「明日、世界タイトルを獲るよ」
 世界大会(2010年12月)の前日、山本祐揮は開催地のウクライナから静岡の自宅で待つ妻に電話でこう約束した。出発前は「どこまでやれるか」というまさに腕試しに行く気持ちだった。しかし、それは決戦の地を踏むと勝ちたいという欲望に変わっていた。

 意識を変えた世界タイトル

 大会は世界アームレスリング連盟(WAF)の主催で、山本が出場した階級は86キロ級だった。12人のナショナルチャンピオンが顔をそろえた中で、山本は持ち前のパワーと瞬発力を発揮。初出場ながら決勝へと駒を進めた。その勢いで頂点まで一気に駆け抜けたかったところだが、決勝の相手は一筋縄ではいかなかった。

 相手はエジプト人選手で、反則負けもいとわない豪快な競技スタイルだった。エジプト人選手は腕を自らの体に引き寄せた位置で試合を始めようとしていた。本来なら競技台の中央の位置からでなければ、スタートの合図はかからない。しかし、審判がエジプト人選手を注意することはなかった。決勝の審判は対戦相手と同じエジプト人だったのだ。
「グルだったようです(苦笑)。相手が卑怯なことをしてもそれで始まってしまう。言語の違いもあり、反則のアピールができなかったのでかなり苦戦しましたね」

 1本目は何とか勝利したものの、2本目は組手争いで15分を要する長期戦となった。それを受け、審判はストラップ(組手が離れないように巻き付けて固定するヒモ)を宣言。これでは最も力を入れられる組手にできない。さらに、エジプト人選手が再び腕を引き寄せた状態でスタートをかけられた。山本は「さすがに勝てなかった」と2本目を落とした。

 運命の3本目も、相手は組手をわざと切り離すなどしてストラップ戦に持ち込もうと考えていた。スタートがかかると、山本は「逃げられる!」と感じたという。だが、次の瞬間、山本は相手の手を下に叩きつけた。
「咄嗟でしたね。“飛燕”という技なんですが、今は練習してできるようになりましたが、その時は練習もしていませんでした。パッとひらめいて、次の瞬間には下に叩きつけていた。土壇場に強いのかなと思いましたね(笑)」

 苦戦の中で獲得したタイトルが山本を変えた。
「世界タイトルを獲ったことで、普段の練習も自信を持ってできるようになりました。それまで勝てなかった階級が上の選手も倒すなど、自分でもぐんぐん実力が伸びるのを感じましたね。そして、さらに上を目指そうという意識に変わりました」

 山本の経歴には連覇がない。それは常に上を目指すがゆえ、階級を上げていくことにしか関心がなかったからだった。だが、そんな山本にある困難が立ちふさがった。資金不足という壁である。

 思いをぶつけた最終オーディション

「今までに20大会くらい資金不足で逃した大会がありました。全日本に出たい年は節約として地方の道場杯には出場しないようにしていたんです」
 全日本は毎年、栃木県で開催されている。静岡を拠点に活動している山本にとっては、交通費、エントリー費などの経費はばかにならなかった。

 そんなある日、当時勤めていた職場の上司から「スポンサーつけたいね」と声をかけられ、提案されたのが「第1回マルハンワールドチャレンジャーズ」(11年)だった。山本は早速、応募条件である「アスリートエール」に登録した。しかし、締め切り直前だったこともあり、思ったような活動アピールをすることができなかった。結果として、山本は書類選考で落選した。再びゼロから資金調達を行うことになった。

 それでも、何とかやりくりして同年の全日本には出場した。山本はそこでA−1レフトハンド90キロ級を制覇し、2年連続で世界大会への出場権を得た。しかし、そこまでの余裕はなく、大会出場は見送った(後になって大会自体が中止)。12年には全日本の出場も見送り、山本はスポンサーの必要性を改めて痛感した。

 引き続き、アスリートエールや周囲を通じて支援を募ったものの、なかなか簡単にはいかなかった。また、山本は早朝から夜まで仕事をこなし、アルバイトも掛け持ちしていた。「第2回マルハンワールドチャレンジャーズ」の選考期間が始まっても、アスリートエールの更新がままならない状況が続いた。だが、そんな彼に思いがけない連絡が届いた。

「第2回マルハンワールドチャレンジャーズのファイナリストに選ばれました」
 オーディション関係者からの電話だった。
「もう奇跡でしたね。仕事も忙しいし、あまりアスリートエールの更新もできていなかったので……。僕の掲げた『世界最強の腕力へ』という目標に興味を抱いていただいた人が多かったのかなと思います」
 山本は驚きの瞬間をこう振り返った。

 最終オーディションには山本を含めて14人が進出した。グランプリに選出されれば協賛金300万円を獲得できる。本番でどのようにアピールするか。山本は悩みに悩んだ。そして、こう決意した。
「自分がアームレスリングをどれだけ好きか、世界を目指しているか。あとは多くの人にアームレスリングを知ってもらいたい」

 ただ、本番に臨むにあたり、山本のある弱点が顔を覗かせた。彼は“あがり症”だったのだ。リハーサルではライトが自身に当たった瞬間に「頭の中が真っ白になった」という。なかなか言葉が出てこなかった。本番に向けて不安ばかりが募る中、関係者のひとりから「上手にしゃべるオーディションじゃないので、全然気にしなくていいですよ」とアドバイスされた。その一言で山本は落ち着きを取り戻した。

