彼らは今、本当に気持ちいいだろうな。羨ましい。あからさまに嫉妬しながら、あるバッテリーを見つめていた。夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)予選、西東京大会の決勝、日大三−日野の一戦である(7月28日)。西東京では近年、圧倒的に日大三高が強い。しかも強打でことごとく圧勝する。今年も準決勝まですべてコールドゲームで勝ち上がった。対する日野は、都立高である。西東京の都立高はもう32年間も甲子園に行っていない。西東京において、甲子園は強豪私立高のものなのである。その「巨大な壁」(日野・嶋田雅之監督)に挑んだのが、池田直人−豊澤拓郎の日野バッテリーだった。
 まず、池田投手がいいのは、過剰な力みやわざとらしい笑顔がないこと。口をへの字に結んで、静かにモーションを起こす。例えば右打者には、ツーシーム(シュート?)系のボールをインコースに見せて、勝負は外角低めのスライダー。時折、大きく落ちるボールを交える。シンカーとカーブと両方あるようだ。しかし、基本となるのはスライダー。この切れ味は鋭い。そして右打者の外角ボールのコースから、シュートがぎりぎりストライクゾーンに食い込む。いわゆるバックドア。おお、グレッグ・マダックスか、おまえは。

 とはいえ、決勝では早々に失点してしまった。1回表には4番・佐々木優に痛烈なタイムリー。3回表にはその佐々木のインハイを狙ったシュートが死球になったのが響いて3失点。ただし、この回、日大三の打球は叩きつけて高くはね上がったりしたラッキーなものばかり。見ようによっては都立高バッテリーが打ち取っている。

 シュートを投げて、シンカー投げて、スライダー。カーブ投げて、シュート投げて、スライダー。スライダー投げて、バックドア。スライダー投げて、またスライダー。球速はせいぜい115キロから、速いシュートで130キロ。それでも日大三打線に、カキーンという会心の当たりは、1回表のタイムリー以外には出ない。池田−豊澤バッテリーがおそらくはこの1年、「打倒日大三」の野心を秘めて、思い描き続けてきたであろう凡打が続く。一球一球に投手としての快感が詰まっている。結果は0−5で敗退したが、野球をやる幸せを分けてもらったような時間だった。

 で、西東京が終わって神奈川県予選に移ると、こちらは横浜−東海大相模戦。横浜は、桐光学園の注目左腕・松井裕樹を2発のホームランで沈めて勢いに乗る。序盤は0−0。東海大相模の先発は1年生吉田凌である。ストレートは144〜145キロ。スライダーが鋭い。日野の池田投手とはボールのレベルが違う。2年後にドラフトにかかっても不思議はない。ただし、池田と違って感情が表に出る。そこはまだ1年生の未熟さ。押し出しから崩れてマウンドにしゃがみこむ。横浜、決勝進出。

 それにしても、神奈川のレベルは高い。東海大相模の2番手投手も3番手投手も、みんな平気で145キロ出していた。それを横浜のプロ注目2年生、高濱祐仁や浅間大基が迎え撃つのである。でもね、吉田にしろ横浜の2年生エース伊藤将司にしろ、必死であって楽しくはなかっただろうと思う。その点、日野の池田の投球には、一球一球に快感が伴っていた。145キロの才能より、池田の快感を羨む平成25年の夏……。

 美と快感を伴う野球の本質

 少し高校野球を離れようか。7月23日(日本時間)のニューヨーク・ヤンキース−テキサス・レンジャーズ戦。レンジャーズ先発はダルビッシュ有。これまた、快感であった。ダルビッシュはこの日、故障明けの初登板である。オールスターブレイクを挟んで、休養十分。ただ、そのせいだけではなかったと私は思う。

 なにしろ、良かったのはストレート。しかも流行の(そして彼自身も得意の)ツーシームではない。オーソドックスなフォーシームである。それも、真上から真下に投げ下ろす。この日、ダルビッシュは徹底してタテの投手であった(この人は器用なので、ヨコの投手になる日もある)。きれいにスピンのかかったフォーシームのストレートが、上から下へ投げ下ろされ、グイッと打者の手元で伸びを見せる。これぞ本当のストレートだ、と叫びたくなる。

 ダルビッシュはオールスターで、ジャスティン・バーランダー(デトロイト・タイガース)と話し込んだそうだ。「ツーシームは日本ではシュートと言う」なんて話題に花が咲いたことになっている。もちろん、そんな話もしただろう。だが、それだけではないのではないか。

 メジャーには、確かに97マイルとか100マイル(156〜160キロ)を平気で投げる速球投手が数多くいる。しかし、そういう投手はたいてい上体の力が強く、かつややスリークオーター気味に力任せに腕を振る。いわばヨコの投手。従って、ボールにあまり角度はない。だが、バーランダーの100マイルは違う。この人は上から下へ豪快に投げ下ろす。ダルビッシュは話しながら、バーランダーの「タテ」をこっそり学んだのではないか。それがこの日の見事なストレートになったのではないか。

 ツーシームもバックドアもいいけれど、フォーシームのストレートも忘れたくない。なぜなら、そこには正真正銘のストレートの美が宿るから。そして、むしろこっちにこそ、もともとの日本野球の文化があるはずだから。

