「上手に泳げるようになれればいいな」
 中野美優が水球を始めたのは小学4年の時。友人の誘いもあって自宅の近所に1年半前にできたばかりの「春野クラブ」に入会したのが始まりだった。とはいえ、当時の彼女は「水球」がどんな競技なのか、まったく知らなかった。泳ぐことが苦手で、それを少しでも克服できればという程度の気持ちだった。そんな自分がまさか、水球にどっぷりとはまるなどとは、その時の彼女は想像すらしていなかった――。
 入会してしばらく経つと、中野は泳ぎを習う「初心者コース」から水球の練習をする「養成コース」へと移った。徐々に練習は厳しくなり、週に1回1時間だったのが、週3回となり、最終的にはほぼ毎日2時間の練習が課せられた。そんな日々が約1年続いたある日、中野はひょんなことでやけどをしてしまい、練習を休んだ。すると、それをきっかけに彼女の足はプールから遠のいていった。やけどが治ってからも彼練習に行こうとはしなかったのである。

 その理由を母親はこう語る。
「毎日、学校から帰宅した後、夕方6時から夜の8時まで練習でしたから、いつもバタバタしていました。なかなか友達とも遊ぶことができず、嫌になってしまったんでしょうね。『クラブを辞めたい』と言い出したんです」
 そんな娘を母親は無理に行かせようとはせず、ただ静かに見守った。

 すると、中野はいつしか再びプールに通うようになった。
「人数が少なくて、辞めるに辞められなかった」
 中野は続けた理由をそう述べた。だが、それだけではなかったであろう。離れてみて初めて、自分がいかに水球が好きだったかを知ったことも理由のひとつだったのではなかったか。

 母親が語ってくれた次のエピソードが、それを物語っている。
「小学6年の時、弁論大会で美優が代表に選ばれて、全校生徒の前で発表したことがあったんです。その時の内容が、将来は子どもたちに水球を教えたい、というものだったんです。やっぱり、美優は水球が好きだったんでしょうね。『辞めたい』と口に出して言ったのは、その時だけでした」
 いつの間にか、中野にとって水球は大事なモノになっていた。

 決勝T前の不安

 水球は年に春と夏の2回、「JOCジュニアオリンピックカップ」という全国大会が開催されている。小学生、中学生にとって同大会での優勝は最大の目標だ。もともと“水球不毛の地”と呼ばれた高知県は15歳以下男子、15歳以下女子、12歳以下男女のいずれにおいても優勝経験はなかった。そんな高知の水球界にとって歴史的な日が訪れたのは、中野が中学3年を間近に控えた2008年3月のことだった。

 千葉県国際総合水泳場で行なわれた「第30回JOCジュニアオリンピックカップ春季大会」。中野が出場した春野クラブ15歳以下女子チームは、予選を2勝1敗で通過し、決勝トーナメントに進出した。ところが、監督の徳田晃は予選最後の試合、1点差での敗戦に納得していなかった。

「普通にやれば勝てる相手。負けるはずのないチームだったんですよ」
翌日に決勝トーナメント1回戦を控えているにもかかわらず、徳田監督はその日の試合後に練習を課した。無論、チームにはピリピリした雰囲気が漂っていた。
「こんなんで、大丈夫かなぁ。本当に勝てるんだろうか……」
 中野は一抹の不安を抱えながら、決勝トーナメントを迎えた――。

(第3回につづく)

中野美優(なかの・みゆ)
1993年11月2日、高知県高知市(旧春野町)生まれ。小学4年から春野クラブで水球を始める。中学2年時にはJOCジュニアオリンピックカップ春季大会で県勢初の優勝を収める。翌年の夏季大会では準優勝した。昨年、日本体育大学に進学し、1年生ながら正GKとして日本学生選手権連覇に大きく貢献。9月のアジアジュニア選手権では日本代表として初の国際舞台を踏んだ。





(文・写真/斎藤寿子)
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