どんな試合にも、印象に残るこの一球というのはあるものだが、それが注目のエース対決となれば、なおさらだろう。
 5月16日(現地時間)のテキサス・レンジャーズ−デトロイト・タイガース戦は、ダルビッシュ有とジャスティン・バーランダーの対決ということで、米国でも関心は高かったらしい。
 バーランダーといえば、100マイル(160キロ)の豪速球と大きなカーブを武器とする、現在のメジャーリーグNo.1投手である。それに、ここまで6勝と好調で、次のNo.1投手の座を目指すダルビッシュが挑む、という構図だった。
 立ち上がり、ダルビッシュは好調だった。1、2番は簡単に退けて、3番は昨年の三冠王ミゲル・カブレラ。これは一瞬、レフトへ痛打されたかと思われたが、意外に打球が伸びず、レフトフライ。多分、カットボールだった分だけ、芯を外したのだろう。

 2回に入ると、さらに好調ぶりは加速する。4番プリンス・フィルダーは、初球、沈むボールで空振り。2球目、インハイのストレート系で詰まらせて、一塁ゴロ。
 5番ビクター・マルチネスは、初球を打って一塁ゴロ。3球でいとも簡単に2死である。しかも1回に打ちとったカブレラ、そしてこの回のフィルダーという3、4番は、もしかしたらメジャー最強かもしれない。ともかく、相手がメジャーでも1、2を争う強力打線であることは間違いない。それをここまで、いともやすやすと、しかも少ない球数で退けている。このままいけば、今日は完封か、とつい期待してしまう。

 で、6番アレックス・アビラ。初球、アウトローにストレート、96マイル(約155キロ)、ストライク! 2球目、スライダー、見送り、ストライク! 見ているだけで気持ちいい。永久に打たれないんじゃないかと思いたくなる。実際、誰もが三振を予測したのではあるまいか。しかし、もちろん勝負はここからである。
 3球目、アウトロー、ボール。まぁ、一球外して様子を見た方が安全というものだろう、と納得する。
 4球目、変化球がすっぽ抜けてボール。あれれ。カウント2−2。
 5球目、おそらくこのボールで決まるんだろう、と勝手に予感しながら見守る。アウトロー、ストレート、96マイル! お見事、と声をあげたいところだが、ファウル。カウント依然2−2。
 さぁ、そろそろ本当に決めなくてはならない。
 6球目、捕手ジョバニー・ソトはやや半身になって捕える。投げたのは、なんとカーブ。うーん、わずかに高いか。ボール。

 印象的なのは、この一球である。確かに、96マイルのアウトローのストレートの後、あのカーブが決まれば、打者はなすすべもなく、見逃し三振に倒れるに違いない。結果がそうであれば、捕手ソトの素晴らしいリードと評価されるのだろう。しかし、むしろ、捕手が楽しみすぎたように見えた。あまりにも気持ちのいい三振を思い描きすぎた、とでも言おうか。少なくとも、このカーブが、何かの分岐点になったことは間違いない。

 7球目、インローにスライダー。これまでなら凡打になっても、全然おかしくなかった。しかし、現実には、打球が一、二塁間を抜けていってヒット。
 次打者は三振でチェンジとなったものの、あの7球目が一、二塁間を抜けたということは、5番マルチネスまでとは、投手と打者の関係に微妙な地殻変動のごとき変化が起きた証しといっていいだろう。乱暴に言えば、球場がそれまでより、ヒットが出やすい空間になったのである。

 一球で変わった勝ち運の風向き

 3回は結果だけ記す。先頭の8番ドン・ケリーがソロホームラン。9番オマー・インファンテはセンター前ヒット。1番アンディ・ダークスはライト前と、あれよあれよの3連打。続く2番トリ―・ハンター犠牲フライ。そして3番カブレラは、低目のツーシーム(だと思う)を見事にとらえてレフトへ二塁打。やや中よりだったかもしれないが、低めに沈むなかなかの変化球だった。それを軽々と二塁打にするのだから、さすが三冠王というべきか。結局、ダルビッシュはこの回3失点。

 ところが、対するバーランダーはさらに大乱調で、3回途中、8失点KO。確かにこの日、バーランダーは立ち上がりから変調だった。明らかに力んでいる割には、ボールがこない。コーナーに決まらない。結果、走者を背負う。話題のダルビッシュとの対決、というので意識過剰だったのだろう。オレのボールを見てみろ、という気合いが空回りしたと言おうか。もしかしたら、バーランダーにはそういう側面があるのかもしれない。昨年のオールスターで先発したときもそうだった。ストレート一本槍にこだわって、痛打されていたと記憶する。

 ただし、ダルビッシュにも、バーランダーに対する一種、過剰な意識はあったと思われる。というのも、バーランダー降板後、立ち直ったのだが、なんと8回まで投げたのである。首尾よく7勝目を挙げたが、球数はメジャーでは異例の130球に達した。早々に降板したバーランダーに対して、こっちは8回まで投げるというのを見せたかったのではあるまいか(もっとも、ダルビッシュ本人は、前日、竜巻の影響で飛行機がおくれ、救援陣が疲れていたので、自分が続投した、とコメントしている。いずれにせよ、エースとしてのふるまいだったということだ)。

 ただし、この130球が試合後、物議をかもし、その後の試合の球数、すなわち降板のタイミングに微妙な影響を与えている。以来、好投はしても、6月6日時点まで、勝ち星に恵まれず、7勝のままである。あのカーブは、開幕から順調に勝ち星を重ねた勝ち運の風向きをも、少し変えたのかもしれない。

 もちろん、カーブという配球が悪いといっているのではない。確かに、投げられてみれば、魅力的なカーブだった。ただ、おそらくは捕手に、リードする上でわずかに遊び心が介在した。立ち上がりのダルビッシュの調子から見て、そう簡単に失点することはないと見えた余裕からであろう。ただ、その思惑は、凡打になるはずの打球がわずかにヒットコースに寄るような、微妙な潮目の変化も含んでいたのである。

 俗に「一球の怖さ」という。野球においては、しばしばひとつの失投が、勝敗のゆくえを決めてしまう。波瀾を生む。だが、勝敗に直結しないまでも、試合の動向に決定的な変化をもたらす、そんな潜勢力を秘めた一球というものもまた存在する。一見、両投手が打ち込まれる締まらないエース対決にも見えたが、そういう一球のはらむ波瀾を楽しめる試合でもあったのである。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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