二宮: 西村さんは現役引退した翌年の 1998年からロッテのコーチを務めました。 2010年に監督に就任するまで、何人の監督さんの下でコーチを務めたのでしょう?
西村: 近藤昭仁さん、山本功児さん、2回目のボビー・バレンタインと3人ですね。

二宮:  18連敗というプロ野球記録をつくったのはいつでしたか?
西村: 僕がコーチになって1年目の近藤さんの時です。実は僕、3連敗か4連敗の時まではチームにいたのですが、ちょっと体調を崩してしまって入院したんです。それで退院して、現場に復帰した時には 16 連敗している状態でした。

二宮: さぞかし驚いたでしょう?
西村: はい。入院する時は、まさかそこまで連敗が続くとは思ってもいませんでしたからね。僕が現場に復帰した試合は今でも忘れません。その日、神戸グリーンスタジアムでのオリックス戦だったのですが、先発は当時不動のエースだった黒木知宏でした。「17連敗には絶対にしない」ということで気合が入っていました。実際、2−0でリードしていたのですが、最終回に黒木がハービー・プリアムに同点ホームランを打たれたんです。それで延長になって、結局は負けて17連敗を喫しました。実は同点ホームランを打たれる時、僕は嫌な予感がしていたんです。ベンチからキャッチャーを見たら、インコースに構えたんですよ。「うわっ、やばいな」と思っていたら、案の定レフトスタンドに運ばれました。その時、黒木がマウンド上で崩れ落ちたんです。あの姿が今でも脳裏に焼き付いています。そのまま 18連敗までいってしまいました。

二宮: 負ける時って、不思議と何をやってもダメだったりするんですよね。逆に勝つ時は、何をやってもいい方向に出る。
西村: そうなんですよね。あの時は、負の状態からなかなか抜け出すことができませんでした。

 一番大変なのはコーチ !?

二宮: 西村さんは 12年間、コーチを務めていますが、監督とはまた違う大変さがコーチにはあるんでしょうね。監督と選手との間で板挟みになることもあるのでは?
西村: 選手、コーチ、監督というすべてのポジションを経験した身としては、コーチが一番大変なんじゃないかと思いますね。コーチは自分が思うように、選手に伝えられないことがたくさんありますから。

二宮 自分自身の野球観よりも、監督の考えを優先しなければなりませんからね。
西村: そうなんです。監督は 100%まではいかなくとも、ある程度の権限をコーチに与えるべきじゃないかなと思いますよ。

二宮: そう思われたのは、ご自身の経験からですか?
西村: そうですね。というのも、ピッチャーと野手って、同じ野球選手でもまったく別モノですよね。野手出身である僕からすると、ピッチャーには技術的にも精神的にも、僕たち野手にはわからない独特のものがあると思うんです。その中に入って、時には我慢させたり、時にはモチベーションを上げたりしながら、監督の考えを伝えられるのは、野手出身の監督ではなく、やっぱりピッチングコーチだと思うんです。それはバッティングコーチや守備・走塁コーチの場合も同じです。

二宮: 西村さんが監督の時はどうされていたんですか?
西村: 僕はある程度、コーチ陣に任せていました。ただ、選手がどういう状態で、どういうことを指導しているのかということだけは知らせてほしいとだけお願いしていました。でも、今考えると、もっとコーチに任せていた方がチームが機能したんじゃないかなという反省はありますね。やっぱり監督って、自分でしきりたいものなんですよ。それは当然なんです。でも、そこでいかにコーチ陣を信頼して任せられるか。特に自分の専門職以外の部分ではコーチに一任するくらいのことが必要なのかもしれませんね。

 まさかの監督就任

二宮: バレンタインが監督の時は、西村さんはコーチの中で最も責任の重いヘッドコーチでした。バレンタインは1回目は GMだった広岡達朗さんともめて1年で解雇された。その後の再就任ということもあって、ヘッドコーチとしては気を遣うことも多かったのでは?
西村: そうですね。ボビーの野球観というのは、それまで僕自身が教わってきたり、自分自身でやってきたものとはまったく違いました。それでもヘッドコーチですから、監督の考えを否定するわけにはいきませんし、コーチや選手に伝える時には、彼らが納得できるように説明しなければならない。そうしないと、チームは一気に崩壊してしまいます。その調整役がヘッドコーチとして一番重要な任務だと思います。

