大学サッカー関東1部の専修大学は今季、史上4校目のリーグ3連覇に挑んでいる。その王者・専修大を、エース、そして主将として牽引しているのが攻撃的MFの長澤和輝だ。昨季は高いパフォーマンスで12ゴール、17アシストという驚異的な成績を残し、リーグ連覇に貢献。現在、複数のJクラブから熱視線を送られているプレーヤーだ。
 パス、ドリブル、シュート……長澤にはこれらの能力が高水準で備わっている。「もともとパサータイプだった」という彼のパスセンスと視野の広さは、チームに多くのチャンスを生み出す。また、厳しいマークにあっても、高いキープ力でボールを前に運び、シュートにまで持ち込む力もある。長澤の攻撃的MFとしての完成度は、大学ナンバーワンといっても過言ではない。こうした技術に加えて、アスリートに必要なストイックさも持ち合わせている。

 今季もチームはここまでリーグ戦首位を保っているが、長澤は納得していない。
「順位に関しては順調にきています。しかし、自分たちのサッカーにはまだ満足していないですね。プレースタイルを相手に分析され、自分たちのいいところを出しづらくなっている。そこをどう、乗り越えていくかをもっと考えないといけないのですが、相手の思惑通りにやられてしまっている試合も多いんです。その意味でまだ、今季は納得のいったゲームができていないのが事実ですね」

 自身は8ゴール3アシストを記録しているが、「(リーグ戦が)後期に入ってからは得点できていない。もっとゴールに直結するようなプレーが必要です。チーム状況のみならず、自分のパフォーマンスもまだまだ足りないと思います」と課題を口にした。

 こうした言葉からも、長澤には、すでにプロフェッショナルとしての気概が溢れていることがわかる。では、いったい彼はいつ、どこで現在の「長澤和輝」となったのか。

 植え付けられたプロフェッショナリズム

 千葉県に生まれた長澤は、小さい頃から外でよく遊ぶ活発な少年だった。そんな長澤がサッカーに出合ったのは小学校に入学する前だった。住んでいたマンションの前の空き地で、「ちはら台SC」というサッカークラブが活動していた。そこに、両親が長澤を入団させたのだ。ただ、当時の彼は今のように“練習の虫”ではなかった。

「サッカーは最初から好きでした。でも、みんなで鬼ごっこなどして遊ぶほうが楽しかったですね(笑)」
 本人はこう振り返る。しかし、小学校を卒業する頃には、長澤の中で「これからも続けていきたい」とサッカーに対する本気度は上がっていた。その頃、長澤はジェフユナイテッド市原(現千葉)のジュニアユースのセレクションを受けている。しかし、結果は不合格。そこで、彼は県内でジェフ、柏レイソルのジュニアユースに次ぐ成績を残していた地元の三井千葉サッカークラブ(SC)に入団した。結果的にこの三井千葉SCで、長澤はある指導者との出会いを果たす。当時の中村薫監督(現三井千葉SCテクニカルディレクター)だ。中村には「自分のサッカー観をつくってもらった」という。いったい、長澤はどのような指導を受けたのか。

「中村監督は『プロフェッショナルになれ』『こだわりを持ってサッカーをやれ』ということを伝え続けてくれました。栄養面に関してもそうですし、プレーの面でも『サッカー中心の生活をしろ』と常に言い続けてくれた。それまで、自分は何も考えずにサッカーをやってきていたので、中村監督の言葉を聞いてから情熱が湧いてきて、どんどんサッカーにのめり込んでいきました」

 また、パスサッカーを志向していた同クラブは、ボール回しやリフティングなど、基礎的な練習が多かったが、楽しんで練習できたという。。
「三井千葉SCのスローガンは『未来への勝利』。中学時代に活躍できる選手ではなく、その先に伸びていけるような指導をしてくれるんです。その中で重視しているのは足元の技術だと思います。5、6点とられてもいいから、パスサッカーからゴールを狙う。そのための練習も面白かったですね。毎回、練習に行くのが楽しくて、チームメートも同じようにサッカーをしていました。楽しかったから続けられたし、しっかりと技術を身に付けることができたと思いますね」

