田口壮(野球解説者)<後編>「忘れられない仰木監督と飲みかわしたお酒」

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二宮: さて、メジャーリーグでは田口さんは3度、ワールドシリーズに出場し、そのうち2度、ワールドチャンピオンに輝きました。
田口: ほんと、ラッキーですよね(笑)。運以外のなにものでもないですよ。

二宮: ポストシーズンには特に強かったですよね。
田口: 僕、ああいうドキドキするゲーム、大好きなんです(笑)。

[size=medium] 名将に認められた“野手 No.1”[/size]

二宮: 初めてワールドチャンピオンリングをつかんだ、 2006年のリーグチャンピオンシップシリーズ第2戦、ニューヨーク・メッツの守護神ビリー・ワグナーから放った決勝ホームランは今でも忘れられません。
田口: ありがとうございます。セントルイス・カージナルスに入って5年目でしたが、いやぁ、あのポストシーズンは神がかっていました。

二宮:  ワグナーのボールは速かったでしょう?
田口: 確か 97マイルか98 マイルは出ていたと思います。

二宮: その剛速球を、ピタリと芯でとらえた会心の一打でした。
田口: ポストシーズンに入って初めての打席が、地区優勝したサンディエゴ・パドレスとの第3戦。0−3の8回に代打で出て、スコット・ラインブリンクからホームランを打ったんです。その試合は負けてしまったのですが、僕自身の中では「あれ、なんか今年のポストシーズンは違うぞ」という不思議な感覚がありました。結局、ディビションシリーズとリーグチャンピオンシップシリーズあわせて4打席しか立っていないんですけどね。

二宮: それでも、4打数4安打。しかも、大事な場面でのヒットでした。
田口: 実は、リーグチャンピオンシップの最終戦、「もう1本タイムリーを打ったら、 MVPを獲れるぞ」と言われていたんです。だから、僕はトニー・ラルーサ監督(当時)に冗談で「オレを出してくれ!」と何度もお願いしたんですけど……結局、出してもらえませんでした(笑)。

二宮: なかなかないチャンスですからね。
田口: そうなんです。「ワールドシリーズでは獲れなくていいから、せめてリーグチャンピオンシップで獲らせてくれ! 監督、お願いします!」って必死に頼んだんですけどね(笑)。ラルーサは「あかん、オマエは大事な場面で使いたいから残しておく」って、全然聞く耳をもってくれませんでした。

二宮: それだけ田口さんは貴重な戦力だった。代打でも代走でも守備固めでもいける。ここ一番の小技も巧いとなったら、監督としてはいざという時のためにベンチに残しておきたいと思うのも無理はありません。
田口: まぁ、それで使われずに終わってしまうことはしょっちゅうありましたけどね(笑)。でも、僕はラルーサが大好きでした。すごく愛情を注いでくれましたからね。僕がカージナルスを退団して、フィラデルフィア・フィリーズに移籍後、初めてセントルイスでの試合でブッシュ・スタジアムに行った時、監督室に挨拶に行ったら、ラルーサがこう言ってくれたんです。「そうだ、オマエに言うのを忘れていたけど、 30年以上監督やってきて、野手ではオマエがナンバーワンだ」って。

二宮: それはすごい! ラルーサと言えば、ワールドチャンピオンに3度も導いた名将。マーク・マグワイアやホセ・カンセコといったメジャーを代表する選手も指導しています。そのラルーサから「ナンバーワンだ」と。それ以上の褒め言葉はないでしょう。
田口: いやぁ、あの言葉は本当に嬉しかったですね。

[size=medium] 「那由多の刻」メジャーでも人気出る !? [/size]

二宮: さて、「那由多(なゆた)の刻(とき)」の Soba&Soda を飲んでいただいていますが、いかがですか?
田口: ふだんから焼酎も飲みますが、ソーダ割りを飲んだのは初めてです。これ、いけますね。口の中がさわやかな感じがします。新しい飲み方を教えていただいて、ありがとうございます! ぜひ、嫁にもすすめたいですね。絶対に気に入ると思います。

二宮: それでは、次に「那由多(なゆた)の刻(とき)」のロックを飲んでいただきましょう。
田口: うわぁ、これも美味しい。まろやかなブランデーを飲んでいるみたいです。こんなに味わい深い焼酎があるんですね。

二宮: 皆さん、本当にビックリするんですよ。
田口: そりゃ、そうでしょう。ソーダ割りは、それこそ今流行りのハイボール感がある。そして、ロックはまさにブランデー。これだったら、ブランデー好きのメジャーリーガーも「お、ブランデーや」って言って、グイグイ飲みそうですよ。

[size=medium] シャンパンファイトに不可欠な熱いシャワー[/size]

二宮: さて、24日からはメジャーリーグのワールドシリーズが、26日からは日本シリーズが始まります。いよいよメジャーも日本のプロ野球も王座をかけた戦いが始まるわけですが、優勝シーンと言えば、日本ではビールかけですね。メジャーリーグではビールではなく、シャンパンですよね。田口さんはビールかけもシャンパンファイトも両方経験していますが、何か違いはありますか?
田口: 実はシャンパンファイトでは選手はみんな寒くてブルブル震えているんです(笑)。というのも、ぬるい方が泡が出るビールとは違って、シャンパンはキンキンに冷やした方が泡が出る。だから、すごく冷たいものを頭からかけられるわけです。

二宮:  10、11月ともなると、アメリカはだいぶ寒いでしょうからね。
田口: はい、そうなんです。だからシャンパンファイトの間、選手は交代でシャワーを浴びに行くんですよ。「ちょっと、シャワー浴びてくるわ!」って言って、ダッシュでロッカーのシャワー室に駆け込むんです。そこで熱いシャワーをガーッと浴びて、「よっしゃー!」と気合いを入れ直して、また戻るんです。

二宮: アハハハ。裏ではそんなことがあるんですね(笑)。でも、やっぱり優勝してのシャンパンファイトは何度やってもいいものでしょうね。
田口: はい。もう、盛り上がりはすごいですよ。途中で外に出て行って、ファンの人にかけて一緒に喜びを分かち合う時は最高ですね!

二宮: ワールドシリーズで優勝してのシャンパンファイトは、また格別なんでしょうね。それを田口さんは2度も経験している。1度目は 06年のカージナルス。2度目はフィリーズに移籍した 08年でした。カージナルスは 26年ぶり、フィリーズも28年ぶり。やっぱり田口さんは“もって”いますね。
田口:  04年にもワールドシリーズに出場していましたから、あの頃は「2年に1度、ワールドシリーズに出られる」という感覚がありましたね。

二宮: 本当にすごいことですよね。日本人メジャーリーガーのパイオニアとして活躍した野茂英雄も、メジャーのシーズン最多安打記録をつくったイチローも経験していないことですから。
田口: とてもありがたいことですよね。

[size=medium]  チャンピオンになるための控えの在り方[/size]

二宮: 当時、田口さん自身に何か変化はありましたか?
田口: なんとなくではありましたが、優勝するためにはチームがどうあるべきか、控え選手の自分の在り方みたいなものが、段々とわかってきましたね。つまり、自分がどういう存在になれば、チームをいい方向へと導くことができるのかと。

二宮: 控え選手の在り方とは?
田口: チームの状態によっても違うんです。カージナルスの時は、監督であるラルーサが僕のことをよくわかってくれていて、適材適所という感じで、いいタイミングで使ってくれました。僕もラルーサの考えていることを理解していたし、彼がどんなタイミングの時に自分を使いたいのかはわかっていたので、スムーズに準備することができた。お互いに理解し合っていたので、すべてがいい方向にいっていたんです。

二宮: フィリーズではどうでしたか?
田口: フィリーズに移籍してからは、ほとんど使ってもらえず、随分と悩みましたね。監督室に行っては、「試合に出してくれ!」と文句ばかり言っていたんです。ところが、ある日を境に僕の気持ちはガラリと変わりました。7月 31日に、GM に呼ばれたんです。僕は出場機会が欲しくて、 GMには「トレードに出してくれ!」と言っていたので、てっきり移籍の話だと思っていました。ところが、 GMの言葉は予期せぬものでした。

二宮: 何と言われたんですか?
田口: 「今はチームがいい状態できているから、なかなかオマエには出るチャンスがない。しかし、チームがダメになった時こそ、オマエが必要なんだ。チームを救ってくれる選手だと思ったから、オレはオマエをこのチームに呼んだんだ」と言われたんです。

二宮: そのように言われたら、納得できますよね。
田口: はい。「チームの状態が悪くなったら、救うのはオマエしかいない。だから、それまで我慢してくれ」と言われたら、「わかりました。僕は控えでも何でも喜んでやります!」となりますよね。実際、僕はそれから監督室に行っても、一切文句を言わなくなった。試合に出られなくても、笑顔で「ハイ監督! 元気?」と明るくふるまっていましたね。

