3戦全敗。日本にとってはお世辞にも収穫大とは言い難いコンフェデではあったが、おそらく、香川だけはかなりの手応えをつかんだのではないかという気がする。
 これまでの彼は、良くも悪くも典型的な日本人選手だった。一生懸命頑張りはするし、それなりに安定してもいるのだが、どこか引っ込み思案というか、自己主張をしきれないところがあった。使う側からすると、そこが便利だという面もあったことだろう。

 だが、ドルトムントやマンチェスターUでは“器用な脇役”でいればいい彼も、日本代表では攻撃の中心としての役割を期待される。そして、これまでの彼は、期待される選手が持つべきものを持っていなかった。

 俺がチームを引っ張るんだ――という責任感である。

 ブラジル戦は論外だったが、残る2試合、香川のプレーからはいままでにない責任感が感じられた。気構え一つで選手はこうも変われるものなのか、と驚かされる変貌ぶりだった。香川自身、日本代表での気持ちのつくり方のコツをつかんだのではないか。

 なんにせよ「このままでは勝てない」ということがはっきりしたコンフェデではあった。ファンの中から新戦力の抜擢を求める声が出てきているのも当然である。ただ、「南アフリカでは4試合戦って2失点だった。ゆえにCB中沢と闘莉王のコンビを代表に呼ぶべきだ」という意見に関しては、賛同しかねる部分がある。

 中沢が、闘莉王の現状が素晴らしいから代表に呼ぶべきだ、というのであればわたしも反対はしない。だが、南アフリカで失点が少なかったのは、CBの能力によるものというよりは、戦い方が極端に守備的だった。本大会よりは少しばかり挑戦的なサッカーをやった09年の欧州遠征では、2試合で6失点を喫していることからも、それは明らかである。

 彼らは、失点を減らす特効薬ではない。

 南アフリカでの日本の戦いを、わたしは自虐史観に基づく戦いだったと思っている。自分たちにはこんなサッカーしかできない、というのが、直前になって採られたあのチームの前提だった。確かにそこそこの結果は出たが、果たしてあの勝利は日本人に自信をもたらしたのだろうか。ブラジルと戦うにあたって怯えずにすむ日本につながったのだろうか。

 歓喜は生むが、自信は生まない。それが内容なき勝利というものである。自信は責任感を生み、責任感は選手を変える。そして、責任感ある選手が多数派となった時、日本代表も間違いなく変わる。

 中沢の、闘莉王の招集に反対するわけではない。が、待望論の根っこにあるのが南アフリカへの郷愁だとしたら、わたしは声を大にして反対する。

<この原稿は13年7月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから