完敗だった。敗因は3つある。
 ひとつはまず油断。何しろ、最初の対戦では6―0で勝っている相手である。チーム力はもちろんのこと、個々の能力においても大差があると考えた選手がいたとしても、わたしには責められない。
 日本の敗北を決定づけた2点目は、ハイルの長いドリブルから生まれた。なぜ酒井高は、吉田は、あれほどの長いドリブルを放置したのか。思うに、ハイルの背番号が10だったからではないか。背番号9のサイフィは、前半のうちに突破力があるところを見せ、日本側の注意を引きつけていた。だが、警戒の対象にハイルはいらない。そして、サイフィのような選手が2人いるかもしれないと想像するうえで邪魔になったのが、6―0で勝っている相手に対する油断だった。

 だが、油断以上に大きな敗因となったのは、「油断を戒める気持ち」だったような気がする。メディアやファンの中に、この試合を楽観視する空気があることをザック監督は感じ取っていたはず。こういう場合、監督はどうするか。当然、引き締めにかかる。ヨルダンを甘く見てはいけない。十分に警戒して臨むようにとの指示を徹底する。

 それが裏目に出たのではないか。

 日本の選手は、イタリアの選手よりはるかに生真面目である。監督が警戒しろと言えば、素直に従う。結果、前半の長谷部はあがらなかった。遠藤もあがらなかった。酒井高も、内田もあがらなかった。点を取るための攻撃参加より、相手に対する警戒心を優先させた結果だった。

 ヨルダンからすると、日本は自分たちから6点を奪った相手である。彼らが一番恐れたのは、間違いなく日本の攻撃力だったはずなのに、この日の日本は、その武器を自ら封印した。0―0の時間が続いていくことで、おびえていたヨルダンは少しずつ自信をつけ、それが攻撃に鋭さを加えていった。

 とはいえ、油断にしても油断を戒める気持ちにしても、両者の力関係と状況を考えれば、そうなってしまったことを責める気にはなれない。わたしが心底ガッカリしたのは、0―2とされてからの戦いぶりだった。

 0―2というスコアは、間違いなく日本にとって想定外の状況だった。自分たちが予想し、計算していたことの多くが外れたがゆえの状況だった。こういう状況でなすべきは、それまでの自分たちをかなぐり捨て、闘争本能をむき出しにして襲いかかることである。

 だが、0―2とされてからの采配は、なにもかなぐり捨てなかった。すべてが想定の範囲内で進んでいたときと同じ采配だった。恥も外聞もなく時間稼ぎにはいったヨルダンの選手に比べると、日本の選手たちはずいぶんとスマートだった。勝ちたいという原始的な欲求において、日本は明らかにヨルダンの後塵を拝していた。

 想定外の状況に対する能力が決して高くないことを、この日の日本は露呈してしまった。この敗戦は日本のW杯出場の可能性を危ぶませるものではない。ただ、本大会における上位進出の期待が、大きく損なわれたのも事実である。

<この原稿は13年3月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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