“神様からの試練”を乗り越えたストライカーの引退
39歳の誕生日となった9月23日、背番号と同じ「11」時に小林悠の現役引退が発表された。川崎フロンターレ一筋17年、彼は輝かしいキャリアを歩んできた。フロンターレの黄金期を築いた一人であり、キャプテンとして臨んだ2017年シーズンにはキャリアハイの23ゴールを挙げてクラブに悲願のリーグ初制覇を呼び込み、MVPと得点王のタイトルを手にしている。J1歴代7位となる通算144得点を叩き出したストライカーは天皇杯決勝にあたる来年1月1日をもってスパイクを脱ぐことになる。
小林には万能型のストライカーという印象が強い。
利き足は右ながら左足のシュートもうまく、177センチながらヘディングにも強い。ゴール前でフリーになってボールを呼び込む動きが絶妙で、ボールへの反応も滅法速い。そして何より美しいゴールシーンが多い。
忘れもしない。あれは3年連続の開幕弾となった2016年2月、アウェーでのサンフレッチェ広島戦だった。カウンターから前にヒラヒラと向かう小林に自然と視線が行った。相手から離れてノーマークの状況をつくり出し、グラウンダーのクロスを左足でバチンと合わせてゴールを奪ったのだ。記者席にいた筆者はノートに思わず「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と偉大なるボクサー、モハメド・アリのフレーズを書き込んだ。まるでピッチでダンスを踊っているようだった。
彼のキャリアを振り返ってみると、ケガとの闘いは外せない。
2015年3月、日本代表監督に就任したヴァイッド・ハリルホジッチ監督の初陣メンバーに選出されるも、右ハムストリング肉離れで無念の辞退となった。この前年もケガで代表合宿中に離脱していた背景があり、失意も大きかったに違いなかった。彼はケガから2日後、自身のブログでこう綴った。
「誰かが言っていました。『神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないんだよ』と。神様に言いたい。何回目だよ!そんな俺強くないわ!笑」
乗り越えてやるという決意表明が最後の「笑」にこめられていた。しかしなお、サッカーの神様は小林に試練を与え続ける。戦列復帰した同年5月のサンフレッチェ戦では試合前のアップ中に右ひざを痛め、半月板損傷で手術に踏み切った。7月には再離脱し、シーズン終盤にもケガを負っている。ここまで続けば、気持ちが折れたって不思議はない。
試練の連続をボヤきながらも「笑」の感情を捨てずにいられたのは、管理栄養士の資格を持つ妻のサポートに応えたいという思いがずっとあったからだ。
彼は言っていた。
「いつも奥さんは僕の体のことに気を遣ってくれますし、支えてもらっているというか、一緒に戦ってくれています。それなのに(下を向いたら)凄く頑張ってくれている奥さんに凄く申し訳ないなって思いましたし、だからこそ試練を乗り越えて強くなっていかなくちゃなって」
ケガに負けないために――。マウスピースをつけてトレーニングし、全体練習後は筋トレ、体幹トレに時間を掛けるようになった。メンタルトレーニングも取り入れてみた。自分に合うものを取捨選択しつつ、肉体と精神の強靭化に成功したのだ。筆者が記したアリのようなしなやかさにも磨きが掛かり、2016年シーズンに15ゴールを挙げ、翌17年シーズンにあの栄光が待っていた。
縁のなかった日本代表でも、ついに輝きを放つことになる。リーグ初制覇直後の東アジアE-1選手権、味の素スタジアムでの中国代表戦。0-0で迎えた後半39分、ゴール前でこぼれたボールを追って反転するや否や、角度のない位置から左足でゴールに放り込んだ。A代表デビューを飾ってから3年越し、11戦目で奪った初ゴールの瞬間は、いつものようにすぐさま左手の薬指に唇を寄せた。試合後、声を弾ませる彼がいた。
「ずっとそうしてきたので体が勝手にそうしていました。ゴールを決めたら奥さんに捧げたいというのが僕のなかにあるので、感謝の気持ちが少しでも届けばいいなと思いました」
一人ではサッカーの神様からの試練を乗り越えることができなかったかもしれない。妻と子供たちの存在が、彼の強靭化の根っこにあった。
ワールドカップ出場の夢こそ叶えられなかったものの、フロンターレでは多くのタイトルを獲得してレジェンドの一人となった。
ハーフシーズンとなった今年の百年構想リーグではゴールを奪えなかった。残り3カ月、出場機会を得てゴールを挙げることが現役生活最後となるサッカーの神様からの試練となる。
神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないんだよ――。
薬指にキスをする光景が、必ずや待っている。