 日野バッテリーとダルビッシュ――。およそ、レベルも何もかも全然違う、縁もゆかりもない別の話と思われるかもしれない。しかし、そこに通底する野球の本質はあるはずだ。ここで我々が教わるのは、本質とは美と快感を伴うものだということだ。それを際立たせてみせた、2つの出来事だったのである。

 “笑い”に潜む“怒り”

 話は、快感から笑いの方面に展開する。過日、神宮球場で東京ヤクルト−広島戦を観戦していた。今や日本野球のトピックのひとつ、大挙して球場に集う東京のカープファンは、相変わらず元気だ。この日の先発は前田健太。そして“プリンス”と呼ばれる堂林翔太が打席に入ると……(ちなみに今季、堂林は不振で打率2割そこそこしかない)。
「ドウバヤシー。ヒットの打ち方、マエケンに教えてもらえー」
「打率がマエケンよりも下になるぞー」
 そして、バンバンバンバンと応援グッズを打ち鳴らし、一斉に大応援。
「ショータ、ドバヤッシ……バンバンバン……ショッタ、ドバヤッシ……」

 で、お決まりの三振。
「おーい。頼むから、前には飛ばそうよ」
 堂林にも聞こえているに違いない。こうして書きとれば、辛辣なヤジである。ただ、彼らの言葉には、ストレートに堂林につき刺さる悪意のようなものが、感じられない。むしろ、その言葉を、スタンドの仲間で共有して盛り上がっているようなところがある。

 そして第4打席。なんと、堂林がタイムリーヒット! すかさず……。
「ごめんね、ごめんね、ドッバヤシ!ごめんね、ごめんね、ドッバヤシー!」
 そこにあるのは、笑いである。それも、ある種の屈折を経た笑い。それを「知的」と言ってもいいだろう。ここでの笑いは、グラウンドの選手たちを嘲笑するためのものではない。むしろ、選手たちのプレーから受け取ったものを、スタンドの仲間で、あるときは“笑い”に、そしてあるときは“歓喜”や、あるいは“怒り”に変換して、共有しているのである。それが彼らの野球を観戦する方法なのだ。

 だからといって、堂林は三振していいということにはなりませんよ。見ていると、彼が意識して打っている右中間の打球は、昨季よりも飛ばない。これ、本当はおかしなことである。だって、統一球は昨季より今季の方が飛ぶはずなのだ。おそらく、原因はスイングにある。インパクトの時に、腕が伸びきっていないのだ。軸足のためがないからとか、開きが早いとか、もちろん様々な指摘があって、いずれも正しいのだろうけれど、その結果として、腕が伸びてスイングの力を思い切りボールに伝える、というところが昨季よりも劣ってしまっている。

 個人的には、サンフランシスコ・ジャイアンツのバスター・ポージーを参考にすればいいと思う。ポージーもジャイアンツの“プリンス”だし。ま、それはさておき、ちょっと似た体格で、ステップの仕方など、本質的には似たフォームだと思う。もっとも、向こうは昨季のMVPだし、堂林ほど大きくステップしないけれども。

「笑い」に戻る。中川充四郎さんが、こんなことを書いておられた。今年のオールスターでホームランがゼロという珍記録になってしまったことに関連して。
<(前略)いわきで行われた第3戦では、外野への飛球がことごとくフェンス手前で失速していたのを見て、昨年までの在庫球?と思ってしまうのは、ボールに対する不信感が残っているからなのだろうか。>(「スポーツニッポン」7月25日付「ハッキリ言ってパ・リーグびいきデス」)

 ははは。在庫球ですか……。ブラックジョークですね。でも、この笑いの残念なところは、笑いの矛先が向けられているはずの日本野球機構(NPB)には、まるで届かない、ということだ。思えば、神宮球場のスタンドの笑いも、直接、グラウンドの選手に向けられたものではなかった。例えばここでの「笑い」は、それをまとわせた「怒り」だと考えてもいい。カープの不甲斐なさへの怒り、NPBのだらしなさへの怒りは、直接には届かないことになる。

 本質に宿る美や快感を味わう経験こそが、野球をする喜びであり、また観戦する幸せでもある。その本質が阻害されるような事態が起きた時、私たちは、届かない笑いや怒りを抱えて生きるしかないのだろうか。なんだか、選挙と政治の関係と似ているような……。

 少なくとも統一球の問題くらいははっきり解決するべきだろう。たしかに、一時期、妙にボールが飛ばないような気がする試合があった。かと思えば、あれで入ってしまうのか、と愕然とするホームランも、あいかわらず目につく。中川さんのおっしゃる「不信感」は、容易に拭えない。これでは美も快感も、「不信感」とないまぜになった不純物しか味わえないではないか。

 ここでもまた、「第三者委員会」なるものに、私たちの「笑い」や「怒り」が届くとは思いにくい。個人的には、議論の経過はさておき、少なくとも結論は簡単だと思う。かつてダルビッシュの発言にあった通りだろう。つまり、メジャーリーグのボールとほぼ同等の反発係数にすればいいのである。そこから、再び日本野球の美と快感が始まるはずだ。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
◎バックナンバーはこちらから