二宮: 自分の存在意義をはっきり理解できたことで、腰を据えられたと。
田口: はい、そうなんです。当時のフィリーズのレギュラー陣は本当に調子が良くて、正直言って、控えの選手が出る場面は、ピッチャーのところでの代打だけという状態だったんです。だから、徐々に控え選手からも不満の声が出てきていました。その控えの中で、僕は一番最後の選手でした。その僕が文句を言わずに、みんなに「頑張ろうぜ!」って声をかけていったんです。そうしたら、他の控え選手からも文句が聞かれなくなって、どんどんベンチの雰囲気が良くなっていった。その結果、ワールドチャンピオンにもなれた。カージナルス時代とはまた違う控え選手の在り方を勉強させてもらいましたね。

[size=medium] メジャーリーガーも驚いた仰木監督の情熱[/size]

二宮: だいぶお酒もすすんできました。改めて「那由多(なゆた)の刻(とき)」はいかがですか?
田口: これはもう、お気に入りのお酒のひとつになりましたよ。周りに焼酎好きもたくさんいますから、ぜひすすめたいですね。

二宮: ところで、お酒にまつわる一番の思い出は?
田口: たくさんありますけど、やっぱり一番は仰木彬監督と一緒に飲んだことですね。

二宮: 仰木さんもお酒が大好きな人でしたよね。
田口: はい、オリックスの監督時代も、率先してよく飲みに行っていましたからね(笑)。

二宮: 優しい笑顔がトレードマークの監督でしたけど、厳しさも持っていました。
田口: 僕も、オリックス時代はよく怒られました。まぁ、時々理不尽なこともありましたけどね(笑)。

二宮: 例えば、どのような?
田口: 確か福岡ドーム(現・福岡ヤフオクドーム)での試合でした。守備が終わって、ベンチに戻ってきたら、仰木監督に「代えるから」って言われたんです。僕はそのイニングで3番目に打席がまわってくることになっていたのですが、僕のところで代打を出すからと。僕はもう出ないわけですから、スパイクではなく、アップシューズに履き替えたんです。そしたら、無死一、二塁になった途端に、いきなり「田口、行け!」と……。

二宮: 仰木さんはなぜ、気持ちが変わったのでしょう?
田口: 送りバントをさせたかったんですよ。それには、代打に出る選手よりも、僕だと思ったんでしょうね。でも、こっちにしてみたら「えぇ !?」ってなるじゃないですか。「だって監督、さっき代わる言うたやないですか?」って言ったら、「オレはそんなこと言うとらん!」と。もう仕方ないから、慌ててスパイクを履き始めたんです。そしたら「何やってんや! とっとと行け!」と怒られて……。そんなんで行っても、何の準備もできていないわけです。案の定、バント失敗。ベンチに戻ってきたら、監督に「何やっとんや!」って怒鳴られました。
 そのひと言で、僕はブチ切れてしまったんです。何も言わずにロッカーに行って、「オレが悪いんちゃうやろう! 代わるって言ったんちゃうんか!」って、わざと監督に聞こえるように怒鳴り散らしながら、椅子を5つくらいブン投げたんです。そしたら先輩が2人、あわててやってきて、「オマエの気持ちはようわかる。だから落ち着け!」となだめてくれました。「僕が悪いんちゃうでしょう? こんなんやってられませんわ!」って言いながら、2人の先輩に抱えられて、ベンチに戻されました。もう、端っこでブスッとしていましたよ(笑)。
 先輩がわざと「おい、田口おるか?」って言うと、「いますけど!」って(笑)。でも、僕が渡米してから、その時のことを言ったら、「えっ !? そんなことあったっけ?」って、仰木監督はすっかり忘れていましたね(笑)。

二宮: アハハハ。仰木さんらしい(笑)。実は私も、何度か約束していた取材を忘れられてしまったことがあったんです。でも、仰木さんだから許せてしまうんですよね。
田口: そうなんですよね。

