もはや旧聞に属するかもしれないが、まずはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の例のシーンの話から始めよう。
 3月17日(現地時間)の準決勝、プエルトリコ戦。3−0とリードを許した日本は8回裏、ようやく反撃の糸口をつかむ。鳥谷敬(阪神)の三塁打から井端弘和(中日)のタイムリーで1点返し、内川聖一(福岡ソフトバンク)もヒットで続いて、なお1死一、二塁。打席には、4番・阿部慎之助(巨人)。長打なら同点の大チャンスである。
 ここで山本浩二監督が出したサインは、もはや日本中に知らぬ人とてないダブルスチール。二塁走者・井端はスタートを切った直後、自重して帰塁した。ところが、それに気づかない一塁走者・内川はそのまま走ってしまうという痛恨のミス。一、二塁間に挟まれ、あえなくアウトとなり、阿部も凡退して、結局この回の反撃は1点どまり。結局、そのまま3−1で敗退したのでした。

 この時の山本采配は、いわゆる「グリーンライト」であったことがわかっている。つまり「行けると判断したら、いつ走っても良い」という盗塁のサインである。事後、多くのメディアや評論家が、このサインを批判したことも、皆さまよくご存知だろう。代表例として、たとえば、野村克也氏の評論をあげよう。
<「行けるなら行ってもいい」というのは判断を選手任せにし、かえって選手に責任を背負わせてしまう。(中略)山本監督はこの1カ月間で、自身の野球を浸透させることができなかった。>(「サンケイスポーツ」3月19日付「ノムラの考え」)。

 あるいは、朝日新聞の西村欣也記者による著名なコラム。相手が強肩捕手であるにもかかわらず、それでも足に賭けるのが監督のやりたい野球である。<ならば、サインは「ディスボール」(この球でいけ)でなければおかしい。(略)「行ければ行け」は選手の自主性を重んじるようにみえて、監督が自分の責任を回避するための戦法と言われても仕方ない。>(「朝日新聞」3月20日付「EYE」)。

 いずれも日本を代表する評論家であり、メディアの言説である。このような言説を私なりに乱暴に要約すれば、要するに、選手の判断に任せるといえば聞こえはいいが、それは、実は監督の能力の限界を示しているのだ、ということになるだろう。それはまた、世間様の大方の感想でもあったにちがいない。

 ミスの誘因はモリーナの“捕手力”

 それがいわば日本の常識だとすれば、興味深かったのは、イチロー(ヤンキース)のコメントである。<“行くなら行け”と言うのは当然。“行くな”という選択はあるけれど、This Ball(ここで走れ)はないと思いますね。>(「スポーツニッポン」3月21日付)
 つまり、「監督の采配ミス」という大方の見方を否定したのだ。さらに、挟まれた一塁走者・内川について、<あそこで、あのスタートができる。凄いこと。>(同)、と「走塁ミス説」も一蹴。この作戦失敗の原因は、相手捕手ヤディエル・モリーナ(カージナルス)にあると強調したのである。<ミスかそうでないかと言うよりも、モリーナの存在。それがあの捕手の力>。

 もはや蛇足に類するかもしれないが、私見も述べておこう。たしかに、モリーナの肩、というか「捕手力」は脅威である。まったく、イチローのおっしゃる通り。それは、井端や内川のみならず、日本チーム全員が知っていたにちがいない。だから、いくら鳥谷が台湾戦の9回2死から起死回生の盗塁を成功させたことが頭に浮かんだとしても、やはり、盗塁という選択肢はなかったのではあるまいか。イチローのいう「“行くな”という選択」で、阿部に賭けるのが最善だったのでは。もっとも、それで結果がどうなるかは、もちろんわからない。

 ただし、あえて、山本監督は立派だったと付け加えておきたい。自分より先に代表監督を打診されて断った人がいるという事情は百も承知だっただろう。つまり、自分は代案にすぎなかったのだ。しかも、メジャーリーグ組は辞退するだろうという予想も容易についた。それを知りながら、「断る理由はない」と即座に代表監督を受けたのだから、この潔さは、もっと賞賛されていい。監督としては、まあ、私も長年、広島カープファンをやっているので、あえて言及しません。

 井端と内川、高打率のワケ

 確かにプエルトリコ戦の直接の敗因は、あのダブルスチール失敗に求められる。しかし、WBC敗退の真因は、別のところにあると考えるべきである。
 日本代表はなぜ負けたのか。実は、はっきりしている。打てなかったからである。思い出してほしい。打線が爆発して勝ったのは、オランダ戦の2試合だけである。中国戦も台湾戦も打てなかった。台湾戦など、7回まで2−0で負けていたのである(9回にご存知井端の「奇跡の同点タイムリー」が出るわけだが)。どうして、こうも打てなかったのか。

