ジャッジを待つ間、王者は下を向き、挑戦者は力強く前を見据えていた。どちらが勝者かは一目瞭然だった。3−0の判定で新チャンピオンが誕生した。9月15日、東京・ディファ有明でムエタイファイターのLittle Tigerが4個目の世界タイトルを獲得した瞬間だった。WPMF(世界プロムエタイ連盟)世界女子ピン級の王座は、彼女にとって3度目の挑戦にして、ついに手に入れたベルトだ。

「とにかく勝って試合をモノにしないといけない。1ラウンドから攻めていこうと思っていました」と、WMC(世界ムエタイ評議会)のピン級王者でもあったテップサー・ソーティップジャルン(タイ)を相手に終始、主導権を握った。本場タイから招いた審判たちがユナニマス・ディシジョン(満票)でLittle Tigerを推す完勝だった。試合後、テップサーは「タイガーとはやりたくない」とWMCのタイトルを返上したという。それでも「勝てて良かったけどパーフェクトではないですね。欲を言えばKOしたかった。4ラウンドにいけそうだったのですが、倒し切れなかったです」と満足はしていない。彼女にとってタイ人との対戦成績もこれで5勝2敗1分け。圧倒的なホームタウン・ディシジョンがあるタイに乗り込んでも五分の戦績を残している。その実力はタイでも認められつつある。

 現在の所属ジムであるウィラサクレック・フェアテックス・ムエタイジムのウィラサクレック・ウォンパサー会長は「真面目でいい選手ですね。タイでもチャンピオンやランカーたちと戦える力はある。パンチもキックも重いし、首相撲など、もっとムエタイを覚えたら誰も勝てない」と、Little Tigerの才能に太鼓判を押す。タイでプロとして活躍した実績を持つ会長は、彼女には大成するために必要な要素を持っていると語る。「ハートが強く、性格がいい。驕ることもないから、皆からも好かれるんです。これが一番大事」。 Little Tigerとは同ジムに所属する前からの知り合いで、色々な道場やジムで一緒に汗を流してきた猪俣耕一も「ケタ外れの選手。スピードとパワーが他の選手とは違いますね。練習量も半端じゃない」と舌を巻く。

 Little Tigerは4本の世界ベルトを持つが、天狗になる様子は見えない。周囲の支えがあって自分があると認識しているからだ。「チャンピオンだから偉いわけじゃない。みんなが応援してくれるからチャンピオンになれたんです。よく(チャンピオンを)“遠い存在だ”と言う人がいますよね。でも自分は遠くにいるわけではないし、変わるつもりはありません。ベルトを獲るのは自分のためでもありますけど、物自体は応援してくれるみんなの物ですね。自分は“世界チャンピオン・Little Tiger”という名前だけ。勲章はサポートしてくれるみんなにあげたい」

 類稀なる格闘センス

 三姉妹の長女で、小さい頃から運動神経が良くスポーツ万能だったLittle Tigerは、負けん気の強いヤンチャ娘で男子相手にしてもケンカでは負けなかったという。そんな彼女が格闘技と出合ったのは、幼稚園の頃だった。父親が格闘技好きで、新極真の緑健児代表とも付き合いがあり、彼女が空手を始めることは自然な流れだった。

 極真会館の本部道場に通っていたLittle Tigerは、極真空手の大山倍達総裁にも覚えられるほどの存在であった。小学高学年年の時には千葉県大会優勝、全国大会で3位に入った。当時、小学生の部は男女のクラス分けはなく、いずれも男子を相手にしての成績だった。それでも本人は、どこか“やらされている”というような感覚があり、空手に夢中になることはなかった。

6年の時、父親に「辞めたい」と相談したことがあった。父親から返ってきた答えは「黒帯をとったら辞めていいよ」というものだった。Little Tigerは約束通りにその年に黒帯をとると、空手を辞めた。中高生の時にも、ほとんど練習もせずに大会に出ることはあったが、本格的に“復帰”することはなかった。

 そんなLittle Tigerが再び格闘技に引き寄せられていったのは、高校を卒業し、歯科助手として働き始めて7年目のことだった。友人からキックボクササイズに誘われたのだ。しかし、音楽に合わせて、シャドーを繰り返すだけのレッスンには物足りなさを感じた。「どうせ運動するなら、本格的なものをやろう」と、職場からの帰り道にあったジムに入会した。とはいえ、最初は「ストレス発散程度に、体を動かす」だけのものだった。