二宮: 仰木さんは愛情深い人でしたからね。
田口: 僕ら選手のこと、本当に真剣に考えてくれていたと思うんです。渡米して2年目だったかな、監督が観に来てくれたことがあったんです。上半身裸になって、スタンドの上から見下ろしているわけです。それで僕が見逃し三振したんですね。そのボールが、ちょっと低めのボール球だったんです。でも、まだオープン戦の初戦で、相手は大学生でしたし、審判も学生野球の人たちだったので、僕は何も文句を言わずにベンチに帰りました。
 そしたら、仰木さんがスタンドの一番下にスタスタと降りてきて、いきなり「今のはボールやろう!」って審判に怒鳴り始めたんです。選手もみんなビックリしちゃって、「あれ、誰? もしかしてオマエのオヤジか?」と。「いやいや、オレの元監督やねん」って言ったら、「えらい熱い人やなぁ……」って、みんな驚いていました(笑)。

二宮: アハハハ。メジャーリーガーもビックリするほどの情熱の持ち主だったと(笑)。
田口: はい。大学生相手のオープン戦で、僕のために、あそこまでしてくれて……。「やっぱり監督やなぁ」って思いましたよ(笑)。

[size=medium] 着信音に込められた師弟愛[/size]

二宮: 仰木さんとはよく飲みに行っていたと?
田口: はい。特にアメリカでプレーするようになってからの方が、よく飲みに連れて行ってもらいましたね。帰国すると、必ず監督から「おい、飲みに行くぞ」って電話がかかってくるんです。それで僕と嫁を、いろんなところに連れて行ってくれました。カラオケもよく行きましたね。

二宮: 仰木さんは何を歌われたんですか?
田口: 監督の十八番は前川清の「雪列車」でしたね。最後に聞いた監督の歌もそれでした。だから、僕にとって監督と言えば「雪列車」というイメージが強いんです。僕は今でもカラオケに行くと、必ず「雪列車」を歌うのですが、監督を思い出していつも泣きそうなります。

二宮: 私の携帯には、まだ仰木さんの携帯番号が入ったままなんです。なんだか消してしまうと、仰木さんとのつながりがなくなってしまうようで……。
田口: 僕もそうなんですよ。実は監督の携帯の着信音はアリスの「チャンピオン」なんです。僕が監督に「田口も、一曲歌え」と言われて歌ったのが「チャンピオン」だったんですけど、監督が「おぉ、これ、えぇ曲やなぁ」って。それから監督の着信音が「チャンピオン」になったんです。亡くなられるまで、そのままでした。

二宮: それはいい話ですねぇ。泣けてくるなぁ……。
田口: 仰木監督にも、この「那由多(なゆた)の刻(とき)」を飲ませてあげたかったなぁ。

二宮: お酒の味がわかる方でしたから、きっと気に入るでしょうね。
田口: それこそ、グイグイいっちゃいますよ(笑)。だって、本当に美味しいですもん。僕もこれから「那由多(なゆた)の刻(とき)」を晩酌するのが楽しみです!

(おわり)

田口壮(たぐち・そう)
1969年7月2日、兵庫県生まれ。西宮北高を経て関西学院大へ。関西学生リーグでは通算123安打のリーグ記録を樹立し、92年にドラフト1位で内野手 としてオリックスへ入団。3年目から外野手に転向し、95年のリーグ優勝、96年の日本一に貢献。00年のシドニー五輪では日本代表として出場する。01年オフにFA宣言してメジャーリーグに挑戦。カージナルスで徐々に実力を認められ、チームに定着。06年にはポストシーズンでも活躍し、ワールドシリーズ制覇を経験する。08年に移籍したフィリーズでは自身2度目の世界一に輝く。その後、カブスを経て10年に古巣オリックスへ復帰。11年オフに戦力外通告を受け、現役続行を目指していたが、昨年9月に引退を表明した。日米通算1894試合、1601安打、89本塁打、592打点、126盗塁、打率.277。日本ではベストナイン1回、ゴールデングラブ賞5回。

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。国際的な品評会「モンドセレクション」2013年最高金賞(GRAND GOLD QUALITY AWARD)受賞。

提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
焼肉の清香園 渋谷店
東京都渋谷区宇田川町37−14 篠原ビル1F
TEL:03-3466-1369
営業時間:
昼(月〜金) 12:00〜14:00(L.O.13:30)
夜(月〜土) 18:00〜26:00(L.O.25:30)
夜(祝日)  18:00〜23:00(L.O.22:30)
日定休(月末の日曜、貸切の場合は営業)
>>店舗の詳細はこちら(HOT PEPPERのサイトへ)
>>店舗Facebookはこちら

☆プレゼント☆
 田口壮さんの直筆サインボールを長期貯蔵本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」(720ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「田口壮さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は11月13日(水)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回の田口壮さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成・斎藤寿子/写真・鈴木友多)
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