島﨑もも(東京女子体育大学新体操競技部/愛媛県松山市出身)第3回「花開き始めた才能」
島﨑もも(現・東京女子体育大学1年)は2023年春、愛媛県松山市立久米中学校を卒業し、同市の私立高校、聖カタリナ学園に進学する。ももは中学3年間をこう振り返る。
「この3年間は、なかなか試合で、ノーミスでまとめることができなくて、悔しい記憶しかなかった。ただ同じ所属クラブの(西本)愛実ちゃんと一緒に頑張ってきたので、お互い刺激を受けながら、かなり成長できたと感じています」
全国レベルで目立った結果を残せなかった中学時代だが、着実に種は蒔かれていた。Estella RG所属でフェアリージャパンに選出された西本の存在は、「人と比べず、常にボーッとしていた」というマイペースな彼女に変化を与えていた。
高校進学後、ももの才能は、徐々に花開き始める。北海道で行なわれた夏の全国高校総合体育大会(インターハイ)で、1年生ながら個人総合2位に入った。本人も周囲も驚きの結果だった。もも曰く「一気に練習量が増えたのが大きかった」。朝練、午後の練習が終われば、クラブでトレーニング。家族の協力も得ながら、文字通り新体操漬けの日々を送った。
桃の花は春に咲き、春に散るが、ももの快進撃は秋も続いた。大学生、社会人も出場する11月の全日本選手権で6位入賞を果たし、8位以内までが手にできる国際大会の選考会への出場権を得たのだ。
「上手い選手ばかりで、自信がなかったんですが、4種目まとめることができ、6位に入賞することができた。そこで自分はもっと成長できると感じられたんです」
自信を得たももは、翌年の代表選考会で、ポルトガルで行なわれるWCCポルティマンの出場権を獲得した。
まさかの大ケガ
結果を残せば、当然、欲も出てくる。
「もっと目標を高く持つようになり、インターハイは優勝を目指していましたが、また準優勝でした」
北九州でのインターハイでは、前年と比べスコアを3.750点伸ばしたが、順位は変わらなかった。当時の愛媛新聞(2024年8月7日付け)には<「技の種類や安定感がまだまだ足りなかった」><「(出来に)納得できない。クラブの難度の高い技もうまく決められなかった」>と悔しがるもものコメントが載っていた。その3カ月後の全日本も前年に続き6位だった。
ももは、全国制覇にあと一歩届かなかったモヤモヤを晴らすために、25年3月の全日本高校選抜大会に向け、さらに練習量を増やした。しかし、その反動なのか大会1カ月前に右足首のじん帯を断裂してしまう。
Estella RGの髙橋瑛味子はこう当時を振り返る。
「大きなケガだったので、(選抜に)間に合うかどうかわからなかった。クオリティーを下げてでも出るしかない、という焦りはありましたが、本人は至ってマイペースでした」
ももが焦りを感じなかったのは、父・優(まさる)のサポートも大きかったのだろう。
「ケガの回復を早めるために、ももには酸素カプセルに入らせるなど、できることを尽くしました。ようやく身体を動かせるようになった1週間後に代表選考会、その1週間後に選抜と大会が続いていました。それで代表選考会を、選抜を想定した試合へと切り替えたんです。選考会で得た収穫と課題を持って、翌週の選抜に向けた練習に打ち込むことができました」
さて、ほぼぶっつけ本番で臨んだ代表選考会の結末は……。
(最終回につづく)
<島﨑もも(しまざき・もも)プロフィール>
