今月はブラジルW杯アジア最終予選、コンフェデレーションズカップと日本代表の話題に事欠きませんでした。みなさんがご存知のとおり、日本は4日のオーストラリア戦で5大会連続の本大会出場を決めました。日本サッカーは20年前にJリーグをつくると同時に、育成にも力を入れ始めました。その時に子供だった選手たちが5大会連続出場という歴史を築いたわけです。これは日本サッカーの取り組みの成果といえるでしょう。
 豪州戦では後半37分に、相手のクロスがそのままゴールインしてしまうかたちで失点しましたね。確かにアンラッキーな場面ではありました。ただ、そこから本田圭佑、香川真司を中心に攻める姿勢を保ち続けたのは今までの日本にはなかったものです。ホームのサポーターの前で絶対に負けられないという強い思いが、前面に出ていたように感じましたね。

 11日のイラク戦は試合途中に給水時間が設けられたことでもわかるように、暑さが影響して、選手たちはいいパフォーマンスを発揮できませんでした。まあ、W杯出場を決めてホッとしたところもあったんでしょう(笑)。それでも勝利という最低限の結果を出したことは評価できます。最終予選を白星で締めくくり、続くコンフェデ杯でどんなサッカーができるか。期待していたのですが、結果は3戦全敗……。世界との差がまだまだ大きいことを痛感させられた大会となりました。

 王国にはめられた日本

 初戦のブラジル戦では、開始早々にネイマールにスーパーゴールを決められました。あれには正直、度肝を抜かれましたね。振り切らず、確実にミートすることを優先し、コースも狙う。日本人であのようなシュートを打てる選手はそういません。「これが世界のトップレベルか」と選手、スタッフ、そしてサポーターも感じたのではないでしょうか。

 その後はなんとかしのいでいた日本ですが、後半3分と終了間際に失点して0−3の完敗に終わりました。序盤に仕掛け、中盤、終盤で突き放す。ブラジルのゲームプラン通りだったと言えるでしょう。

 早い時間帯で先制された日本はどうしても攻めに転じざるを得なくなりました。それも「攻めさせられた」のです。実際、先制後のブラジルの守備陣はラインを高く保たず、日本にボールを支配させた上で、アタッキングサードなど危険なエリアに入ってきた時には確実にボールを奪っていました。無理にボールを奪いには行かず、スタミナを温存し、相手にミスが出たところを突く。ブラジルのうまさを感じる試合運びでした。

 とはいえ、どんな試合にも必ず波があります。日本にもチャンスがいくつかありました。ここをモノにできていれば、また違った結果になっていたでしょう。ブラジルはチャンスの時間帯で確実にゴールにつなげていましたから、その意味ではサッカー王国の強さも感じた試合になりました。

 守備でも個のレベルアップを

 ブラジル戦の完敗から、続くイタリア戦では日本はどこか吹っ切れていた感がありましたね。前田遼一や岡崎慎司の裏へ抜ける動き出しも多く、「やらずして負けるより、やるだけやってみる」というチャレンジャー精神が見て取れました。また、アルベルト・ザッケローニ監督がイタリア出身ということで、選手たちに母国のシステムや戦い方に対する知識、注意点をうまく伝えられていたのでしょう。たとえば、この試合では日本の選手間の距離が常にコンパクトに保たれていました。相手のボールホルダーに次々とアプローチをかけ、簡単に攻撃を組み立てさせませんでした。ここはブラジル戦では見られなかった部分です。

 しかし、残念なシーンもありました。後半5分、吉田麻也がPA内でボールの処理を誤り、オウンゴールにつながったことです。おそらく、吉田はボールがゴールラインを割ると思ったのでしょう。ところが、ボールが思った以上に伸びず、クリアしようと一旦胸でコントロールしたところを相手に奪われました。相手は、すぐ後ろに迫っていたのですから、思い切ってダイレクトでタッチラインの外に蹴りだすか、CKに逃げて、一度、プレーを切るべきだったと思います。

 メキシコ戦でもディフェンスでまずい面が出ました。後半9分、ハビエル・エルナンデスに先制弾を許したシーンです。左サイドからのクロスに、ゴール前でヘディングシュートをフリーで決められました。あの場面、サイドでは酒井宏樹がクロスを上げたロベルト・グアルダードに対応していたのですが、少し簡単にボールを上げさせすぎたと感じます。前回も述べたように、横からのボールはキッカーとマーカーの同一視が難しくなるため、どうしても反応が遅れがちになります。酒井宏のみならず、粘り強く体を寄せ、少しでもクロスの精度を下げさせる、またはボールをつついてピッチ外へ出すといった守備における個々の技術を上げなければなりません。

 またメキシコ戦ではザッケローニ監督の采配にも疑問を感じました。リードされている状況でDFを2人投入したのです。4−2−3−1のシステムを3−4−3に変えるための決断だったのでしょう。しかし、布陣変更直後に2点目を与えてしまい、長友佑都が負傷して間もなく元のかたちに戻さざるを得なくなりました。システムを試合途中で1回変えるだけでも簡単な作業ではありません。それが、DFラインの枚数が4から3、再び4とコロコロ変化してはチームのバランスが崩れてしまいます。結局、日本は攻守ともにリズムに乗り切れず、1点を返すに留まりました。変えるのであれば変えるで、3−4−3移行で示した攻撃的な姿勢をもっと貫いてほしかったですね。

 日本はW杯の常連国になりつつあります。しかし、コンフェデ杯で対戦したブラジル、イタリア、メキシコは“W杯常勝国”。3連敗は「世界はそんなに甘くないぞ」ということを示しています。1年後の本大会へ、組織としても個人としてもレベルアップの必要性を強く認識させてもらえました。W杯モードに切り替える上で、選手もスタッフもこれ以上ない刺激になったのではないでしょうか。

 特に選手たちは、今、代表に選ばれているからと言って、来年の本大会のメンバーに入れるかはわかりません。国内組であろうが、海外組であろうが、そこは競争の世界です。それぞれの舞台で個の力を磨き、代表内での激しい競争を経た上で、一丸となって世界と戦う。残り1年、ザックジャパンがそんな集団になっていくことを期待しています。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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