二宮: バレンタインが退団した次のシーズンから西村さんが監督に就任しました。最後のシーズンの時には「そろそろ自分かな」という思いもあったのでは……。
西村: いえ、それがまったくありませんでした。正直、まさかと思いましたよ。

二宮: 突然、就任の打診があったと?
西村: はい。野球人として誰しも監督になりたいという気持ちはあると思うのですが、僕自身はそういうことはまったく考えていませんでした。まぁ、しいて言えば、最後の最後にやれたらいいなぁ、くらいのものだったんです。

二宮: 6年間、バレンタイン時代が続き、その間に日本一にもなりました。バレンタインはファンに人気がありましたから、後任の苦労も多かったのでは?
西村: バレンタイン監督の存在よりも、とにかくあれだけの大所帯をどうやってひとつにまとめようかということの方が大変でした。選手もコーチも、それぞれにプライドを持っているプロ集団ですから、難しかったですね。

二宮: コーチの中には自分よりも年上の人もいますからね。
西村: そうなんです。これまで同じコーチという立場だったのに、いきなり僕がトップに立ったわけですから、やはり気は遣いましたね。コーチや二軍監督に任せられるところは任せてしまって、密にコミュニケーションを図るようにしました。

 日本一へ、神がかっていた勢い

二宮: 監督就任1年目でいきなり日本一となりました。苦労が報われたのでは?
西村: 本当にそうでしたね。あの時は、チームに不思議な勢いがありました。

二宮: ロッテはペナントレースでは3位でしたが、上位4チームはどこが優勝してもおかしくないくらい拮抗していました。1位・福岡ソフトバンクと2位・埼玉西武はゲーム差なしでしたし、その2球団とロッテとは 2.5ゲーム差でした。
西村: 4位の北海道日本ハムとは1ゲーム差でしたから、クライマックスシリーズ進出するには、ひとつも落とせないという試合が続きました。

二宮: 思い出しました。最後の3試合で3連勝しなければならなかったんですよね。
西村: そうです。それを3つ勝ってしまうんですから、「すごいチームだな」と思いましたよ。しかも、最後のオリックスとの2連戦は1点差ゲームだったんです。クライマックスのファーストステージにはそのままの勢いでいけました。

二宮: 西武とのファーストステージでは、2試合とも先制されて、それを追いついて延長戦にもちこんでの勝利でした。
西村: 第1戦は涌井秀章が先発で、8回まで4安打しか打てていなかったんです。スコアも5−1と4点差をつけられていました。ところが、9回に西武は涌井を下げて、ブライアン・シコースキーにスイッチしたんです。これがうちにとっては幸いしました。シコースキーから一挙4点を奪って、延長戦に持ち込んだんです。そして、最後は福浦和也の一発で決めました。もし、涌井のまま9回もいっていたら、逆転できたかどうか……。第1戦で負けていたら、第2戦もズルズルといっていた可能性もありますからね。

二宮: 西武とのファーストステージは、9回の継投が分岐点だったと。
西村: そう思います。そこで、さらに勢いをつけて、ファイナルステージのソフトバンク戦に臨むことができました。ただ、第1戦は成瀬善久で勝ちましたが、第2、3戦は落としたんです。ソフトバンクにはアドバンテージの1勝がありましたから、王手をかけられました。まさに崖っぷちに立たされたわけですが、そこから3連勝。あの時のチームには、何があっても最後まで諦めないという強い気持ちがありました。でも、それはどのチームにもあったと思うんです。一番大きかったのは、ペナントレースでの最後の3試合、そしてクライマックスのファーストステージと修羅場をくぐってきたこと。そういうところを経験している人間というのは、追い込まれた時に大きな力を出すんじゃないかと思うんです。