 長澤はめきめきとテクニックを伸ばしていった。しかし、悩みもあった。体格である。中学1年時は145センチほどしかなかったのだ。体の線も細く、競り合いになると劣勢を強いられることが多かった。2年になり、155センチまで伸びたものの、同年齢の選手と比べると、サイズは小さかった。

 そんな長澤に、中村はこう声をかけた。
「170センチまで伸びれば、プロになれるぞ」
 フィジカルにある種のコンプレックスを抱えていた長澤は、中村の言葉が強く印象に残っているという。
「すごく嬉しかったですね。その言葉で、改めてプロを目指して頑張ろうというふうに思いました」

 “小鹿”からの進化

 中学3年になると、高校の進路を考え始めた。長澤には、千葉の名門・市立船橋高校からスカウトがきていたという。ただ、彼は市船入りを辞退した。
「当時の市船は、相手に前線から積極的にプレッシャーをかける力のサッカーをしていました。自分は三井千葉SCでパスサッカーをやってきたので、なかなか、市船に入って活躍できる自分のイメージが持てなかったんです」

 長澤が選んだのは八千代高校だった。文武両道を掲げ、中村監督から同校のスタイルはパスサッカーで面白いということも聞いていた。練習参加した際、先輩たちのレベルの高さにも魅力を感じた。

「当時は体がは小さくて、どちらかといえば目立つタイプではありませんでしたね。ただ、柔軟なテクニックを持っていました。そして、顔を上げてプレーすることができていたんです」
 こう語るのは元八千代高校サッカー部監督の砂金伸(現習志野高校サッカー部監督)だ。「足元にあるボールを意識し、つい視野が下がってしまう選手が多いのですが、長澤は違いました。ポジショニングやボールの持ち方もうまかったですし、中盤をコントロールできる選手だと感じましたね。練習に参加してもらった時に、『ぜひ八千代にきてほしい』と声をかけました」
 砂金は長澤との出会いをこう振り返った。07年4月、長澤は八千代に入学した。

 入学当初の身長は160センチ。監督やコーチからは「小鹿」と呼ばれた。長澤は「それだけ、体の線が細かったんです」と笑う。そのなかで、彼は相手に当たられないことを意識してプレーしていた。だが、長澤が主戦場とする中盤は、特に競り合いが多いエリア。相手に当たり負けしない体づくりの必要性も感じていた。八千代は2時間の全体練習以外は、選手が自主的に練習する。長澤はコーチと相談し、自主練では体幹トレーニングに取り組むようにした。

「それまで自主練ではずっとシュート練習をやっていました。でも、相手と競り合った時に体がぶれないようにしたいと考えたんです。自分は重りを使った筋力トレーニングが苦手だったので、器具を使わない体幹トレーニングのメニューを教えてもらいました」
 今の自分に何が必要かを適切に考えた結果だった。彼の判断は間違っていなかった。体幹トレーニングに取り組んでからしばらくして、試合中の相手との競り合いで、弾き飛ばされる場面は激減した。

「入学当初は相手に当たらないように意識していました。それが体も出来上がってきて、フィジカル面でも自信がついてきた。よける技術に加え、当たっても負けない強さも養えたと思います」

“柔軟さ”と“強靭さ”――2つの要素を兼ね備えた長澤は、2年になるとレギュラーに定着し、3年時にはキャプテンとして八千代を全国高校サッカー選手権に導くことになる。

(後編につづく)

長澤和輝(ながさわ・かずき)プロフィール>
1991年12月16日、千葉県生まれ。三井千葉SC―八千代高―専修大学。小学校入学前にサッカーを始める。中学時代は三井千葉SCに所属。八千代高時代は3年時に主将として全国高校サッカー選手権に出場し、大会優秀選手に選出された。専修大学進学後は1年時から出場機会を得る。2年時には関東1部リーグ、全日本大学選手権の2冠を経験。昨季は12ゴール、17アシストの活躍でリーグ連覇に貢献した。今季は主将としてチームを牽引している。2年時から全日本大学選抜入りし、13年ユニバーシアードでは日本代表の主将を務めた。得点力とアシスト力を備える攻撃的MF。身長173センチ、体重66キロ。

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(文・写真/鈴木友多)
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