 本番では緊張で時折、声が震えながらも思いの丈を審査員と会場の観客にぶつけた。
「アームレスリングを愛しています。もっと競技を普及させ、メジャーにしていきたい。五輪競技採用に向けて2つある団体を1つの団体に統一したい考えもあります。アームレスリング界に革命を起こします!」

 その思いは届いた。協賛金100万円のほかに二宮清純賞も受賞し、計130万円の費用を獲得したのだ。
「嬉しかったですね。競技をやる前の僕だったらマルハンワールドチャレンジャーズに応募するなんてことは絶対なかったと思います。どんどん積極的になっている。アームレスリングが僕を変えてくれたと改めて感じました」
 こう語る山本は満面の笑みを浮かべていた。

 アームレスリング界を背負う存在として

 もちろん、獲得資金はアームレスリングのために充てた。筋力トレーニング用のケーブルマシンやサプリメントを購入。自身のストロングポイントであるパワーに更に磨きをかけた。また、それまで控えていた遠征も積極的に行った。
「重量級の選手がいる浜松のチームに出稽古に行ったり、兵庫県、三重県のチームにも練習に行ったり……。いつもなら絶対に行けないところに行かしていただきました。僕はアームレスリングは、いろんな選手の手をにぎらないと上達しないと考えています。様々な選手と対戦することで経験を蓄積する。本当にたくさんの選手のところへ行って、たくさん経験を積めたからこそ今の自分があると思っています」

 レベルアップしたことを証明したのが今年6月9日に行われた全日本選手権である。山本は新設されたA−1レフトハンド100キロ級を全勝で制したのだ。いつもは「大丈夫かな」と心配する妻も「今回は安心して見ていられました」というほどの安定感だった。もちろん、3階級制覇を果たしても彼に満足の二文字はない。次の目標は無差別級での優勝だ。

 それには理由がある。世界では山本が優勝した世界大会のほかに、プロのトーナメントも開催されている。そこには山本いわく「世界大会で優勝して当たり前」の選手たちが集うという。大会スポンサーに大手酒造メーカーがつくなど、賞金も高額だ。
「その大会には推薦状がこないと出られない仕組みになっているんです。ただ、日本で18年間ずっとチャンピオンである方でも推薦状がこない。何か目立つ実績がないと難しいんです。ですから、100キロ以下の体重で無差別級に出場し、圧倒的な勝ち方をすれば推薦状がくるのではと考えています」

 そのために山本はさらなるパワーアップに取り組んでいる。
「パワーがあればスタートで遅れて、パットまで残り1センチのところまで持っていかれても、手首が入って止まれば押し返すことができます。今はひたすらパワーを上げるトレーニングをやっています。また、ケガをしないことも大事。トレーニング中に痛みが走った時は中断して、別の部位を鍛える。そういうふうに継続したトレーニングができるように意識しています」

 また、山本はメンタル面の強化の必要性も挙げた。というのも、アームレスリングは逆転が多く起きるスポーツでもあるからだ。決勝では予選を無敗で勝ち上がった選手は1本、それ以外の選手は2本取れば勝利となる。無敗で勝ち上がった選手が、予選で勝利した相手に逆転負けを喫することも少なくない。
「アームレスリングは常に変化があるスポーツなんです。対戦経験のある相手でも、また次に握った時には雰囲気、力などさまざまな部分が変わっていることを感じます。簡単に負けてしまった相手でも、しっかり切り替えて、気合を入れて集中すれば2回取り返せる時がある。そういう部分もすごくおもしろいと思いますね」

 もちろん、愛するアームレスリングのメジャー化のための活動にも余念はない。マルハンワールドチャレンジャーズ終了後には、各地で宣伝活動に取り組んでいる。その成果もあり、全国ネットのテレビ番組や雑誌など、メディアに取り上げられることが増えた。イベント会場などで「テレビ見たよ」と声をかけてくれる人も増えてきているという。

「まず自分の影響力がすごく大事だと考えています。僕が活躍して注目を浴びることで、『山本選手のようになりたい』と思ってくれる人を増やしたいんです。そうすれば競技人口増加にもつながります。もっと大きな存在になって、アームレスリングの魅力を増大させたい。そのためには強くないと話になりませんけどね」
 山本にとって自身が強くなることとアームレスリングの普及は表裏一体となっているのだ。

 山本はこの7月から大手外資系生保会社に転職し、新たな生活をスタートさせた。これにより、以前の職場と比べると大幅にアームレスリングの練習時間が増えているという。さらに競技にのめり込むことで、彼の筋骨隆々な体は今後、どこまで進化を遂げるのか。目標として掲げる「世界最強の腕力」獲得のために、アームレスラー・山本祐揮は立ちふさがる敵をねじ伏せ続ける。

(次回は車椅子バスケットボールチーム・NO EXCUSEを紹介します。8月7日更新予定です)


<山本祐揮(やまもと・ゆうき)プロフィール>
1983年11月2日、愛知県生まれ。静岡を拠点に活動。中学、高校では柔道部に所属。08年からアームレスリングの練習を始める。10年に全日本選手権A−1レフトハンド80キロ級で優勝。同年の世界選手権レフトハンド86キロ級も制した。11年に全日本選手権A−1同90キロ級、今年6月に同100キロ級で優勝して3級制覇を達成。現在は世界のプロトーナメントの出場を目指しながら、自宅で「山本道場」を開いて競技の指導も行う。12年の第2回「マルハンワールドチャレンジャーズ」では協賛金100万円と二宮清純賞を獲得。身長182センチ、体重97キロ。

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※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(鈴木友多)
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