島﨑もも(東京女子体育大学新体操競技部/愛媛県松山市出身)第2回「際立っていたライン」
島﨑もも(現・東京女子体育大学1年)は2007年冬、愛媛県松山市で生まれた。名前の「もも」は、父・優(まさる)の「漢字を付けて意味を持たせたくなかった」という理由から平仮名となった。
ももは縛られることなく、すくすくと育った。本人は幼少期をこう振り返る。
「毎日のように近くの公園に行って遊んでいました。特にブランコが好きでした」
優の述懐――。
「才色兼備だった3歳上の姉と比較すると、これといって目立つわけでもないし、取り柄もなかった。ただ本当によく動き回る子でした。手がかかるというほどではありませんでしたが、天邪鬼でしたね」
新体操との出合いは、小学1年時である。優が友人たちとバドミントンに興じていた体育館で、ももはいつものように走り回っていた。その姿を目にした愛媛の新体操クラブ竹田RG(当時)の髙橋瑛味子(現・Estella RG代表)がスカウトした。
髙橋が評価したのは以下の点だ。
「新体操は、手足のラインの美しさが重要です。特に膝の後ろがしっかりと伸びていた。立っただけで、そのラインが際立っていたので、こちらから声を掛けさせてもらいました」
髙橋がこの時のように直接声を掛けてスカウトしたのは、2人目だったという。
偶然にも、ももにとっても人生2回目のスカウトだった。再び優。
「1年前にも別のクラブの先生からスカウトされました。その時は『全然、やらせるつもりないんですよ』と断ったんです」
では、なぜ2回目の誘いには応じたのか。
「髙橋先生の方のクラブは、私が同じ体育館でバドミントンをしていたことが何度かあった。その時から厳しい練習をされているのが分かり、“これは愛媛でトップのチームやな”と直感しました。それに2度目のスカウトということもあり、娘への期待を込めてやらせてみることにしたんです」
島﨑家を変えた優勝
スカウトされて入ったからとはいえ、すべてが順調だったわけではない。周りの選手たちは彼女よりキャリアも実力も上の選手ばかり。「なかなか手具がうまく扱えなかった。同い年の子は2人いましたが、その中でも一番下手で、自分は“向いていない”と思っていました」と、もも。優は「チーム内で一番身体が硬かった。とにかく練習に行くのを嫌がっていました。だから『大会に出て辞めようか』と話していました」と苦笑する。
ところが一つの区切りに設定した大会、愛媛県小学生新体操ひめCUPで、ももは小学1年の部で優勝する。この優勝は、島﨑家のその後を大きく変えた。まずもも本人の気持ちーー。
「自分が優勝できるって思ってなかったので、びっくりしました。“もっと練習したら、もっと上位に行けるんじゃないかな?”と思い、新体操に興味を持つようになった。苦手だった手具は、人よりできなかったことが悔しかったので、一生懸命練習するようになりました」
父にとっても驚きの優勝だった。
「他の子たちは、ももよりも上手く見えた。その中で優勝してしまったものだから、私としても“これはトップ選手になれるかもしれない”と夢を持つようになりました。そこからは私自身も熱心に取り組むようになりました」
優は愛媛県東温市にある屋内ゲレンデ「アクロス重信」のジャンプ台やハーフパイプを設営、整備する仕事をしていた。そのため、将来有望なジュニア選手を持つ親が熱心にサポートする姿を見てきた。自らも練習の送迎をし、自主練習に付き合うなど時間とお金を娘のために費やすことを決意したのだ。
家族の支えを受けながら、競技を続けていったももは、小学4年から中学2年にかけて新体操ナショナル強化指定選手に選ばれた。選ばれた原石たちは月に1回、東京の味の素ナショナルトレーニングセンターでの合宿に参加した。
「初めてNTCで練習をした時は、周りのレベルの高さに驚きました。技術だけでなく一人ひとりの意識や練習への取り組み方のレベルも高かった。“自分はやっていけるのかな”と不安な気持ちが大きかったです」
ライバルの存在
それでも愛媛を離れての、東京での合宿は「普段なかなか会えない人たちと一緒に練習できる。いろいろ刺激を受けましたし、とても楽しかった」という。
「ただレベルの高い環境に身を置く中、自分との差を感じて不安になることも多かった。思うようにいかない時期は“新体操をやめたい”と思ったこともありましたが、この経験があったからこそ、成長できました」
元々性格はマイペース。誰かと比べるのは好きではなかった。競技への意欲は、同世代のライバルの存在が火を付けた。
「小学校低学年の時は、目標は特に何もなかったので、ミスのない演技を目指していました。だけど、毎年出ていた全日本新体操チャイルド選手権という全国大会で上位に行けたことと、ライバルに出会えたことで意識が変わりました。当時、5年生の私は総合5位。うれしい気持ちはあったのですが、同い年の子がもっと上の順位にいた。“来年は表彰台を狙いたい”と思いました」
その同い年のライバルとは、千葉の馬場せらと、同じ愛媛の西本愛実。特に西本は小学4年生時に全日本チャイルド選手権3・4年の部で優勝していた有望株だった。小学5年時からは、ももと同じEstella RGに所属。後の2022年には中学3年生でフェアリージャパン(新体操女子日本代表)に当時最年少で加入した。25年にはブラジルでの世界選手権において日本初の総合優勝を果たした団体メンバーの1人である。
ももは小学6年時、目標通り、チャイルド選手権で表彰台(3位)に上がった。久米中学進学後は愛媛県中学校新人体育大会のリボンで優勝。2年時は愛媛マドンナカップで優勝し、愛媛県中学総合体育大会と四国中学校総合体育大会で2位に入るなど好成績を残した。それでも西本には敵わなかった。
<島﨑もも(しまざき・もも)プロフィール>