 今、日本野球に真の強打者はいるだろうか。ここでの「強打者」は、長打力と高打率を兼ね備えた打者のことを指す。今回の代表で言えば、阿部と糸井嘉男(オリックス)ということになるのだろう。しかし、2人とも大会中に爆発したとは言い難い。

 メジャーリーグと日本野球に関する佐々木主浩さんの解説は、いつも辛辣、かつ本質をついていて面白い。今大会でも、要約すれば、以下のように解説していた。
国際大会でも準決勝、決勝くらいまでレベルが上がっていくと、メジャーの一線級の相手投手はストレートのスピードも上がり、しかも手元で動く。すると、引きつけて逆方向に強く打てる打者しか通用しない。今回の日本代表でそれに当てはまるのは、井端と内川である。ちなみに、中田翔(北海道日本ハム)は打つときに体が前に出てしまうので難しい(立浪和義コーチはそれを矯正しようとして、すり足打法をすすめたが、結局うまくいかなかった)。

 そして、ここで注意したいのは、昨年までの実績を考えれば、当然、日本代表の中心となるべき、長野久義、坂本勇人(ともに巨人)らの名前があがらないことである。ここに阿部を加えてもいいし、松田宣浩(ソフトバンク)を加えてもいい。今季のペナントレースが始まってみれば、やはり、巨人は下馬評通りの強さを発揮している。長野も坂本も、これまで通り、強打を発揮している。

 問題は、ここにあるのではないか。巨人という極めて強いチームにあって、あるいは松田のようにソフトバンクという強いチームにあって、彼らは当然のように結果を出している。しかし、いったんWBCのような特殊な緊張を強いられる場面になると、それが発揮できない。おそらくは、井端や内川が積み上げてきたほどの思索をしなくても、彼らは日本では打てたのではないか。そこに見えない落とし穴があったのではないか。

 “日本的カノー打法”の思索

 なにも、なんでもメジャーがエライと言っているわけではない。ただ、例えば今大会、4割6分9厘打ってMVPとなったドミニカのロビンソン・カノー(ヤンキース)のバッティングを思い浮かべてほしい。打たないのかな、見送るのかな、と思うくらい引きつけておいて、そこから、あっという間にバットが出てくる。だから、どんな状況でも、メジャーのどんな投手でも、彼は打てる。仮にWBCだから緊張したとしても(しないと思うが)、そんなことは彼の打法なら関係ない。しかも、ホームランも打てる。これが本当の強打者である(ホームランの打てる井端とでも言っておきましょうか)。

 今回、打者として井端と内川が成功したことを、日本球界はもっと深く考察すべきだろう。例えば、中田の今後を考えるうえで、これはきわめて重要な視点である。言ってしまえば、要するに、長野や坂本や松田たちと、カノーでは実力が違ったのである――少なくとも日本野球は、まずそう認めるだけの度量をもつべきだろう。そのうえで、日本人打者に合ったカノーのような打法、いわば「日本的なカノー打法」とでもいうものを、思索し、創り出すべきだろう。

 中田は今後、日本代表の4番打者に成長すべき逸材だろう。坂本や長野が巨人に戻れば打てるように、彼も今後、日本ハムでは、気持ちよく打ち続けるかもしれない。しかし、その打法で果たして4年後のWBCで、今回のカノーのように楽々打てるだろうか。少なくとも、そう考えてみる環境が、いまの日本野球にないように感じる。たとえば、立浪コーチのすり足打法の提案には、そういう思索のためのヒントはあったと思うのだが。

 話は急に変わるが、今年のセンバツ高校野球で、あきらかに図抜けた才能を持っていた選手がいる。準優勝した済美のエース・安楽智大である。初戦の広陵戦を見た瞬間に、来年のドラフト1位競合まちがいなし、と確信した。彼については、決勝まで772球も投げたことが、日米の話題になっている。16歳の少年にそんな球数を投げさせていいのか、という問題提起である。これについては、また別の機会に論じたい。

 彼は、チームで4番を打ち、確かに強打者でもあった。だが、やはり、将来は投手で日本野球を背負って立つ逸材だろう。では、打者で彼ほどの明らかな才能の持ち主がいただろうか。もちろん、好打者はたくさんいた。しかし、どうしても、ややバットが遠回りをして、金属バットのバッティングに見えてしまうのだ。ひとりでも、カノーのようなスイングをする打者はいないものかと思って眺めていたが、残念ながら私が見る限りでは、そういう素材には気づかなかった。

 甲子園は、日本野球の父であり、母である。ただ、投手のスーパースターは生み出しやすいが、打者のスーパースターが出る頻度は少ない。それもまた、日本野球の文化ではあるだろう。しかし、ここに言う「日本的カノー打法」という思想は、高校野球から浸透させるべきだろう。その思索こそが、今後、強打の日本野球をつくりだしていくヒントになるはずだ。果たしてそのような土壌がつくれるか。それが、今回のWBCが日本野球に課した宿題ではないだろうか。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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