 キックボクシングをやることに対し、父親は「試合に出ないこと」を条件に認めていた。「やりたいことには背中を押してやりたい」という考えではあったが、顔面への攻撃が許される世界に身を置くことを心配する親心からの折衷案だった。しかし、しばらくするとLittle Tigerは周囲の勧めもあって、大会に出場し、より上を目指したいと思った。そこで父親は自らが経営する寿司屋のある常連客と彼女を引き合せた。その常連とは佐山聡、初代タイガーマスクとして一世を風靡した格闘界のレジェンドだ。父親は、佐山が格闘界入りを止めてくれると、踏んでいたのだ。

 ところが佐山の反応は父親が期待したものとは逆だった。「いいんじゃない。僕が教えてあげるから、(道場に)来なさい」。佐山にマンツーマンで教えを受けることで、Little Tigerは武士道精神や格闘技の基本を培っていった。そしてキックボクシングをはじめてから、わずか5カ月でプロデビュー。初代タイガーマスクの愛弟子として、“タイガー”の称号を授かった。とんとん拍子に事が運んで行く中で、父親も娘をバックアップすることを決めた。リングネームLittle Tiger Juneとしてデビューして以降、現在まですべての試合に観戦に行っている。彼女は父親の存在を「一番のファンです」と嬉しそうに語る。

 Little Tigerにとって家族の存在は大きい。5歳下の妹、末っ子の琴香は精神的な支えとなっている。琴香も同じように小さい頃に空手を習っていたが、姉と同時期に辞めており、以降の格闘技や武道の経験はない。だが、練習を見守ったり、Little Tigerの試合時にはセコンドについて檄を飛ばすこともある。「気持ち的なサポートが大きいですね。一番怒ってくれるのは、彼女。試合後に“何でもっと行かないの? 倒せたでしょ”と怒られたこともあります」。妹の存在がLittle Tigerの発奮材料となっている。一方、琴香にとってのLittle Tigerは「強くてカッコいい姉」だ。リングという戦場に向かう姉を心配しないのかとの問いには、「皆さんによく聞かれるんですけど、全くないですね」と笑う。ヒーローは負けない――。妹には、そんな思いがあるのだろう。

 その期待に応えるようにLittle Tigerは、ほとんどダウンを喫したことがない。32戦でKO負けはゼロ。今まで大きなケガはなく、試合後、顔面が腫れるようなこともない。それは避けるのが巧いとか、単純に打たれ強いだけでない。彼女は相手の攻撃を被弾する時、顔を動かしてダメージを逃がすという。「自分で意識しているわけではないのですが、ビデオを見ると自然にやっているんですよね」。誰に教わったわけでもない。この世界を生き抜くための“本能”がLittle Tigerには備わっている。

 日本とタイを繋ぐ架け橋に

 デビューして7戦目でフリーになると、リングネームを現在のLittle Tigerに替え、出稽古というかたちで“キックの藤原”の異名を持つ藤原敏男の道場などで鍛錬を積んだ。09年12月には、J-GIRLS初代アトム級王座決定トーナメントを制し、初タイトルを獲得した。11年4月には初の世界挑戦。タイでのWMC世界女子ピン級王座決定戦に臨んだ。相手はティチャー・ゴー.アディソン。わずか14歳ながら同級2位のトップランカーだった、前日計量の時には“こんな子供で大丈夫かな”と思ったが、いざ拳を交えてみると「テクニックがすごかったです。しかも場馴れしていました」と衝撃を覚えた。だが、一方的にやられたわけではない。自分の中でも手応えはあった。「タイ人との対決は2度目でしたが、ムエタイルールでやるのはその時が初めでした。どうやってポイントがとられるのかをきちんと把握できていなかったんです。自分ではいけたと思っていたのですが……」。結果はアウェイということもあって0−3で判定負けを喫した。

 試合には敗れたが、Little Tigerはムエタイの虜になった。「タイ人が出す技がとにかく綺麗でした」。リング上で対戦した相手に限らず、現地で観戦した男子のトップ選手たちの技に魅了された。「試合というより芸術作品」。“自分もこうなりたい”と、Little Tigerは「ムエタイで生きていく」と心に決めたのだった。

