今は昔、世の人々はまだ、真相というものを知らされていない時分のことであった。人間は社会を形成しないと生きていけない動物だが、社会を維持するためには、なぜだか知らないが、どうしても権力者が必要になるらしい。そして権力者は、往々にして、肝心なことを社会のメンバーに知らしめないことで、自らの権力を保とうとするのである――。『今昔物語』本朝世俗部の筆者が、今生きていたら、そのようなことを書き記すだろうか。
 さて、説話は続く。2013年5月11日のことである。オリックスvs.北海道日本ハムが行なわれていた。1回裏、オリックス・糸井嘉男は、日本ハム先発の谷元圭介のアウトローのボールを、スコーンと合わせる。ライトフライかなと思いきや、これがあれよあれよという間にスタンドまで届いて、3ランとなった。

 中継していたNHKの解説者は梨田昌孝氏である。
「初球を合わせながら振ったら入ったという感じですね。その分、ヘッドが走ったのかもしれない。腰を入れて打ったという感じはしない」
 その次のひと言が、きわめて印象的だった。
「今シーズン、まぁ、ボールが変わったかどうか知りませんが、飛ぶのは事実なんですよね」
 笑った、笑った。久し振りに腹をかかえて笑いました。さすが梨田氏。気が利いている。

 日本野球機構(NPB)が、実は統一球を昨季までより飛ぶように変えていたことを認めたのは6月12日。それ以来の大騒ぎから考えれば、これは「知らされぬ民」が、権力者に疑惑の目を向けつつも、まだ穏和に過ごしていた昔の話である。誤解のないように申し添えれば、何も糸井のホームランにいちゃもんをつけたいわけではない。今季、このようなホームランは、数多く見てきた。あくまでもその一例として、むしろ梨田さんのあまりにも秀逸なコメントを紹介したかったにすぎない。

「あのー、これ別に不祥事ではないだろうと思います。何か不祥事を犯したかというと、そういうことではないだろうと思います」と、心なしか顔を紅潮させて言いつのる加藤良三コミッショナーの姿もまた、今は昔の物語かもしれない。要するに「不祥事」と公式に認定されなければ自らのキャリアに傷はつかない、という官僚の論理なのでしょうか。

 統一球問題の本質とは

 この事件については、各方面からさまざまな意見が出されているし、語るべきことは、たくさんあるだろう。個人的には少々気になることがある。何がいけないのかという感覚についてである。つまり、黙ってこっそり反発係数を変えたことがいけない、というのが大方の見方であるらしい。「このように変えますよ」と事前に発表さえすれば、何の問題もなかった、という意見が大半を占めているのだ。多くの野球選手も、ファンの方々も、評論家の方々も。

 例えば、選手会の反応も、事前に知らされていれば、そういうボールを前提にした契約ができたし、もしかしたら、昨季で引退した打者の中には、現役続行できた人もいるかもしれない――そういう論理が多かった。それは、もちろん理解できる。ただ、一方で、昨季よりボールが飛ぶようになったことは、あまり問題にされていないように感じる。むしろ、1−0や2−1のような貧打戦より、今季のように、ある程度ホームランが出る方がいい、という論調がほとんどである。いわば、興行の論理ですね。しかし、隠し事はいけない、もう少しカッコつけて言えば、情報や組織の透明性というようなことだけが、本当に問題の本質だろうか。

 今季のプロ野球が否応なく内包している違和感とは、芯でとらえた打球でもないのに、あれよあれよとスタンドまで届くホームランが、開幕以来、明らかに目についたということにある。冒頭の梨田氏のコメントを再び引用すれば、「腰を入れて打った感じがしない」ホームランが増えたのである。統一球導入によって見られなくなった「飛ぶボールによる水増しホームラン」が、再び姿を現しているのではないか、という違和感である。

 報道によれば、例えば昨年2012年8月17日の6試合で使用したボールの平均反発係数は0.406だった。今年6月7日の6試合のボールの平均反発係数は0.416である(6月15日付「朝日新聞」)。その差は0.01ということになる。反発係数が0.001上がると約20センチ飛距離が伸びるそうだ。ということは、0.001×10=0.01だから、20センチ×10=200センチ。すなわち、計算上は、去年までの統一球に比べて、今年は約2メートル飛距離が伸びたことになる(算数は苦手なのだが、この計算、合ってますよね)。

 私は、問題はここにあると思う。つまり、11〜12年の統一球と比べて、今年は本当に2メートル(誤差も考えて2〜3メートルとしておきましょうか)飛距離が伸びただけなのだろうか。見ている側の実感としては、そうは思えない。少なくとも5メートルくらいは違っていませんか。もちろん、これはあくまでも観衆としての感想であって、何の証拠もない。妄言だといわれれば引き下がるしかないのだが‥‥。

 あえてかすかな傍証をあげるとすれば、たとえば、NPB下田邦夫事務局長の「まさかこんなに飛ぶようになるとは」という発言がある(「朝日新聞」6月15日付)。この発言には、2メートル程度の微調整のはずだったのに実際は数値以上に飛ぶようになった、という底意が読み取れないだろうか。