二宮: 何度も地獄を味わっているから、もう怖いものがないと。
西村: いい意味での開き直りができるんですよね。あの時は、試合ごとに選手たちが精神的に強くなっていくのが手にとるようにわかりましたから、頼もしさを感じていました。

 勝負どころでの“1勝”と“ドロー”

二宮: 日本シリーズはセ・リーグを制した中日とでしたね。中日の監督はロッテ時代の先輩の落合博満さんでした。
西村: 日本シリーズという日本プロ野球界において最高峰の舞台で落合さんと戦えたというのは、僕にとっては一生の思い出です。

二宮: 最初のナゴヤドームでの2連戦で、1勝1敗として本拠地マリンスタジアムに戻ることができたのは大きかったですね。
西村: そうなんです。正直、最初のナゴヤドームでは連敗も覚悟しておかなければいけないと思っていましたから。

二宮: 当時の中日は、ナゴヤドームでは圧倒的な強さを誇っていましたからね。それを1勝1敗の五分で、千葉に帰られるというのは、「これはロッテが有利だな」と思いました。
西村: 第1戦を成瀬で取って、もちろん第2戦も勝ちにはいきましたが、ナゴヤドームでの2試合は、ロッテとしては1勝1敗で OKだと思っていました。マリンスタジアムに帰ったら、自分たちの戦いができるからと。

二宮: マリンスタジアムの風は、普段経験のないセ・リーグの球団には難しいところがありますからね。実際、マリンスタジアムで2勝1敗と勝ち越し、通算3勝2敗でナゴヤドームに戻りました。そして第6戦はシリーズ史上最長の5時間43分という、まさに死闘となりました。
西村: 王手がかかっていましたから、その試合で決められたら一番良かったのでしょうが、ロッテとしてはナゴヤドームに戻って最初の試合でドローにもっていけたというのは、大きかったんです。あそこでもし負けていたら、3勝3敗で並ばれていましたし、翌日もナゴヤドームでの試合でしたから、中日が勢いに乗っていたことでしょう。

 キャプテンシーが芽生えた西岡

二宮: あの時のロッテの勢いというのは、神がかったものを感じました。
西村: 短期間だったからできたことでしょうけどね。あの勢いを1年間 144試合というわけにはいきませんからね。

二宮: 西岡剛(現・阪神)がリーダーシップを発揮していましたね。
西村: そうですね。西岡をキャプテンに指名したシーズンだったのですが、春のキャンプの時から違っていました。西岡の方から「監督、個人ノックをお願いします!」と言って来たんです。それまでの彼には考えられないことでしたよ。

二宮: それまでは、やんちゃなイメージがありましたからね。
西村: そうなんです。ノックで頭から飛び込むと、「すみません、首が痛いです」なんて言っていたんです。それが自分からノックを志願してきたんですからね。

二宮: 立場が人を育てると言いますからね。
西村: そうなんでしょうね。僕が驚いて「えっ!? 本気か?」って言ったら、「やりましょうよ」って言って、本当に1時間みっちりやったんです。キャプテンとしての自覚があったんでしょうね。あの時のチームにとって、彼の存在は非常に大きかったと思います。

 益田獲得はスカウト力の賜物

二宮: さて、ロッテは現在2位です。西村さんが見ていて、気になる選手は?
西村: 2年目の鈴木大地ですね。東洋大時代もキャプテンをしていただけあって、あの選手は非常に責任感が強いんです。

二宮: 2年目というと、藤岡貴裕と同期ですね。
西村: あの年のドラフトは1位が藤岡で2位が中後悠平、3位が鈴木で、そして4位が益田直也なんです。

二宮: 4位で益田をよく獲れましたよね。彼は本当にいいピッチャーです。実力からすれば、1位でもいいくらいです。
西村: 他の球団がノーマークだったんですよ。

二宮: 益田は市立和歌山商業高、関西国際大出身と、決して強豪校ではありません。関西担当のスカウトが見つけてきたんですか?
西村: 編成部門に益田の高校のOBがいるんです。その彼が「下位でも絶対に大丈夫」ということで4位にしたのですが、ドラフト前からスカウト全員の評価が高かったですね。