 そしてティチャーとの再戦の機会が訪れた。タイでの決闘から1年後、ディファ有明でのWMC&WPMF世界女子ミニフライのダブルタイトルマッチ。本来の階級のピン級よりも1つ上の階級だが、勝てば一気に2つのタイトルが手に入る大チャンスだった。2分5Rの10分間、強烈なパンチと多彩なキックで王者を攻め続けた。試合終了のゴングが鳴ると、Little Tigerは右拳を突き上げた。手応えは十分だった。3−0の判定で勝利し、初の世界タイトルを手にした。

 世界チャンピオンになったからとはいえ、日本でムエタイはメジャーなスポーツではない。そのファイトマネーだけで食べていけるほど甘い世界ではなかった。そんな時にマルハンワールドチャレンジャーズ(MWC)の最終オーディンションに参加できる14名(チーム)に選ばれた。650を超える応募の中から勝ち残ったのだ。結局、グランプリや特別賞を獲ることはかなわなかったが、協賛金50万円を得た。

 獲得した協賛金はタイへの海外遠征に充て2月から約2カ月間の合宿生活を敢行した。拠点はバンコクから車で2時間半ほどかかる田舎町。シャワーがないのは当たり前で、トイレは自分で汲んで流した。洗濯機もないから手で洗った。言葉も満足に通じないなかでホームシックにもなりかけた。だが、こうした厳しい環境に身を置いたおかげで逞しくなった。タイ人の“何が何でも勝たなくてはいけない”というハングリーさの源流を知った気がした。「お金で買えないものを得られた」と彼女は振り返る。

 今年10月23日にタイで行なわれるWMC世界女子ピン級王座決定戦に出場する。この大会にはタイ国王の親族もやってくるという。現地のTV中継も入る注目度の高い中でメインイベントを張ることが決まったのだ。「ムエタイをやるからには、国技である本場のタイで認められるムエタイファイターになりたいんです。ただ強いだけでなく華麗な戦い方ができる。日本にも、ムエタイを愛している選手がいることを知ってもらいたいですね」。大会MVPはもちろんのこと、“ワイクルーが一番美しい選手”に贈られる賞も狙っている。ワイクルーとは、ムエタイの試合前の儀式。親や師に感謝を示す踊りのことである。

 Little Tigerというリングネームも海外の人が覚えやすいように英語表記にした。「元々、世界に行きたいと思っていたので、デビューする時に英語の名前にしました。世界に友達を作りたかったんです」。その夢はムエタイを通じて、国際交流を行っている。戦ったタイ人とは全員友達になったという。初めて対戦した選手から「いつタイに来るの? タイに来たら遊びに連れて行くから」と連絡があったほどだ。「引退したら、タイでみんなを集めて同窓会のようなものをやりたいですね。それこそ日本とタイの架け橋になることができるのであれば、何でもやっていきたいと思います」

 幼少時代、憧れのヒーローはいなかった。だが、そういう存在に自分がなりたかった。「次の世代に引き継ぐために、子供たちには憧れの人や目標がいないといけない」。ムエタイを日本に広めるためにも、リング上で存在感を示さなければならない。強くて美しいLittle Tigerというヒーローを目指し、新たな伝説を築き上げる。

(おわり)

(次回はセパタクロー・田中蕗菜選手を紹介します。10月16日更新予定です)


Little Tiger(リトル・タイガー)プロフィール>
1983年6月14日、東京都生まれ。本名:宮内彩香。ウィラサクレック・フェアテックス・ムエタイジム所属。07年10月、キックボクシングを始めて、わずか5カ月でプロデビューを果たした。09年10月にJ-GIRLS初代アトム級王座を獲得。12年6月にはWMC&WPMF世界女子ミニフライ級ダブルタイトルマッチに勝利し、初の世界王座に輝く。今年2月、ムエタイの本場タイでのPatong boxing stadium 世界女子フライ級タイトルマッチに挑み、TKO勝ちを収めた。9月WPMF世界女子ピン級タイトルマッチでは判定勝ちし、WPMFの2階級制覇を達成。通算4本目の世界タイトルを獲得した。通算戦績は32戦18勝(2KO)10敗4分け。身長157センチ。

>>オフィシャルHP
>>ブログ「己に勝つ心」

☆プレゼント☆
 Little Tiger選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の冒頭に「Little Tiger選手のサイン色紙希望」と明記の上、住所、氏名、連絡先(電話番号)、この記事への感想をお書き添えの上、送信してください。当選は発表をもってかえさせていただきます。なお、締め切りは10月31日(木)迄です。たくさんのご応募お待ちしております。

『第3回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、5名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(8月27日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(文・写真/杉浦泰介)
◎バックナンバーはこちらから