21日現在、石川ミリオンスターズは8勝8敗2分、トップの富山サンダーバーズと1.5ゲーム差で北陸地区2位につけています。5月に入り、6連敗を喫してしまいましたが、その後に3連勝し、なんとか借金を返すことができました。現在、勝率はちょうど5割。これからが本当の勝負です。
 6連敗の要因は、貧打が続いたことにありました。ヒットの数も少なく、ようやくつかんだチャンスには1本が出ずに得点できないということが続いたのです。味方打線からなかなか援護をもらえない投手陣も踏ん張ることができませんでした。ヒットが出なかったのは、やはり焦りが生じたからでしょう。連敗を食い止めようと、「打たなければいけない」という気持ちから、ほとんどの打者が当てにいき、振り切っていなかったのです。

 もともと強打者が何人も揃っている打線ではありませんから、大振りせずに、しっかりと鋭いスイングをすることで、ヒットを稼ぎ、つないでいかなければ得点を挙げることはできません。しかし、現在は少しずつ打線にも安定感が出てきましたので、つながりという点ではいい傾向にあると思います。

 つながりを生み出すクリーンアップ

 打線の中心は、3番・富永裕也(星稜高−大阪体育大)と4番・カーター(ダイヤモンドバックス−レッドソックス−メッツ−埼玉西武)です。元メジャーリーガーのカーターの加入は、強打者不在のチームにとっては非常に大きかったですね。昨年手術した左ヒザの状態が心配されましたが、痛みはほとんどないとのこと。ただし、まだ筋力が十分ではありません。筋力さえつけば、後ろの軸足で踏ん張りが利くようになりますから、さらに実力を発揮してくれることでしょう。

 今季3年目の富永ですが、ここまで打率3割4分4厘(リーグ5位)、11打点(同3位タイ)という好成績をマークしています。71試合に出場した昨季は、打率2割1分3厘。打つ時の体勢がぶれていて、なかなかヒットが生まれませんでした。しかし、今季は下半身でしっかりとバランスがとれており、たとえタイミングがずれても、前に泳がせられても当てていけますし、さしこまれても振り抜くことができています。これが好調の要因でしょう。

 笹沢学(帝京高−早稲田大−西濃運輸)が復帰後、富永を5番から3番に上げたことで、打線もつながりが出てきています。富永の後ろにはカーターがいますし、富永には足もありますから、相手バッテリーとしては富永を四球で歩かせるわけにはいきません。そうすると、甘いボールが来る可能性が高くなりますので、当然、富永はそれを打ちにいきます。さらにカーターの後ろには笹沢が控えていますので、これ以上ランナーをためたくない相手としてはカーターと勝負せざるを得ません。これがつながりを生み出してくれているのです。

 チームを支える主戦4投手

 投手陣はというと、南和彰(神港学園高−福井工業大−巨人−カルガリーパイパース)とタッカー(マリナーズ−アストロズ−アトワ・ラビットズ)の先発2本柱、そして後ろにはマルティネス(マリナーズ−ハワイスターズ)と木田優夫(日大明誠高−巨人−オリックス−タイガース−オリックス−ドジャース−マリナーズ−東京ヤクルト−北海道日本ハム)がいます。彼らは非常に安定しているのですが、その他の投手陣は、その日投げてみないとわからないというのが正直なところです。

 今季、飛躍することを期待していた中川貢輔(金沢市工業高)にしても、まだ実力は出し切れていません。彼の持ち味は、球の強さです。ところが、コントロールが不安定であるために、試合になると球威を落としてストライクを取りにいこうとするのです。これでは宝の持ち腐れです。たとえボール球でも、球の勢いで打者が思わず手を出してしまうようなボールを投げることが彼には必要なのです。もちろん本人には伝えているのですが、なかなか本当の意味で理解できていないのでしょう。

 一方、昨年サンディエゴでのトライアウトで獲得したタッカーですが、話に聞いていた通り、コントロールもよく、変化球でカウントを取れる、まとまった投手です。まだ150キロ台は出ていないのですが、それでも真っ直ぐのキレは抜群。チームにとって大きな戦力となっています。

 また、注目されていた木田さんですが、オープン戦から徐々に真っ直ぐの球威が上がってきていましたが、実戦に入ってさらにボールの威力が増した感じがしています。今後、投げ込んでいけば、もっと状態は上がっていくでしょうから、楽しみですね。実は、私自身も来月あたりに現役復帰ができれば、と考えています。身体の状態は7割ほど戻っているという感触はありますので、もう少し真っ直ぐの球威が戻せれば、ぜひ実戦登板を果たしたいですね。

森慎二(もり・しんじ)プロフィール>:石川ミリオンスターズ監督
1974年9月12日、山口県出身、岩国工高卒業後、新日鉄光、新日鉄君津を経て、1997年にドラフト2位で西武に入団。途中、先発からリリーバーに転向し、2000年にはクローザーとして23セーブを挙げる。貴重なセットアッパーとしてチームを支えた02、03年には最優秀中継ぎ投手に輝いた。05年オフ、ポスティングシステムによりタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に移籍。2年間のメジャー契約を結ぶも、オープン戦初登板で右肩を脱臼。07年、球団から契約を解除されたものの、復帰を目指してリハビリを続けてきた。09年より石川ミリオンスターズのプレーイングコーチに就任。10年からは金森栄治前監督の後を引き継ぎ、2代目監督としてチームの指揮を執っている。
◎バックナンバーはこちらから