昨年12月8日、場所はラスベガスのMGMグランドガーデン。マニー・パッキャオがファン・マヌエル・マルケスから浴びた右カウンターは、近年のボクシング界で最も衝撃的なKOパンチとして記憶されていくことになるだろう。
 マルケスがパッキャオをキャンバスに送り込んだ6ラウンドの一撃で、さまざまなものが失われた。1999年以降は1度もKO負けがなかったパッキャオの不倒記録、フロイド・メイウェザーとのメガファイトが近未来に実現する可能性、そして、フィリピンの英雄がまとっていた不可侵のオーラ……。半ばフィクションじみた快進撃を続けていた現代の怪物ボクサーはついに轟沈し、私たちボクシングファンも現実の世界に引き戻されることになった。
(写真:リオス戦はパッキャオにとって約11カ月振りのリング登場となる Photo By Gemini Keez)
 あれからすでに半年以上が経過し、パッキャオの復帰戦が正式に決まった。
 これまで54勝(38KO)5敗2分のキャリアを積み上げてきた6階級制覇王者は、11月23日に中国のマカオで元WBA世界ライト級王者のブランドン・リオス(31勝(23KO)1敗1分)と対戦する。

「まだ僕には力が残っているよ。リオスを対戦相手に選んだのは、ファンが望んでいる試合を見せたかったから。みんなエキサイティングなファイトが好きで、リオスは打ち合う選手だからね。まだまだキャリアを続けたいし、諦めるつもりもない。負けることがあっても、立ち上がってまた戦えばいいんだ」
 8月6日にニューヨークのチャイナタウンで記者会見に臨んだパッキャオは、リオス戦への意気込みをまくしたてた。

 マルケスにKO負けを喫する前の2012年6月にも、パッキャオはティモシー・ブラッドリーに際どい判定負けを喫している。このブラッドリー戦は“疑惑の判定”と呼ばれ続けるいわく付きのファイトではあったとはいえ、結果的には2連敗。その後を受けて行なわれるリオス戦が、絶対に負けられない試合であることは言うまでもあるまい。
(写真:ボリュームパンチャーのリオスは手強い相手である)

 現時点で、予想はほぼ一方的にパッキャオ有利に傾いている。
「1人のメキシコ人(マルケス)がパッキャオをKOした。そしてもう1人のメキシコ人(筆者注:リオスはメキシコ系アメリカ人)である自分が彼を引退させてやるよ」
 そう息巻くリオスだが、もともとライト、スーパーライト級が主戦場の選手であり、過去の対戦相手の質はパッキャオと比べるべくもない。この3月にはマイク・アルバラードに敗れて初黒星を喫したばかりで、近況は最高と言えない。 

 そして何より、バッキャオは昨年12月の試合ではKO負けという結果ばかりが特筆されているものの、その瞬間まではマルケスを上回るボクシングを展開していたことも忘れるべきではない。
「マルケス戦では体調は完璧だった。事実、僕がリードしていたし、主導権を握っていると思った。そこで不注意になってしまい、ミスを犯したんだ。間違った場所に身を置き、最後のパンチを貰ってしまった。それがボクシングというもので、こういうことがあるからエキサイティングなのだろう」
 パッキャオのセリフは決して強がりとは思えない。実際、カウンターをもらうまでは、逆にマルケスをKO寸前に追い詰めているように見えた。

 あの日とほぼ同様の調子でリオス戦のリングに上がってくれば、やはりパッキャオに分があるだろう。リオスも手数豊富でエキサイティングな選手ではあるが、スケール感ではパッキャオがはるかに上に思えるからだ。

 ただ……ひとつだけ心配なのは、パッキャオのタフネスである。これまで自身を大きく上回る相手と打ち合いを繰り広げてきた彼なら、ライト級上がりのリオスのパンチなど恐れるに足らず、と言えるかもしれない。しかし、前戦であれだけ完璧に倒された後だけに、未知数の不安は残る。
(写真:パッキャオのタフネスは名デュオを組むフレディ・ローチ(左)にとっても懸念材料のはずだ Photo By Gemini Keez)

 破壊的なKO負けを喰らった後、それまで打たれ強かったボクサーが別人のように脆くなるケースは枚挙に暇がない。そして、もしもパッキャオがリオスのパンチで再びダメージを受けてしまった場合、勝負の行方は混沌とする。打ち合いの中で、パッキャオが限界を感じさせる形で後退するシーンを目撃することになっても、誰も驚くべきではないのかもしれない。

「過去2試合は負けたわけだから、今回はプレッシャーは感じているよ。印象的な形で勝って、僕の立場を回復させなければならない。まだかつてのマニー・パッキャオのように戦えるところを示さなければいけないからね」
 本人もそう語る通り、2000年代後半を通じて業界を支えてきた怪物ファイターにとって、今回の復帰戦は最後のターニングポイントとなる。

 きれいにKO勝ちでも飾れば、商品価値は劇的に回復する。その先にはマルケスとの第5戦や、ブラッドリーへのリベンジマッチなど、さまざまなビッグファイトのオプションが見えてきる。しかし、ここで再び明白に敗れてしまうようなことがあれば、パッキャオの“エリートファイター”としてのキャリアは終焉を迎えることになる。

 それでも現役は続けるだろうし、ネームバリューを考えれば依然として少なくないファイトマネーを稼ぐかもしれない。だが、もはやパウンド・フォー・パウンド・ランキングに名を連ねることはあるまい。その際には、ボクシング史の偉大な1ページがひとまず幕を閉じると言ってもオーバーではないはずだ。

 マカオの豪華絢爛なザ・ベネチアン・リゾートホテル&カジノのアリーナで、パッキャオは明日への扉を再び開くことができるのか。リオスの無鉄砲なラッシュにもダメージを受けず、かつてのように野性味溢れるパンチでフィニッシュできるのか。それとも、脆くなったアゴを満天下で晒し、新鋭の前に屈してしまうか。
(写真:マカオで行なわれる興行は巨大な規模となるだろう)

 スリリングな予感とともに、注目のサバイバル戦まであと3カ月――。フィリピンの英雄の危険な再出発に、全世界のボクシングファンの視線が注がれる日は間近に迫っている。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。

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