2012年9月、水球女子アジアジュニア選手権(カザフスタン)。ゴールキーパー(GK)中野美優は初めて日の丸を背負い、国際大会デビューを果たした。
「海外の選手と試合するのは初めての経験でした。結構緊張しちゃって、大会のことは正直あまり覚えていないんです(笑)。でも、とにかく手足が長くて、日本人とはまったく違う、思ってもみないところからシュートが来たことに驚きました」
 中野は初めて“世界”を肌で感じていた。
 中野が出場した初戦のシリア戦は51−4と日本が圧勝した。しかし、第2戦のウズベキスタン戦は8−11、最終戦のカザフスタン戦は12−15で連敗。日本は1勝2敗で4チーム中3位に終わり、1年後の世界ジュニア選手権の切符を獲得することはできなかった。中野自身、自らが出場した試合では勝利を収めたものの、自分のプレーにはまったく納得することができなかったという。だが、そこで得たものは決して小さくはなかった。

「日本代表に選んでもらって、実際に試合にも出場させてもらった。すごく貴重な経験になりました。それに代表は、大学とは違う緊張感に包まれていました。練習の時から代表として“絶対に勝たなければいけない”という雰囲気があった。そういう中でやれたことで、少しは精神的にも強くなれたかなと思います」
 実はその時、中野はGKのポジションに復帰して約半年足らずだった。

 小学4年で水球を始めた中野は、「あまり泳がなくてよさそう」という理由から、自らゴールキーパー(GK)に手を挙げた。実際にやってみると、フィールドプレーヤーにはない面白さがあった。特に相手のフィールドプレーヤーと1対1になった時、相手の打ったシュートを止めた瞬間の快感は何とも言えなかった。だが、クラブの中では身体が大きい方だったこともあり、中学、高校ではフィールドを任された。それでも中野はGKへの復帰を切望していた。そんなGKへの思いが、彼女の進路に大きく影響することになる。

 背中を押されたひと言

 高校時代、中野は卒業後の進路を迷っていた。彼女には将来の夢がふたつあった。ひとつは教師となって水球を教えること。もうひとつは、調理師免許をもつ母親譲りの料理好きを生かしてシェフやパティシエになることだった。既に中学まで一緒に水球をやってきた先輩や友人の多くが水球から遠ざかり、それぞれの夢を追っていた。中野は「自分もそろそろ……」と思い始めていた。

 そんな中野を水球界に引き留めたのは、ある一人の先輩からかけられたひと言だった。高校3年の4月、周囲からの勧めもあって、中野は日本代表候補の選考会に参加した。GKとしてのこだわりは強く、その選考会にはフィールドではなく、あくまでもGKとしての参加だった。

  すると、ひとりの選手が中野に声をかけてきた。同じGKとして日本代表で活躍する三浦里佳子(当時、日体大)だった。
「うちの大学に来ない?」
 日本の絶対的守護神として活躍する三浦は、中野にとっては“神”的存在だった。その三浦に勧誘を受けたのだ。中野の心は決まった。

「もし、大学で続けるとしたら、GKでと考えていました。だから、選考会にもGKとして参加したんです。そしたら、尊敬する三浦さんから声をかけてもらいました。当時から日体大は強くて、地元のクラブの監督も、“大学でやるなら日体大に行け”と言っていたんです。そんな強いチームで、GKをやれるなら、と心を動かされました。それがなかったら、今頃は水球を辞めていたと思います」
 人生の分岐点。中野は水球の方へと歩を進め始めた――。

(第2回につづく)

中野美優(なかの・みゆ)
1993年11月2日、高知県高知市(旧春野町)生まれ。小学4年から春野クラブで水球を始める。中学2年時にはJOCジュニアオリンピックカップ春季大会で県勢初の優勝を収める。翌年の夏季大会では準優勝した。昨年、日本体育大学に進学し、1年生ながら正GKとして日本学生選手権連覇に大きく貢献。9月のアジアジュニア選手権では日本代表として初の国際舞台を踏んだ。





(文・写真/斎藤寿子)
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