「面白くない。嫌やなぁ……」
 中野美優は水球が嫌いになりかけたことがある。中学3年の時だった。中学2年の3月、中野が所属した春野クラブは15歳以下の女子チームが県勢初の優勝を果たした。中野はその主力メンバー。センターバックだった彼女は、指揮官からも“絶対的な守備の要”と信頼されていた。だが、その喜びは束の間だった。大会後、チームの柱だった先輩2人が抜け、戦力はダウンした。だが、それとは裏腹に周囲からのプレッシャーは膨らむばかり。そんな中、練習は厳しさを増し、中野は楽しさを感じなくなっていたのである。
「メンバーがそろっていないのに、次の大会も優勝しなければいけないという雰囲気がありました。練習はきつかったですね。1回でも休んだら、ついていけないくらい厳しかった。もうしんどさだけで、その時は水球が好きだとは思えませんでした」
 どんなに嫌だと思っても、人数が少なく、15歳以下のチームでは最年長の中野には、辞めることは許されなかった。

 練習は毎日あった。週に一度、施設が休みのためにプールに入らない日は、筋力トレーニングが課された。その甲斐あって、8月に行なわれた全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会、春野クラブ女子15歳以下チームは、春に続いて決勝進出を果たした。しかし、そこで立ちはだかったのが、この年も優勝候補No.1だった川口SC(埼玉)だった。半年前の春季大会、春野クラブは準決勝で川口SCを破っていた。その雪辱に燃えていたのだろう。川口SCは第1ピリオドから攻勢をかけてきた。春野クラブは防戦一方となり、0−3と大きなビハインドを負った。中野はこの時、「やっぱり無理なのかな」と半ば諦めかけたという。それでも第2ピリオド以降は春野クラブも得点を重ね、互いに一歩も譲らない接戦となった。だが、結局は第1ピリオドが大きく響き、春野クラブは5−7で競り負けた。

「よくやったなという気持ちでした。相手はメンバーがそろっていて、巧い選手ばかりでしたが、こっちは人数をそろえるのにやっとの状態でしたから。何より、決勝まで行けたことに驚いていたくらいです。でも、やっぱり決勝まで行って負けたのは悔しかったですね。泣いたことを記憶しています」
 翌年3月、春季大会に臨んだ春野クラブは、準々決勝で敗退。春連覇の夢も途絶えた。

 苦しかった1年を終え、中野は高校へ進学した。迷いながらも、中野は春野クラブに通い続けた。だが、高校になると水球から離れていく選手が多く、チームを組める状況ではなかった。チーム単独では大会には出場することができず、たまに出たとしてもよそのクラブとの合同チームとしてだった。
「中学の頃から、高校生になったら人数不足でチームとして成り立たないことはわかっていましたし、実力的にも他のチームには通用しないと思っていました。だから、中学で完全燃焼したという感じだったんです」

 それでも辞めなかったのは――。
「好きだったんだと思います。正直、辞めようかなと考えたこともありました。でも、ここまでやってきたんだから、とにかく高校3年間はやり続けようと思ったんです」

 そんな中野に転機が訪れたのは、高校2年の時だった。ユース日本代表候補に選ばれたのだ。これがその後の中野にとって、大きな意味をもった。水球を続けるモチベーションとなったことは言うまでもなく、さらに日本体育大学という強豪校に行く決心をするきっかけとなった日本代表の選考会へとつながっていったのだ。
 継続は力なり――高校時代、周囲に流されることなく、自らの意思でやり続けたからこそ、中野の今がある。

(第5回につづく)

中野美優(なかの・みゆ)
1993年11月2日、高知県高知市(旧春野町)生まれ。小学4年から春野クラブで水球を始める。中学2年時にはJOCジュニアオリンピックカップ春季大会で県勢初の優勝を収める。翌年の夏季大会では準優勝した。昨年、日本体育大学に進学し、1年生ながら正GKとして日本学生選手権連覇に大きく貢献。9月のアジアジュニア選手権では日本代表として初の国際舞台を踏んだ。





(文・写真/斎藤寿子)
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