二宮: 実際にはいかがでしたか?
西村: キャンプでは1軍に帯同させたのですが、僕がブルペンに見に行った時、ブルペンキャッチャーやコーチに「どうだ?」って聞いたら、「監督、彼はモノが違いますよ」って言うんです。「何が違うんだ?」って言ったら、「球が重いんです」と。「球が重い」なんて表現、僕は初めて聞きましたから、驚きましたねぇ。みんな口をそろえて「彼は絶対に一軍で通用しますよ」と言っていましたが、その通りになりました。

二宮: ロッテは派手さはないけれども、実力のある選手を獲りますよね。
西村: スカウト力の賜物だと思いますね。荻野貴司もそうですよ。彼は僕が監督に就任して1年目の時のドラフトで指名したのですが、僕自身は彼の映像さえも見たことがなかったんです。でも、スカウトが「監督、彼は絶対にいけますから」と言うので、それを信じて指名したわけですが、本当に素晴らしい選手でした。ケガさえしなければ、今ごろとんでもない選手になっていましたよ。

 現場復帰への思い

二宮: さて、 31年間過ごしてきたロッテを離れて、現在は解説者として活躍されていますが、もう一度ユニフォームを着たいという思いは?
西村: ぜひ、着たいですね。確かにユニフォームを着た時のプレッシャーというのはすごいものがあるのですが、背広よりもやっぱり自分はユニフォームの方が合っていると思うんです。

二宮: 選手と一緒になって、汗水流してやる方が性に合っていると。
西村: はい、そう思います。

二宮: 一度監督をやった人は、「もうコーチはいい」と言う人もいますが、西村さんはいかがですか?
西村: 僕はまったくこだわりはありません。とにかくユニフォームを着て、選手たちと一緒にやりたいという気持ちが強いです。

二宮: では、そう遠くないうちに現場に戻りたいと。
西村: どうなるかわかりませんが、できればそうしたいですね。まだまだ若いですから(笑)。

 オススメは濃いめのソーダ割り

二宮: さて、今回は「そば雲海 黒麹」のSoba&Sodaを飲んでいただきましたが、改めて感想を?
西村: これは本当に飲みやすくて、やみつきになりそうです。明日にでも早速買いに行きますよ。女性にも人気があると思いますが、男性になら、ちょっと濃いめにつくったソーダ割りなんか喜ばれるんじゃないでしょうか。僕の好みですけどね(笑)。

二宮: 監督時代もお酒を飲まれることはありましたか?
西村: 僕はほとんど毎日飲んでいました(笑)。特に勝った時の一杯というのは、本当に美味しくて……。試合後、家に早く帰って晩酌するのが楽しみで仕方ありませんでした。反対に負けた時というのは、気分転換になりましたね。お酒に助けられたことは何度もありましたよ。気分的にリラックスできるんですよね。「よし、明日からまた頑張ろう!」と気持ちを切り替えられました。お酒を飲める派で本当に良かったなぁと思いましたよ。

(おわり)

西村徳文(にしむら・のりふみ)
1960年1月9日、宮崎県生まれ。福島高2年時に甲子園に出場。鹿児島鉄道管理局を経て、83年ドラフト5位でロッテに入団した。1年目のオフにスイッチヒッターに転向し、3年目にレギュラーを獲得。86年から4年連続で盗塁王、90年には打率3割3分8厘をマークして首位打者に輝いた。97年に現役を引退し、翌年からコーチに就任。2010年には監督就任1年目で日本一に導いた。現在はプロ野球解説者として活動している。

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

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羅豚 川崎店
川崎市川崎区小川町4−1ラ・チッタデッラ1F
TEL:044-221-6500
営業時間:
月〜金 ランチ 11:00〜16:00(L.0.15:00)
月〜金 ディナー 17:00〜23:00(L.0.22:00)
土日祝 11:00〜23:00(L.0.22:00)

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◎クイズ◎
 今回、西村徳文さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:斎藤寿子)
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