 「ほどけにくいスピン」の重要性

 これを手がかりに、選手のコメントを探してみると、こんなのに行き当たった。
「守っていてもスピンがほどけない」(中日・和田一浩、6月13日付「日刊スポーツ」)
 これは実際にプレーしている選手でないと、わからない感覚だろう。「反発係数」という数字の世界だけで解釈すれば約2メートルの問題、そこに「スピン」という野球の技術の要素が入ると、数値は大きく変わる可能性もあるのではないか(和田のコメント全体の主旨は、「事前にいってもらった方がよかった。2年間、あまり飛ばないなかでいろいろやってきたことは無駄ではないと思う」というもの)。

 もはや有名な話に属するが、旧統一球の時代でも11年、中村剛也(埼玉西武)は48本のホームランを打った。彼自身は、今回の改変について、「何で変えたんやろ。個人的には残念です。(略)芯に当たれば、ボールは飛んでいたんやから」(6月19日付「日刊スポーツ」)とコメントしている。中村は当時から、統一球も芯に当たれば飛ぶ、と強調していた。では、他の打者と中村の違いは何だったのだろう。

 想像を膨らませるもの言いで恐縮だが、それは中村の打球には旧統一球の時代から「ほどけにくい」スピンがかかっていたからではないか。たとえば岡田幸文(千葉ロッテ)は、昨季と今季の違いを「去年までは落ちてきたボールが、オーバーフェンスになったりした」(6月13日付「日刊スポーツ」)と証言している。これも、名外野手ならではの感覚だろう。和田のコメントとあわせて考えれば、スピンがほどけにくい打球は、落ちずに伸びていく、ということである。そして、中村は旧統一球でも、その「ほどけにくい」スピンを生み出すことができていたのである。

 では、そのようなスピンはいかにして生み出されるか。容易におわかりのように、ここから先は、打撃技術の問題である。そして、おそらくは、ボールの軌道に対して、どのような角度でバットを入れるか、という問題であるに違いない。そして、ここで肝心なのは、ひとり中村だけが特別な打者だと考えるべきではない、ということだ。他の多くの打者も、今後、中村が実践したような打撃技術を磨き得るし、磨くべきだと考えることである。それが、必ずや将来、日本野球に幸せをもたらすことになる。

 求めるべきは腕力ではなく技術向上

 張本勲さんは、例の「喝」「あっぱれ」で有名なテレビ番組「サンデーモーニング」(TBS系、6月16日)に出演して、こうおっしゃった。
「やっぱりしっかりつかまえてホームランにならないと。今、腕力だけある人が遠くへ飛ばしてホームランする。こういう時代になったら野球が雑になりますよ。技術がなくなりますからね」

 あえて強引に結びつけよう。ここでいう「(ボールを)しっかりつかまえて」というのは、基本的には、芯でとらえることを指しているだろう。「しっかり」という言葉は、梨田さんのおっしゃる「腰を入れて打った」という感覚にも通底している。そして、中村の言う「芯に当たれば飛んでいた」という変哲もない言葉も、実はこの感覚、ないしは技術を指しているのだ。それは、決して腕力ではない。

 和田は「(この2年間)いろいろとやってきたことは無駄ではないと思っている」と言った。その通りだと思う。ただ、その努力は、この2年間だけで終わりにするべきものではないだろう。今後、統一球問題を考える際の核心は、この点にこそあるのではないか。

 7月3日、J2横浜FCの三浦知良は、対栃木SC戦で前半開始16秒、46歳という史上最年長ゴールを決めた。ディフェンダーを瞬間でかわした右足のトラップが見事だった。それより感心したのは、試合後のコメントである。「(シュートした)左足は完全にネイマール」と言ったというのだ。46歳にしてなお、世界最高峰の一人とされる若手の技術に憧れる。その精神が素晴らしい。

 例えば日本野球においても、ホームランを打った試合後のコメントで、「ボールに対するバットの角度が完全にカブレラでした」なんて言う選手は出ないだろうか。元埼玉西武のカブレラではありませんよ。昨年、三冠王に輝いたミゲル・カブレラ(デトロイト・タイガース)である。彼など、メジャーリーグにあって、腕力というよりは技術でボールを飛ばしている最強打者だと思うのだが。きっと、打球のスピンはなかなかほどけないに違いない。

 ちなみに、メジャーリーグの使用球の平均反発係数は、今年3月の調査で、0.386だったという(6月16日付「朝日新聞」)。数字だけ見れば、旧統一球よりも飛ばないことになる。これは、あくまで参考であって、数字だけで割り切れるものではないことは、見てきたとおりだ。

 ただ、これだけは言える。飛ぶボールを使って、ホームランがたくさん出ればそれで野球ファンが喜ぶ、というものでは決してない。NPBがまじめに日本野球の未来を考えるのならば、プロとしての技術を磨くに適したボールを、もう一度研究し直し、採用すべきだろう。未来を切り拓くのは、腕力ではなく技術なのだから。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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