「悔しさしかなかったですね」
 川田悠平がこう振り返ったのは、高校2年時のインターハイ(埼玉・川越アリーナ)だ。高知県予選で初めて団体優勝した岡豊高校だったが、全国の舞台では20射8中に留まり、予選敗退。川田自身も4射2中と、振るわなかった。大舞台ならではの雰囲気も川田らを苦しめた。「会場がすごく広くて、今まで経験した試合とは雰囲気がまったく違っていました。3方向からギャラリーに見られていますし、カメラマンもいる。やはり、緊張していましたね(苦笑)」。県大会で味わった初優勝の喜びも束の間、川田は全国の厳しさを痛感した。
 歴代最高の人間性

 インターハイが終わると3年生の引退と同時に、新体制の主将が決定する。その年の選考には立候補制が採用された。すると、川田を含め、2年生の全4人が次々と手を挙げた。「全員が立候補しないといけないような雰囲気になってしまった」からだと、彼は笑って振り返った。

 立候補者には“選挙演説”が課せられた。川田は「効率のいい部活」をマニフェストに掲げた。演説が終わると、1、2年生と、引退した3年生の投票に監督の意見を加味した結果、主将に選出されたのは川田だった。監督の石元仙人は、彼を主将に推した理由をこう明かす。
「ずばり、人柄です。彼は物怖じせず、明るくみんなを引っ張ることができる。私は岡豊に来て14年目になりますが、彼の人柄や一生懸命さというのは、歴代の男子主将の中でも抜群ですね」
 昨年、名門・法政大学の主将に抜擢された川田。彼のリーダーとしての資質は、4年前から既に備わっていたようだ。

 09年4月、高校最後のシーズンが幕を開けた。3年連続でインターハイに出場していた岡豊高校は、5月の高知県予選を順当に突破し、4年連続の本大会出場を決めた。川田にとっては、予選敗退した前年の雪辱を果たす大会になるはずだった。

 ところが、である。主将の川田自身は4射皆中を果たしたものの、チームは20射11中で、またも予選敗退を喫してしまったのだ。それはまったくの予想外の結果だった。チームは県予選を勝ち抜いてから大会直前まで好調だった。試合形式の練習で20射18中を記録し、監督の石元も「このままの調子でいけばベスト8には残るだろう」と語っていたほどだったのだ。
「あ、終わったんだ」
目の前の結果を受け入れる以外になかった。それは、悔し涙も出ないほど、あっけない幕切れだった。
 インターハイではまさかの予選敗退に終わった川田だが、すぐに新たなステージに進もうとしていた。法大弓道部のセレクションを間もなく控えていたのである。川田は3年生に進級する直前、石元から進路について聞かれたことがあった。川田はその時、迷わず「大学で弓道を続けたいと思っています」と即答したという。それを聞いた石元が、自分の母校である法大に推薦したのだ。その理由は何だったのか。

「どうせやるなら強いところがいいと思ったんです。また、法大弓道部の流派は“日置流”といって、弓矢を持った両拳を上に持ち上げる動作である打ち起こしが正面ではなく斜面起こしなんです。私が法大OBということで、岡豊でも日置流の引き方を指導していたので、大学に入ってから射型を矯正しなくていいように、ということもありました」

 セレクションはインターハイ後の8月に神奈川県川崎市にある法大弓道部の道場で行われた。その日は4人の受験生が12射の試験に挑んだ。川田は4人のうちトップタイの10中の結果を出した。これには本人も「ある程度、まとめられた」と納得し、まさに「人事を尽くして天命を待つ」という心境だった。石元からも「大丈夫、通るよ」という言葉をかけてもらった川田に、ほとんど不安はなかった。果たして川田のもとに合格の知らせが届いたのは、それから約1週間後のことだった。その年、全国の実力者が集う名門の合格を勝ち取ったのは、わずか5人。川田はその狭き門を見事、突破したのである。

 最後の最後に得られた達成感

 法大のセレクション終了後も川田は、高校の道場で弓を引き続けていた。彼にはまだ公式戦が残っていたのだ。10月に新潟で行われる国民体育大会、弓道少年男子団体の高知県代表として出場することになっていた。

 国体では近的と遠的の種目がある。普段から取り組んでいる近的は、射位から的までの距離が28メートルであるのに対し、遠的は60メートルと倍以上に伸びる。当然、近的と同じ引き方では矢が的に届かない。そのため、遠的では上体を少し右に倒し、矢の軌道が山なりになるように弓を引く。「そのバランスを取るのが難しかった」と語る川田だが、遠的に取り組んだことで収穫もあった。

「遠的は大きく引いて離さないと矢が届きません。それを意識したおかげで、近的でも射型が大きくなる感覚をつかむことができたんです。見た目にも、堂々と引けるようになったと思いますね」
 
 そんな手応えを掴んだ川田擁する高知は、国体で前評判以上の躍進を見せた。遠的で8位となり、3年連続の入賞を果たしたさらに、近的では準決勝に進出。その準決勝では同じ四国勢の香川に9中―10中で惜敗し、続く3位決定戦でも神奈川に敗れて惜しくも表彰台には上がれなかった。それでも、10年ほど前までは国体出場すら稀だった高知の少年男子にとって4位入賞は史上初の快挙だった。
「試合が終わった直後は、表彰台に届かなかったことが悔しくて仕方なかったですね。ただ、よくよく考えると個人的にも全国大会で入賞したのは初めてだったので、自信と嬉しさを感じました」

 石元も国体での入賞は川田にとって「大きかった」と明かす。
「彼は高校入学までクラブ活動はやってきていませんでしたから、高校3年間で自信を得ることができたのは、大きかったのではないでしょうか。高校では全国大会も、選抜に1度、インターハイには2度出場しましたし、国体では遠近両方で入賞したわけですからね。最後は自信が表情に表れていたと思います」

 3年前、何気なく関心を抱いて始めた弓道。岡豊高校が弓道の強豪ということも入部後に知ったというほどだった初心者弓士は、高校3年間で全国の舞台で戦う実力と自信をつけた。そんな川田が選んだ次のステージはさらなる実力者たちがひしめく“常勝”法政大学――10年3月、同大弓道部の道場には真新しい袴を着た川田の姿があった。

(第4回につづく)

川田悠平(かわた・ゆうへい)プロフィール>
1991年、8月10日、高知県生まれ。岡豊高校進学を機に弓道を始める。高校時代はインターハイに2度、高校選抜に1度出場。09年の新潟国体では遠的で8位、近的では4位入賞を果たした。法大入学後は1年時の後期から団体戦のメンバーに選出。2年時には出場した選抜で同校の2連覇に貢献。昨年は団体戦のレギュラーとして主要大会に出場。選抜3連覇、4年ぶり9度目の全日本制覇を成し遂げた。同年12月1日、法大体育会弓道部の第56代主将に就任。今年は史上初の主要大会5冠を目指す。



(鈴木友多)
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