打撃コーチ・立浪和義さんが、熱心に中田を指導したそうだ。そして、ステップをすり足にした。日本代表(侍ジャパン)の強化試合を見る限り、このフォームは当たりではないか、という気がする。昨年のステップより、タイミングが、なんというか、しっくりくる感覚がある。

 立浪コーチあっぱれ。ついに中田は自分の打法にたどり着いた――と思った。ところが、強化試合では、いまひとつ結果が出ない。ヒットは出たけれども、スカッとした当たりではない。スイングはいいと思うのに、これはなぜなのだろう。

 2月26日の日本代表vs.阪神の壮行試合。5回表のことである。阪神の投手は白仁田寛和。打席に立った中田は、軸足側がピタッときまって動かない。それで、すり足ステップ。打てる形だと思うがなぁ。結果は、アウトローのストレートをピッチャーゴロ。続く打者は角中勝也。インハイのストレート系を見事にとらえて、ライトオーバーの三塁打。うーん。その違いは何だ?

 ここで、解説の古田敦也さんが素晴らしかった。
「中田君は、スイングはいいんですけど、カウント1−1からアウトロー低め(のはずれ気味のボール=引用者注)をついつい打っちゃうのは、よくないところ。振りにかかったら止まらない。角中は、しっかり打てる球を待って打っている」

 これですね。さすが古田さん。おそらく、スイング自体はいいのである。しかしいくらスイングがよくても、「ついつい打つ」打者は大成しない。ここからは、私なりにさらに言いつのれば、もしかして、これは一流になれる打者となれない打者の分水嶺を言い当てた言葉ではないだろうか。

 堂林にも感じる一流への期待

 そう考えると、「ついつい打っている」ように見える打者を、もう一人知っている。ここ数年、一番注目した打者が中田だとすれば、2番目に注目してきた打者である。広島カープの堂林翔太。堂林も昨年、野村謙二郎監督が、全試合に出場させて、大きく開花した打者とされる。確かに、昨年の6月は良かった。しかし、期待しては三振、という打席がいかに多かったことか。

 堂林のオープン戦の打席を見ても、軸足側の体がピタッと決まっていて、それからステップして打ちにいく。練習を重ねたのだと思う。この体がピタッと決まる感覚は、昨年より今年の方が数段いい。堂林もいよいよ本格化か、と言いたくなる。もちろん、ヒットも出ている。しかし、相変わらず、がっかりするような三振もある。スイングの形はいいと思うのに、なぜこうも当たらないのだろう。要するに、中田を見る時と同じような疑問が、この選手の打席にもついて回るのである。

 おそらくは、これも「ついつい打っちゃう」問題なのではないだろうか。昨年、野村監督は、とにかく振れ、という指示を出していたという。三振を恐れず、振り切れ、ということだろう。一軍1年目の若手には、それも大切なことかもしれない。しかし、今年はもうそうはいかない。初球から振りにいくのもいいかもしれない。だが、もしかして、打つべき球を一球で仕留める、という態度が少し希薄ではないか。

 豊田泰光さんが、日本経済新聞(2月28日付)のコラム「チェンジアップ」で面白いことを書いていた。要約すれば、猛者の多かった西鉄ライオンズには暴力沙汰もあったと想像されるかもしれないが、それはなかった。その理由は、大下弘のような一流の大人がいたからだ、という主旨である。
<日夜先輩たちを観察すると、一流とそうでない者を分ける線が18歳の私にもはっきりみえた。それは「負ける」という恐怖心への向き合い方。>

 レギュラー陣は陰でよく練習し、控えはマージャンや酒に逃げていた、という。素晴らしいコラムなのだが、ここにも一流と二流を分けるヒントが詰まっている。「負ける」という恐怖心は、おそらく、打者としては、凡打することに置き換えてもかまうまい。よく言われるように、打者とは7割は凡打する存在である。そこにどう向き合うのか。それは、自分が打つべき球とは何なのか、という省察をすべての打席で遂行する、というようなことなのだろう。
 
 中田にも堂林にも、そこに意識的であってほしいと思う。2人とも、超一流になれるだけの可能性を秘めた打者だと信じるからである。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
◎バックナンバーはこちらから