いささか旧聞に属する話だが、12年ぶりの日本一を目指す東京ヤクルト・小川淳司監督は、キャンプ中、元監督の野村克也にミーティングの講師を依頼した。昨秋に続いて2回目の講義だった。

 果たして、どんな内容の講義だったのか。

 野村の手記を引用する。
<この日は資料を残すにとどまったが、12種類のボールカウントにはそれぞれ、投手と打者の心理が有利、不利、五分−と変化する。たとえば初球は「五分」と考えるのは誤りだ。バッテリーは、まだ打者の気配が分からない。打者は球種にヤマを張ったり、コースを絞ったりと思い切り勝負できる。だから「打者がやや有利」なのである>(サンケイスポーツ2月15日付)

 小川は野村の下で5年間を選手、コーチとして過ごした。野村が標榜するID野球の重要性を嫌というほど叩き込まれた。

「忘れられない試合」
 と小川が振り返るのは1990年4月28日、神宮での巨人戦だ。それまでの打席、小川はサウスポー宮本和知が投じるタテに割れるカーブに全くタイミングが合わず、2三振を喫していた。

 狙い球を絞り切れない小川に向かって野村は言った。
「(キャッチャーの)山倉(和博)の性格を考えろ。初球は真っすぐがくる。その後は真っすぐと思わせといてカーブだ」

 4打席目、小川は野村の見立てを頭に叩き込んで打席に入った。初球、本当に真っすぐがきた。3−1のカウントから小川はカーブを待った。カーブを後方へファウルし、軌道を把握した。

「こうなったら、また次もカーブだな」
 フルスイングした打球は快音を発してレフトスタンドに消えた。
「はぁー、このおっさん、スゴイな」
 小川が野村信者になったのは、それからである。

 無形の力――。野村は、ことあるごとにこの言葉を口にした。わかりやすく言えば知見の集積である。

 野村がヤクルトを去って15年になる。無形の力のストックが底をついてきたと考えたからこそ小川は野村に講師を依頼したのだろう。

 今季のセ・リーグは巨人の独走が予想されている。ほとんどの評論家が巨人を本命視し、対抗馬を探すのは難しいとしている。
 無理もない。昨季、巨人は3、4月、9勝13敗2分けと出遅れたが、終わってみれば2位・中日に10・5ゲーム差をつける圧勝だった。

 野村も「今年のセのペナントレースはつまらない。おもしろいのは2、3位争いでしょう」と、さも当然といった表情で語っていた。

 しかし、監督時代から野村は、しばしば煙幕を張ってきた。もしかすると2度の講義で“教え子”の小川に、打倒巨人の秘策を授けているかもしれない。
 地味ながらも指揮官として評価が高い小川。そろそろ勲章が欲しいところだ。

<この原稿は『サンデー毎日』2013年4月21日号に掲載されたものです>

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